2013-10-13

http://anond.hatelabo.jp/20131013040834

それは違う。

別には2種類あって、瞬間的、直感的、無意識的な選別①と、条件的、審査的、意識的な選別②がある。

①の方は選別であって選別ではない。なぜなら選別に漏れものが選別する当人にとって最初から可視からだ。最初意識化されるときに、すでに無意識に選別は終わっている。

これは脳の機能であって悪ではないのだよ。

善悪とは関係ないが、例えば人間の目と脳は電磁波の中から可視光の範囲内の波長のものを光としてとらえる。これは生まれたときにすでにそうだ。ここに意識的な選択の余地はない。勝手可視光以外の波長を不可視にしてしまっている。しかし、サングラス偏光レンズを使えば可視光の中から目で受ける波長を選別できるし、赤外線モニターなどを使えば可視光以外の波長を擬似的に見ることもできる。これは人間意識的に行なう選別だ。もちろん光を選別することは善でも悪でもない。

極悪なのは②の方なんだ。

例えばペットが治らない病気になったから捨てる、ペット屋に返品する、生まれてくる子供が障害児だから産み分ける、友達が心の病気になってしま妄想から暴言ばかり吐くから距離を取る、これら全て悪。人と関わるということはそれくらい重いことで、一生かけてその重さと対峙していかなければならない。もちろん、専門家等の力を借りることは良いことだ。

また、指摘の怒りは悪に対する反射として起こっている。熱ければ汗をかくように、一定時間起きていれば眠くなるように、そういった「作用」に過ぎない。さらに、この怒りが時間を経て、本人にとって意識的ものに変化したのにその怒りを続行しようという場合は悪だが、ここで悪が発生したことはそもそも選別が悪であるという事実に何の影響も与えない。別個に存在するだけだ。

また、怒りが、受けた仕打ちに対して釣り合わないくらいの量で起こってしまい、そのことを人生で何度も後悔し、または他人から指摘されているのに、そのことを直そうともしない場合はそれも悪だ。ただ、今回の場合は怒りの量と仕打ち釣り合ってるといえるだろう。

記事への反応 -
  • こいつも同様に「悪くない」。むしろ殴られる程度で済むなんてありえない。 (関係ができた後)人を振る、という行為は悪の中の悪だ。差別の中の差別だ。法が裁けないのなら本人が...

    • 人を選別しなければ、交際とか出来ないだろ。好く事も、嫌うことも、同様に「人を選別する事」に他ならないわけ。 別れ話をされて怒り出すという行為も正に「自己の利益の追求」だ...

      • それは違う。 選別には2種類あって、瞬間的、直感的、無意識的な選別①と、条件的、審査的、意識的な選別②がある。 ①の方は選別であって選別ではない。なぜなら選別に漏れるもの...

    • この記事だけで悪だとか差別っておかしいと思う。 交際しました。相手がDV野郎でした。別れたいです。 この場合も悪なの?

      • もちろん悪ですよ。それぐらい、人一人と関係を持つということは重い。

      • 善も悪も価値観は人それぞれだから悪ですよなんて言い切られたら はぁ、そうですか。としか言いようがないけど。 関係を持つ事は重い 確かにこれは理解できる。 そこらへんも人に...

        • もちろんです。 人を選別することが悪だから。 自分の利益を相手から得ようとすることが悪だから。 自分の利益の確保は自分自身にだけ影響を及ぼす範囲で実現しなければならない。 ...

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