末期癌だとかで発覚した時からもうすでに体力がなくロクに治療できず本人も望まずあれよあれよと緩和ケアになってあれよあれよと毎日毎日元気でなくなり、一時的に元気がでたステロイドやら何やらもそろそろ効かず日に日に喋れなくなり日に日に元気でなくなってきた。
思えば私は父のことが嫌いで母のことも嫌いだとずっと思っていたけれど、すごく世話になってすごく愛してもらえてたことは、それが不器用であったとしても多分解っていたと思う。でもそれは自分にとっては少し、いや多く、ヘンだったとは思っていて容認しがたかった。今でも変やろ、と思うことは多い。でも父なりに、母なりには大事にしていた、ということは解る。解っていたと思う。でも嫌いだった。それも本当だと思う。でも自分がある程度はそういう愛情を理解できていることを、ぜんぜん伝えていなかった。もっとありがとうって日常的に言うべきだった。言えば良かった。若いころならいざ知らず、私はもう自分がどう家族に大事にされてきているのか、ここ数年は解ってきていた。
日に日に朦朧としていく父に、今日が明日が最後かと思って、さっき、長い間大事にしてくれてありがとうって言った。父はほろほろと涙を流していたけど何泣いてんのーまだ元気でしょ!と自分の心を隠しながら言った。もう長くないと思う。十年前死んだ祖母と今の父は完全に同じ顔をしていた。
数年前から父と母がよくいってる民宿に旅行にいこうね、って言ってくれていたのに、いつも面倒がって断っていた。どうして一緒に行かなかったんだろうか。まだ時間がもっとあると思っていた。漠然と。
でも今になっても話すことって何も思いつかない。ありがとう、ただそれくらいしかない。
そりゃそれなりに親孝行していたらしいけど、自分としては距離をずっと持っていたと思う。距離を自分で持っていたことが解れば解るだけ申し訳なく思うのと同時に、でもありがとうとも思う。距離も必要だったと思う。
私なんかが子供でよかったんだろうか、とも時々思う。私は親の言うことをぜんぜん聞かず、病気になり勝手に結婚して相談して近くに住んで、父母にはいろいろ迷惑かけた。よく父にもっとしっかりしろと怒られていた。私は何いってんだとうるさがっていた。
今もそういういくつかのところは変えようがないので変えないと思う。自分で選んで自分ですることで間違いがあっても自分で結果を選んでいきていこうと思っているので、親の意向に無条件に従いはしない、でも、こんな自分で父と母はよかったんだろうかと時々悩む。私はあんまり優秀ではないんだ。自慢できるような娘ではないんだ。
でも多分これからも自分で考えて自分で生きていこうと思う。親のひさしはなくなってしまったが、でも自分がしたいことをするという姿勢こそが、細かくは父と母の意向には添えないけど…私が父に一番もらった宝物だと思うし、これからも、それをむねにちゃんと生活していきたい。
ありがとうお父さん。育ててくれてありがとう。でも本当はもっと長生きしてほしかった。もっと幸せに暮らしてほしかった。ありがとう。ありがとう。できれば今から急に死なないでなんか死なないわー!!とかなればいいのにってすごい思うけどやっぱ死ぬみたいね。ありがとうって言って父の細くなった手を握ってたら、鉄面皮の私も泣きそうになったけどハハハ柄にもないなまだできることいっぱいあるからね!って励ましてた。一人になってから泣いた。
死んだらおしまい。これ豆な
親になってみればわかると思うけど、子供が幸せになってくれるのが一番の親孝行やで。 今そこそこ幸せなら親はとっても嬉しいと思うよ。