母の実家にはにわとりだかうこっけいを飼っている鳥小屋があった。
ベニヤ板とトタンと金網で出来た本当に簡単なものだったし、多分今入ればとても狭く感じるのだろうけれど、当時はそれこそ年齢が2桁に到達すらしていなかったので、秘密基地のような感じがしていた。
もちろんその秘密基地には私にとてつもない威嚇をしてくる鳥たちがいたから、私は鳥小屋に近づくことこそすれど中に入るのは祖父母が餌をあげに行く時か、本当に早起きできた朝の卵を取りに行く時だけだった。
タバコもお酒も揚げ物も大好きで、癌になってしまう条件は揃っていたし、さらに彼は病院が大嫌いだった。検査で癌が見つかった時には恐らくもう手遅れで、入院は緩和ケアのためだったのだろうと今は思う。
私が上座に座っている祖父の膝に上がると、よく煙を円の形に吐き出してみせてくれた。私は優しくて楽しい祖父が大好きだった。
祖父が亡くなったあと、正月か葬式か月命日か覚えていないけれど、祖母が毎日行っていた鳥小屋に行かないのに気が付いた。私は寒くてほとんど家から出ていなかったから、鳥小屋には行っていなかった。
祖母に「卵は?」と聞くと、彼女は「鳥は野良犬に食べられちゃったんだよ」と言った。
初めはひどい野良犬!と憤慨していたが、鳥小屋には鍵が必ずかかっていたし、特に鳥小屋に壊れているところも見つからなかった。けれど特に祖母を疑う理由も見当たらなかったのでその時はそれでなあなあになってしまった。
本当に野良犬に侵入されて食べられたのか、どこかに貰われて行ったのか、それとも、いつかの私たちのご飯になったのか。今さら聞くことでもないから聞けずにいる。
でも多分あの時の祖母にとって鳥小屋の鳥が消えたことはいいことだったのだと思う。
ただでさえ祖父に遺された家や田畑は祖母の手に余っていた。卵代が浮くとはいえ餌代もバカにならなかったであろうそれらは、祖母がひとりでの生活を固めていくには負担が大きかったのだろう。