今日もまた、ネットで数多くの人々が頭の悪い論争モドキを繰り広げた。
エビデンスがないと認めないなどと言いだす、自称インテリたち。
まるで自分たちが論理の塊であり、他者は知性の底辺であるかのような態度が目立つ。
連中は常に「数字で判断しろ」とか、「それ、n=1ですよね?」とか、統計的に言うとこうなります、などと言葉を振りかざし、頭いいだろ俺?という態度を誇示する。
その一方で、他者を低学歴だの低IQだのと罵倒し、自分たちの低い知性を棚に上げて、知性があるかのようにアピールする。
連中は都合が悪い時ほどデータやエビデンスを要求する。感情論や主観的な意見などは一切受け付けず、データ!データ!と発狂することで、論破されることを避ける。
その姿勢が連中自身の知性を証明するものと信じているようだ。アホ臭い。
特に、低学歴や低IQを持つ者に対して容赦ない言葉を投げかけ、自分たちの優越性を強調する。
それもまた、連中が己の自尊心を保つために執拗に行っている行為だ。
そして、社会的な階層や所属するコミュニティによって知性の差が生まれると主張する。
自らを上層と位置づけ、他者を下層と見下す視点が日常の中で浸透している。
さて、そんな中で自らの知性を保とうと必死になっている連中だが、逆にその姿勢が孤立を招いていることに気づくこともある。
知識や経験の差によって生まれる階級意識は、人間関係に亀裂を生む一因となるようだ。
常に他者を嘲る姿勢は、議論の場でのみならず、現実の人間関係においても疎外感を生む。
連中が優越感に浸りながらも、他者はその高慢な態度に嫌悪感を感じ、距離をとっている様子がうかがえる。
自分はインテリだと示そうとし続けることが、むしろ連中自身を縛り付けているのではないだろうか。
インテリを自称することで、他者とのコミュニケーションが難しくなり、結果として孤独感を募らせているように思える。
優れた人間は都会に出ないと心が死ぬ、などと言及する一方で、他者を下層と断じ、その狭間で、連中は知性や経験を通じて得られる幸福や充実を見失っているようにも感じられる。
このような日々を送る連中は、インテリを自称するあまりに、他者とのコミュニケーションや幅広い視野を失っているように思える。
まあ、エビデンスに基づく思考って他人の行列に並ぶ後追いに過ぎないわけで、”””勝負の世界”””じゃ通用しないからな 誰も気づいていないエビデンス0の道を自ら切り開き他者を...
業界の第一人者が妙な宗教にハマりがちなのもそういう思考に親和性高いからなんだろうか
「数字で判断しろ」とか、「それ、n=1ですよね?」 ネットでこれ言ってるのどう見てもインテリじゃないんだが…
マジでコレ
最近は本当にこれ 数字は改ざんされるから全く当てにならない
数字が当てにならないのではなくて、統計の目的と見せ方の問題だと思います
増田に限定していうならむしろ自称インテリは配慮してもらう必要がある属性だからなぁ まず、n=1って表現使っている時点で弾いていいし、正規分布・非正規分布の概念持っていないか...
インテリは、詐欺体制維持のために嘘をついたり記者会見をして、人を集めるカカシなんで、コミュニケーションを取る必要を感じないのだが。 与野党や法曹がまともに職務をしようと...
話が長い!