私にはこの映画ほど仲良しな仲間はいなかったが、学生のひと時、時間を過ごした彼女たちのことを考えた。
今はその誰とも連絡を取っていないような状況だ。
私と誰かとの出会いと別れ、特に別れは、私にとって離れていく船同士のようなイメージだ。
そしてある瞬間を迎え、そこからゆっくりと、しかし確実に、私たちの船は互いに別の航路を行き始める。
初めはまだ私たちの距離は近く、相手の顔も見えるほどだが、徐々に顔が、姿が、船影もおぼろになりゆき、最後には海のかなたにきらめく光の粒に思いを馳せるのみになる。
共に過ごした時間の中で、良いことばかりではないし、嫌なところもあったし、相手が私のことを私が思うように思っていたのかどうかなど、
分からないことばかりだが、私が彼女たち、彼らを思い出すとき、そこには確かに何かちらちらと光る光を感じる。
私は、彼らに興味を持たれたこと、声をかけられたこと、私の話を聞いてくれたこと、共に過ごした時間があったことを眩しい光のように感じる。
だから、彼らは私の中で、波間の向こうにきらめく光の中に知覚される存在なのだと思う。
彼らはどうしているのだろう。これまでどんな時間を過ごし、今どんな時間の中にいて、この先どんな景色を見るのだろう。
私が彼らにまた会うかどうかは分からない。特別に会いたいとは思っていない。
私は、誰かと出会う度に様々な関係性を築く。助けられたり助けたり、好きになったりなられたり、話を聞いたり聞かされたり、安心したり警戒したり。
もし彼らに再会することがあったら、私はその時、果たすべき役割を全うできるようになっていたい。
できるなら、彼らにもらった温かさを返せる自分になっていたい。
でも彼らに会うことがもうなくても、私はまた別の誰かと新しい関係を始める。
私が彼らと出会った学生の頃、私は友達に強い憧れと嫉妬のような感情を抱き、親友、や一緒に騒ぐ仲間、を渇望していた。
でも今(本当に今この瞬間だけ、かもしれないけど)、そういったイメージに対する思いを確認してみると、意外にも私の気持ちは穏やかだ。
それは私があの時期を経て今まで、同じクラスの友だち、以外にも人と出会うことはできるし、深い関係になることはなくてもお互いに温かさや労わりを与えあうことができる、という関係を経験してきたからだろうかと思う。
それはきっと私が獲得してきたものだ。私は私を誇りに思う。
もう会うことがないかもしれない私の友人たち。
私はあなたたちを、まばゆい光の中に想う。あなたが今どんな人になっているかは分からないけど、私はあなたに光を感じている。
どの人に対しても、不幸であってほしいとは思わない。無理に再会することはないと私自身に対して思っている。
私たちには私たち自身の、それぞれの役割があるのだと思う。その道行きの中で、あなたたちの気持ちが穏やかに凪ぐ時間が、少しでも多く訪れるよう願っている。
私はあなたと、どんな関係を築けるだろう。出会いを楽しみにしつつ、私は私自身に対して、あなたたちに誠実に向き合っていける私でありますようにと背筋を伸ばす。