まず一般論ですが、卒論は原則学術的な価値はありません。それより上の、大学院2年生が書く修士論文ですら、学術的根拠(この論文にこう書いてあったから正しいみたいな引用文献)として出すのは許されません。それからさらに三年研究して出す博士論文でやっと、世間でいう「論文」として、つまりは世に出す成果として認められるのです。
無論、分野によりけりですが博士論文の審査を三年で通れる人の方が少ないので、五年以上は修行期間が必要とされるのが現状です。つまり、卒論を書いて卒業していく人は、厳密には研究者ではないのです。修士でやっと研究者の卵、博士論文書いてるうちは雛鳥、博士論文書き終えてやっと一人立ちなのです。そして、博士論文の中でも例で示すほど世の役に立つのは99.9%より少ないという…勿論、すごい研究もそれらがあってこそなので間接的には大事なのですが。
長くなりましたが、では研究者にならない圧倒的多数派は何故卒論を書くのか。身も蓋もないことを言えば、大学は研究期間という建前をとっているからです。
ただもう少し希望のあることを言えば、卒業論文を書く作業は、「自分でテーマ(取り組むべき仕事)を見つけ」「調査や統計や実験を正しい手順で行い」「形式にのとってまとめて記述し」「世間に出しても恥ずかしくない体裁を整え」「分かるように人前で発表する」という、社会人に必要なスキルを身につける作業です。
世の中の大学生ってその大半が大学を卒業する時に卒業論文を修めるんでしょ? その卒業論文っていうのは1年近くかけて学生一人一人がそれぞれ固有の研究テーマを定めて研究を行い...
院生ですが、私見で書かせて頂きます。 まず一般論ですが、卒論は原則学術的な価値はありません。それより上の、大学院2年生が書く修士論文ですら、学術的根拠(この論文にこう書い...
めんどくさいから一つだけ答えるが ほとんどの卒論は既存研究に何か付け足したくらいで価値はない
理系学問の指摘は一部当たってて、数学科は普通は卒業研究がないんだよな もはや学部生でどうこうできるレベルじゃないから 「数学の修得には時間がかかる」ことの概説 http://kazune-...
鍛冶職人が初めて作る包丁みたいなもん それ単体は役に立つことも立たんこともある 学士論文や一行論文でノーベル賞とか取るやつもいるが
あと欧米だと日本より遥かに形式への帰属が重視されるので本当に中身が無くても体制に服従できることを証明することに意味がある
計画立案して遂行することに意義があるから ほうれんそうも学べるので奴隷製作にもってこい
anond:20190224013321 面接でも何に配慮したら合格か不明だから全方位に向けて面接官や関係者に媚びる就活生を上から見下ろすのが楽しいんだろ
文章を書く訓練にはなるでしょ
自分の興味・関心の方向性を知る土台とはなる。既存研究の中で新たな発見を付け足せることは微量だけれど、事例研究にまでフェイズを落とせばやる事は山ほどある。