リソースが足りない。。。というのはどこの企業でもよく聞く話で、「リソース」が意味するものは「労働力」である。
仕事をしていると、やっかいな要求をしてくるお客様というのはいて、それがまた、絶妙に「やらなければいけない最大限のサービス」を「最低限の値段で」やれと要求してくる。
◆子供のころ
私はまあ、どこにでもいる「おとなしい生徒」だった。
先生は「やんちゃな生徒」「問題のある生徒」「意見を言ってくる父母」にどうしても時間を取られ、「普通の生徒」にかまっているヒマなどなくなる。
おとなしい生徒の目線は、非常に冷めている。「ああ、この人、忙しいんだな。。。」と思ったものだ。
意識してやっている訳ではないが、問題のある生徒達は、「やらなければいけない最大限のサービス」に対して最大限のリソースを割くように要求しているのだ。
しつこいようだが、その他の生徒は同様の”サービス”を受けていない。
◆大人になると
BtoBでサービスを提供する仕事をしていると、ゴネてくる厄介な企業に対してのみ優先的な対応を行うことしばしばである。
優しいお客さんの要求は「リソースが足りない」と、どうしても後回しになる。
◆老人になると
自分が老人になった時の事を考えると、ぞっとする。
もし自分が介護の現場で働いており、人出が足りないとしたら、問題のある老人につきっきりになる事だろう。
おとなしい老人への対応は、時間が足りないので、ルーチンをこなすのみで終わる。
自分が「おとなしい老人」になるだろうなというのは目に見えている。
◆うーん。。。
もちろん、人として豊かであろうとすると、誤差程度の瑕疵に全てクレームを付ける事はしないだろう。
そういった人は、クレーマーに比べていい縁にも恵まれる。。。と思う。
あくまで「受ける事ができるサービスの量」視点で考えると、こうして悲観的になる。
自分はまだ20代で、問題に対して一つづつ向き合い「サービスが偏らないように工夫する」意識を持って仕事しようとはしている。
ボロカスに怒られる事もあるが。。。
意識しながら仕事していく中で、いつか答えが見つかればいいと思う。
◆さいごに
老人ホームや学校に例えているので「お金さえあればいいサービスを受ける事ができる」という方法もある。
そんな力技が使えるほど、自分は裕福でいる事はできないと思う。