『りふれは』として出してくる人がすごく限定的。『不当表示~』の方に到っては実質的に片手の指で足りる程しかいない。だったら「○○派」とか言わずに、その個人に対して批判をすれば事足りるはずなのに、そうはしない。
つまりは学問としてのリフレは支持してますよ、とかの物言いは単なる建前で、実際にはそれを含めたリフレを(おそらく実際にはそちらこそを)貶めたいというのが本心であろう。
姑息な建前を語る彼らに、まともな議論をするのに必要な誠実さは期待できない。
追記:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ea63.html
を読んだが、どこまで卑怯者なんだこいつ。「リフレ派」と同じ読みで且つ小馬鹿にした「りふれは」なんていう表記をしながら、『思考経済のためのラベルとして呼んでいるだけ』って。
仮に小馬鹿にする意図がなかった場合でさえ、詳しくない第三者が見かければ「リフレ派」に対するネガティブなイメージを与えかねない。世の中には、はてブのタイトルだけ見る人も多くいる。
「ロッチ」シールみたいなパチモンをロッテが潰しに行ったのと同じく、「りふれは」なんていう表記が「リフレ派」にとって悪影響があるから憤慨しているのに、
『そう(りふれは)じゃない「リフレ派」までがあたかも自分が攻撃されたかの如く憤慨して筋の拗れた反発をされる』とかってもうね、どこまで理解力に乏しいんだろう。
もっとも、おそらく本当のところは理解した上で「リフレ派」を貶めたいからやっているだろうので、何言っても無駄だろう点が実に不毛だ。
追記2:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9fd6.html
もう完全に確信犯なんだな。どうしようもない、こういう芸風なのだろう。こんな人にシンパ持たれているマシナリさんなどが可哀想だ。
追記3:
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-d273.html
本人からリプがあったみたいだが、リフレ派の中の一部だけを取り出して、それを(リフレ政策を知らない人が見ればリフレ派と同一のものと勘違いしかねない)『りふれは』と表現することへの批判という、この記事の本題は完全にスルー。
そして下らない幼児じみた俺様論理の開陳や、リフレとは本源的に関係の無いミクロ政策の記事の引っ張りだけ。だったら黙ってればいいものにと思うけど、本当のことを言われてしまうとカチンとくるものなのかね。やれやれ。
「『りふれは』ではリフレ派との意図しない混同を引き起すという危険性を指摘されました。今後は『ミクロシバキ派』(でも、混同を引き起こさないものなら何でもご自由に)と呼ぶことにします」と言えば済むものなのに。
もっとも、「『りふれは』と混同させて(シバキに見える政策への支持が多そうな)リフレ派を貶めたい」というのが本心の人には、それは出来なくて当然か。やれやれやれ。
ついでに、マシナリさんも皮肉とは気付いていない模様。やれやれやれやれ。
呆れ返るというのはまさにこのような心情を言うのだな。
『りふれは』と表現した上でそれを貶した文章が、(リフレ政策について何も知らない)多くの人に対して「リフレ派」についてネガティブな印象を与えることがないと思うなら、その想像力の欠如はもはや哀れむべきレベルであるし、ネガティブな印象を与えることが分かっているのなら、その上で「リフレ政策は支持している」という不誠実さはこの上ない。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-ea63.html 見事な呼応。http://anond.hatelabo.jp/20120716230730 の方が古い。
濱口さんは「オツムが濱口傾一郎レベル」や「濱口軽一郎なみの人間性」のような言葉を広められても憤慨せず、またそのようなことをされて憤慨する人などいないとお考えなのでしょ...
学者としては三下以下で、もはや実務家でもない。今やhamachan先生が他人に影響を与えられるのは煽り芸で相手をいらつかせるくらいしかないんだ。 大目に見てやりなよ。
で、その限定的に出てくる人はダメなの?どうなの? ダメなのをほかのリフレ派とやらが批判できなかったり擁護しているなら、全体として信用を無くすのは当たり前だと思うが。
頭が悪いのか、それともおかしいのか。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-5b45.html >陰謀説剥き出しの匿名増田氏のような存在 図星を突かれたことがよほど癪に障るようだ