2014-04-11

「失敗しても再チャレンジできる社会であってほしい」とは言うもの

Twitterの反応テロップで流れ続ける某ニュース番組で小保方女史の会見を取り上げていた時のこと、「今回は失敗したかもしれないけど再チャレンジさせてあげようよ!そしたらきっとSTAPも見つかるよ!」みたいなツイートが表示されていた。そのツイートのお花畑っぷりはさておき、「失敗しても再チャレンジ」という文言を見て、ちょっと前のことを思い出した。

以前に勤めていた企業で、非常に優秀な人がいた。誰もが知っている某大手企業バリバリ働いていたことがある人で、社長一本釣りでやってきたということだった。人当たりよくアイデア豊か、実務能力も高く、良く言えばコンサバ・悪く言えば腐った職場では浮くほどデキる人だった。ぶっちゃければ、「なんでこんな掃きだめに?」と思っていた。

そんな彼の活躍新規施策バリバリ繰り出され、業績も上向きつつあったある日、彼が退職した。というか、クビになった。会社の金に手をつけていたのがバレたのだ。怒り心頭の同僚もいたが、自分呆然と「せっかく有能なのに、なんでそんなアホなことを…」と思うばかりだった。(今となっては、「きっとそれまでの数社でもやらかしたから、あそこみたいな掃きだめに来ることになったんだろな」とゲスパーしている。)

風の噂によれば、彼は今、少し離れた地方同業他社に勤めているらしい。きっとまた、そこでもバリバリ働いているのだろう(同じ轍を踏んでいなければ)。

冒頭の話に戻るが、一般に「失敗しても再チャレンジできる」の「失敗」に、“悪事”はふくまれるのだろうか? 

前出の彼が今の仕事に就くときに、退職理由を正直に告白たかどうかは知らない。知って、それでも有能だから欲しい、となれば何も問題ないのだが、そんな職場はそう多くないんじゃないだろうか。小保方女史も「うっかりミスてへぺろ」で押し通そうとしているように見えるが、仮に悪意がなかったとしても、研究不正という“悪事”を働いたという判断が下った以上、リスクをとってまで彼女研究者として採用したいと思う機関はまず無いのではないか(それでも、一発逆転の大穴狙いで採るところがあるかもしれないが)。

優しくない社会だと言われようが、誰だってわざわざトラブルメーカーと働きたいとは思わない。何らかの「失敗」があれば、その人が今後また同様のことをしないかと身構えてしまうし、それが悪事なら尚更。前出の彼は伝票の一枚一枚を、小保方女史は論文の一文一文を疑われる。

小保方女史は会見で研究を続けたいと言っていたが、ここまで世間一般に「失敗」が広く知られてしまって、この先どういう戦略でやっていくんだろうか…。報道で見る限りはすごくタフそうだから自分みたいな凡人には思いもよらない大復活を成し遂げるのかもしれないけど。

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