オナニーみたいなことは、「いけない」って知っていながらやっていたし、
父親の隠してた官能小説や、エロ本を見つけ出して陵辱される場面で興奮していた。
小学生の高学年になると女のひとの身体の機能は大体把握してた。
親はわたしのそんな癖を見抜いていて、兄弟の中で唯一1人部屋を与えられるのが遅れていた。
小学高学年から中学生にかけて、1人部屋を与えられたあとには、
毎夜レイプされる妄想でオナニーしていたし、ダイヤルQ2に掛けまくって怒られた。
中学生になってネット環境が与えられると、官能小説をよみふけり、
ツーショットチャットに手を出して、喘ぎ方やセックスの手順を学んだ。
親のマッサージ機をローターがわりにしていたし、
そんなわたしは、地味すぎる見た目と、奥手すぎて「恋に恋して」おわる青春をすごした。
しかし、時が経つに連れて理想はどんどんたかくなり、「そんな人はいないよ」と周りにいわれるほど
偏った嗜好になっていた。
わたしはマゾだった。理想の男性はわたしを飼って、犯してくれる、ある血液型の、天才肌。
すこし肉付きがよくて、やさしくて、でもものすごくサディスティックな、
一緒にやらしいことをたくさんしてくれる男性。
一緒にいたら殺されてしまうほど、愛が深く、束縛してくれる男性。
そんな人が現れない限り、わたしの処女はそのままだ、と思っていた。
しかし、ある日突然その人は現れた。
わたしの趣味や嗜好、嗜虐的で、でもものすごく奥手で臆病なわたしのことを理解して、
処女を捧げることに敬意をはらってくれた。
すごく怖がりで、人間不信だったわたしをほぐしてくれた。
その人に出会い、恋人になり、肉体関係を結ぶまでに6ヶ月かかった。
処女を失った日は、服の下にM用のレザーボンテージと、いくつかのおもちゃをみにつけて、
知らぬ顔で街をあるき、彼に会ってすぐ、生まれて初めてフェラをした。
わたしが処女を失ったのは25の冬だった。
それまで、わたしの恋愛観はずっと、「理想の人に出会い、一度きりの処女を理想の男性器に奪われ、犯されたい」
それだけだった。
まわりがどんどん恋人を作り、デートをして、セックスをする間も、
何一つ羨ましくなかった。だってわたしの理想はそんなものじゃなかったから。
処女は、自分を愛してくれるひとの愛と引き換えに失うものだと思った。
いまは、ものすごく愛が深く、やさしく縛ってくれる恋人に出会って、
ほんとうに幸せ。
ミソジニーこじらせてんのは自分でも理解してるけどいくらなんでもひどすぎんだろ 毎日毎日アラサーババアのセックス絡んだ自分語りが目について不愉快だ 釣りだろうがコメント乞食...
君みたいなキモオタ童貞野郎も十分キモいので出てってくれると嬉しいなあ
な、女だろ
あなたみたいな男の子大好物よ♪