2012-09-23

菅野よう子という作曲家の引力

彼女の作品に最初に触れたのは∀ガンダムであった。

月の繭の幻想的な世界にただただ呑まれるばかりであった。


その後、幾年か経ち、インターネットもそれなりに発達してきて、彼女を「パクリ」と呼ぶものたちに出会った。

のものたちの提示するものにはこじつけの域を出ないものもあったが、説明を求めたくなるほどに酷似しているものもあった。

商業音楽という仕事上、「コウイウ曲がホシイ」とか、実際にCDを渡して「コレにニセテ」とか求められることもあっただろうし、

人間だもの、どうしても仕事より優先したいものができてしまい、疎かにするといえばいい方が悪いが、とりあえず出来合のもの

済ませてしまうということもあっただろう。

しかし、この邂逅を岐路として、私は、もともと離れつつあった彼女との距離を、自ら広げるに至ったのは間違いない。

その後にどんな曲を聞いていたかは覚えていないが、家にあるCDにはプログレエレクトロニカゲーム音楽映画音楽トランス現代音楽といったもの商店街のように区分けなくひとつにまとまっていた。クラシックは苦手だ。せいぜいドビュッシー以降、同時代のものしか所有していない。古めかしいものは好きになれなかった。

そんなことがあってから、またある程度年数が経ち、私は25になった。周囲を取り巻く環境はめまぐるしく変わった。就職に失敗し、友人とも疎遠になり、実家にもあまり帰れず、両親より好きだった祖父が逝き、私の周りにはたいしたものがなかった。

ふとしたきっかけで(と言ってもネットでそれなりに話題に上ることの多いものというぐらいだ)攻殻機動隊SACを見ることになった。作曲菅野よう子だった。

2002年。私がおよそ中学三年生ほどのころの作品だった。この頃はアニメから離れ、友人たちと部活や遊びで時間を使い果たし、家に帰れば宿題をして家族と話すぐらいだった。この年になってアニメを見るという発想がなかった。

まだ最初の二話しか見ていないが、話の中身より先に主題歌が気になった。いい曲だ。いい曲だ。

飽食ならぬ、飽音楽とも呼べるこの時代で、本当にいい曲に出会えたと思った。

どうして私は彼女と距離を取ったのだろう?後悔しかなかった。

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