真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
例外もあることは分かるので、保険のためにそれっぽく答えただけだからなあ。
後付けでよければ、捻り出してみようか。
そうだなあ……色々あるが、私がザックリ説明できるものは大きく分けて二つかな。
一つ目は、「売買に参加できる買い手を、結果的に選別できるシステムがある」こと。
……え? 「お金を払う人々を選別できない、してもいけない」んじゃないかって。
まあ「結果的に」、だ。
その商品が嗜好品などの生活必需品ではなく、かつ高所得者しか買えない価格のものなら、それは「買える人を結果的に選別できる」だろ?
生活必需品でもないのに借金してまで買う低所得者もいるだろうけれど、そんなこと私は知らんよ。
まあ、そんな品物を分割で売ったり、数回かけて払わせる形式も有名だ。
ただ、30万円×1で売るのと、300円×1000で売るのとは、似て非なるものだということは知っておいてくれ。
後者は低所得者も買い手として参加しやすくなるから、買い手を売り物で選別できていない可能性が上がることになる。
この場合、売るものや総合的な価格によっては、商売として問題だと見なされることもある……らしい。
二つ目は、「その商品の価値の担保、様々な『なぜ』に答えられる理由を説明可能か」あたりかな。
例えば世界有数の美術品だとか、素材に拘り技術の粋を集めた高級品だとかだな。
美術品なら、有名な芸術家作だとか、故人だったりで有数である価値が説明できる。
高級品とかは、作るのに技術がいる、量産が困難、素材を拘っている。
様々な「この値段で売る理由」を性質含めて説明することが可能だ(それを買い手が納得するかってのは、また別の話だが)。
その上で、一つ目で挙げた生活必需品ではなく、かつ買い手を商品の値段によって結果的に選別可能であれば成立する。
後は、買い手の値踏み次第といったところかな。
まあ、お金とモノの価値の考えた方については個人差が大きいけれど、何にしろお金を払った以上は有意義であるという心構えが大事なのは同じだな。
後悔しなければ……後悔しなければいいのさ。