友人「持ってるけど?」
友人「当たり前だろ」
友人「証明って、さっきまで僕の財布に入ってたじゃない。」
この論法がコマーシャルとしてあまりよくないのではないか、という話をいかにしていくぞ。
論点は一つだ。これを実際にやったらどうなるのか? という点だ。
あなたが、友人の万札を取って「これお前のって証明できる?」とやったとしよう。
そして万札をそのまま懐にしまいこんでもいいし、「冗談だ」と言って返してもいい。
どちらでもいい。
友人は「○○は人の金をくすねるやつだ」と周りに言いふらすだろう。
証明がないからと言って、人の金を取ってしまうことはできない、というか、やれない。
それは信用を失うからだ。
近い事例に、知り合いに借金を申し込む奴ってのがいる。
そして、それは一対一の関係ではなくなる。
金を貸した方は、「あいつは人から金を借りるやつだ」と警戒の意味も含めて周囲に触らす。
現金の強かさはここにある。あのCMは、逆に現金の強かさ示す証拠になってしまっている。
自分のものと証明できなくとも、奪われることは滅多にないのだ。
奪われたら、高確率で処罰される。あるいは述べてきたとおり信用を失う。
人のお金を、その人のものだって証明できないから奪い取る人はいない。
あのCMは、現金の不確かさを示そうとして、みごとに失敗している。
あんなことは成り立たないのだ。現金は安心で確実だということを裏返しで示してしまっている。
普通に「こんな場面でキャッシュレスが役に立つ」というシーンでコマーシャルを作成すればいいものを、変に相手を腐す内容で、逆にやられてしまっている。
俺はキャッシュレス進めていくべきだと思っているし、長い時間をかけてそのように社会は変化していくと思う。
けれど同時に「敵」はそこまでヤワじゃないぞ、と思う。