人間の歴史の中で絶対に無視できないものだけど、水や空気や食べ物のように生存にそれが必須なものではない
でもそれが普通のことで、外国のように、国が宗教を決めたり、国民の宗教が統一されていることの方が不可思議に思われる
元来人間の精神というのは自由で、宗教を信じる自由、信じない自由もあるはずである
何を信じるかは個々人が決めればよいのだ
今の時代は、昔よりも幸せに生きられる人が多い時代なのだから、
たとえば、私の伯母はガンに侵されてから、夫の信仰するキリスト教に入信し、洗礼を受けた
そして死を受け入れて亡くなったと思う
でも祖母は、実家が神道の家だったので、祖父を葬儀を神道で行うといって、父と喧嘩した
今の私は祖母の気持ちがわからないでもない
いくら祖父の望んだことでも、自分の信じてきたことから外れたことをするのは受け入れがたかったのだろう
どうしようもなく辛い時期があって、辛さを忘れる方法を模索した時に、仏教の無常という考えに救われたことがあった
人間が生きるうえで、自分ではどうしようもなくなった時に必要なものがあって、それが宗教という形になっていると思う
今の時代は豊かなので、特に日本では、自分ではどうしようもないということが少ないのかもしれない
でも、宗教ってなんなんだということは考えてみてほしい
現代の日本人を作ってる原因は、歴史教育にあると思う ていうか、日本という国の歴史を教えようと思ったら絶対に宗教への言及って必要なんだよね 昔の偉い人が仏像や寺院を作ったっ...
最近サボっているだろう