何でもひょいひょいとこなす人だ。おそらく、というか確実に地頭が良い。対して私は、鈍臭くて不器用。平均より下。
平均以上の彼女と平均以下の私。
当然その差は大きく、努力で何とかなる範囲じゃない。比べるまでもない。
そうわかっていても、何度も彼女と自分を比べては何度も泣いている。
テストの日だった。
私はテストが行われることが発表されてから、この日のために休みも削って勉強して、ギリギリまで復習して挑んだ。結果は6割。
沢山勉強していてもダメだった。前日まで何も見ずに書けていた単語も書けなかった。対して彼女は、テストがあったことをすっかり忘れていて、テストが始まる5分前くらいにプリントにサッと目を通しただけ。結果は満点。
何で点数がわかったかというと、この日は隣の人と答案を交換して採点する日だったから。彼女の満点を見てから返ってきた自分の答案用紙。余計にショックだった。
他にもこんな感じで、勉強に限らず「私が苦労してやっとできたことでも、彼女は何もせずにすぐできる」ということが頻繁にあった。
学校にいる時は「すごいね」と言えるしそう思えるが、家に帰って途端に悲しくなる。つらい。悔しい。
親は比べないで素直にすごいと思えばいいじゃんと言う。それが1番だと思うよ私も。でも、隣にいると自分ができないことが浮き彫りになって、どうしても比べてしまう。もうこの時点で嫌な予感はしていた。いつかもっともっとショックを受ける日が来るんじゃないかって。
いよいよ就活が始まった。
自分が不器用なことはわかっていたため、何度も就職課に通って、自己PRや学チカを練った。面接練習で写真が良くないと言われたので、写真館に行って写真も撮った。
1ヶ月かかってようやく「これでいこう」のサインを貰え履歴書が完成した。
説明会に行き、これからエントリーシートや履歴書を出すところだ。またエントリーシートの対策も練らなければならない。
そして昨日、その間彼女は2次面接に合格していたことを知った。
履歴書対策なんてしていない。面接練習も。写真はスピード写真。業界研究や志望動機も。
就活解禁前に面接を進めていたのでエントリーシートを書く必要もなかった。
彼女に限らず、やらなくていい人はやらなくても内定を貰えるのだと思う。私は一体何をしているのだろう。
学校にいる間は素直におめでとう!と言えた。家に帰っても、すごいという想いは変わらない。
だけど目覚めたらまた比べて泣いた。今はもう嫌だ。会いたくない。またこんな比べる日が続くのだろうと思うと、消えたくなる。
自分が不器用なことはわかっていたため、何度も就職課に通って、自己PRや学チカを練った ここが無駄。 あと、社会出たらすごいやつはたくさんいる。彼女と知り合えたことに感謝...
生きてきた一分一分の重みが違うんだろなあ。 テスト対策に何日かかけた増田と、十何年と5分かけた彼女と。 22年も生きてるとその差はむごいくらい開くだろなあ。