2016-07-27

障害者安楽死できる世界をどう考えるか

今回の事件虐殺であり、犯行肯定することはできない。

しかし、誰もが目をそらしてきた問題であったことは間違いないだろう。

障害者安楽死できる世界介護をしたことがある者なら賛成するのではないだろうか?

当事者としては迷惑をかけている自責と罪悪感。

介護者、特に身内としては精神的に疲弊し、思ってはいけないとわかっていても心の奥で感じてしまう、身内に対する「死んでくれたら」という感情

 

私の身内の脳外科医も、様々な命を救ってきたが、ただ生きていることだけが本人の幸せとは限らないと言っていた。

患者によっては負傷したまま亡くなった方が幸せなケースもあるだろうと。

私自身、ある障害を患っており、死ぬことができるなら心の底から死にたいと思う。

それが私にとってQOLを上げる手段となる。

 

家族ともよく話す。自分が寝たきりや要介護者になったら、早く死にたい

安楽死できるならしたい。

ただ延命する状態になるくらいなら死にたいと。

 

法律憲法は完全ではない。

完全ではない人間作成したものから当然だ。

ルールで第3者が人の命を終わらせることができない。

しかし、それによって救われる人々がいるのも確かなのだ

 

繰り返すが、犯行自体肯定するわけではない。

だが、虐殺という部分にのみ焦点を当てるのではなく、この現状に目を向けなくてはいけないのではないか

特に影響力のある、政治家メディア、はたまたそれ以外の成功者

世の中を多少なりとも動かすことができる者と共に、この問題をしっかり吟味する必要があるだろう。

  • 身内としては精神的に疲弊し、思ってはいけないとわかっていても心の奥で感じてしまう、身内に対する「死んでくれたら」という感情。 「思ってはいけない」と思ってるはずなんつ...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん