はてなキーワード: イチケイとは
クソみたいなオッサン達が延々とレスバしてるだけの映画だけど、オッサン達のレスバが本当にクソみたいでめっちゃ楽しいな。
イチケイのカラスみたいな表向きはフンワリしてるけど中身はガチって映画化と思ったら、詭弁のガイドラインさえ分かってねえ間抜け共がドヤ顔で俺は絶対正しいと言い張ってギャーギャー騒いでるだけの幼稚な内容で笑ってしまう。
本当にマトモな奴が全くいないよ。
いい年こいたオッサンが延々と学級会してるって外野から見るとこんなに滑稽なんだなあ。
俺が一番好きなのは「スラム街の連中は生まれついてのカスだからな」「は?俺はスラム街の出身だけど?そうだよな。俺はクッセー掃き溜めの臭いが今でもするよなぁ?」「いやいやお前の話はしてないから」「は?」の流れ、自分の吐いた詭弁に何の責任も持つ気のないカスが流れ弾食らった奴から横レスでガチギレされてる流れは面白すぎて笑っちゃう。
ほんましょーもないなあ……素人の議論ごっこって……低レベルな詭弁の連続につぐ連続、しかもそれ言ってる時誰もが「俺の言ってることなにか間違ってる?完全に俺が正しいと思うけど?」って顔してるんだもんなあ。
職場のつまんねー喧嘩も、仕事上の責任のなすりつけ合いも、くだらん夫婦喧嘩も、世の中にあるあらゆる学級会がこういうしょーもなさを抱えているって改めて感じさせるね。
なんか他にもこういう映画ない?
たとえばイチケイのカラスがまさにそれで、主人公がクソヤローだからそいつがクソミソにしてる人間がやってることを応援したくなる。
読者の心理を上手くハックしていると感心する。
でも大抵の創作者はこれが出来ずに、「主人公を(成長の余地を出すために)嫌な奴にする」「主人公に作者が「正論」として通したい行為をさせる」を同時にやらせてしまっている。
終盤に成長した主人公が、序盤を反省しつつ満を持して作者の推したい価値観を貫き始めるのなら良いが、序盤の成長前ゴミクズ人間に作者のやらせたいことをさせても作品がバラバラに分解してしまう。
序盤から作者の考える「正しさ」を主人公に実行させるなら、主人公は最初から成長しきっているべきだ。
編集者やディレクターなら「これマズいよね。失敗パターンだ」って気づくと思うんだが。
そういった指摘をしあって受け入れ会えるような信頼関係を構築するのを諦めているのだろうかお互いが