2019-03-05

電子書籍蜃気楼

 電子書籍サービス統合し移行によりアプリが変更されるなどして不満爆発なのだという。

 やはり電子書籍は紙の本の代替にはなれないのだ。電子書籍スタンドアロンではない。

 結局のところ電子書籍を見るには電子書籍ビュワーというプログラム必要になる。

 電子書籍ビュワーはプログラムなので仕様変更されればすべての読書体験が連動して良くも悪くもなる。

 たとえば今後「いまいちからないので無理にでも広告を見ていただく」というやり方もできるわけだ。

 そうなれば、金銭を支払い電子書籍を手に入れたにも関わらず広告を見せ付けられることになる。

 ありえないだろうか? 映画館もやっているのだから電子書籍でやれぬ道理はないと思うが。

 プログラミングによってこれをさらに「改善」するならインカメラ視線追跡するくらいはすぐに思いつく。

 「君の瞳孔を観察させてもらった。駄目じゃないか、君は広告ちゃんと見ていない。広告を見るまでは本編はお預けだ」

 そうなったとして、すでに膨大な電子書籍資産を持つ人間はやめるにやめられまい(コンコルド効果)。

 仕様変更と平行してインカメラのない旧型デバイスは徐々に非対応とすれば、さら効果的だろう。

 格好をつけて電子書籍などにするから、こうなる。素直に紙の本にしておくべきだったのだ。

 念のため書いておくが、なにも「電子書籍」で内包されるあらゆる概念まで否定しているわけではない。

 「百年後が~」とか「世界では~」とか「テクノロジー進歩により~」とか「法改正により~」のような「もしもの話」であれば電子書籍にも未来はあるのかもしれない。

 だが現代に生きる日本人にとっては紙の本が最適の選択であることは紛れもない事実だろう。

 質量をもたない電子書籍日本人にはまだ早いということを、分かっていただきたい。

 (どうしてもというのなら質量をもった電子書籍にするべきだろう)

 (そもそもではあるが質量を持たない電子書籍とは情報商材ではないか?)

  • 紙の本を置く場所がもうないっつってんだろ 代替案を用意しろ

    • こんまれ

    •  電子書籍は利便性に優れるが安全性には劣る。  そこで利便性をとって安全性を切り捨てる判断をしたわけだ。  ところで安全性を切り捨てたその判断の責任は誰が負うのだろうか?...

  • 紙書籍が濡れたり日焼けしたりホコリまみれになったり積本に埋もれたり棚が足りなくなったり床が抜けたりするのは「当然のこと」であって読書体験の劣化とは思わんのだろうな。

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