2022-07-06

タレント自民党候補当選するということの意味

東京都タレント候補当選した場合意味を考えてみた。

自民党総裁の「議席力」がプラス1される

結論最初に書くスタイルで。自民党総裁岸田文雄の「議席力」というもの仮定した時にそれがプラス1される。それ以上でもそれ以下でもないと思う。

仮定として、各国会議員には基本能力として「議席力」が等しく1で割り当てられていると考える。また、その他の特殊能力挙動個人ごとに細かく設定されていると考える。例えば、「地元建設業の景気が良くなる」「保育園建設が進む」「ワクチン関連法案は欠席する」「任期中に不祥事で辞職する可能性がある」とかであるタレント議員当選した場合には、議員自身の「議席力」が岸田文雄にそのまま付与されることになると考えることにする。

岸田文雄能力全般が増えるわけではない

岸田文雄には、岸田個人議席力に加えて諸々の特殊能力がある。タレント候補当選しても、岸田のそれらの特殊能力には影響しない。例えば、総理として、どの国際会議に出席するかとか、誰と会食するのかとか、そういったことにはそれなりの意味があると思うが、例えば生稲氏が当選した場合に岸田が余分に会議に参加できるとかメシの回数が増えるとかではない。

ただ、岸田氏、さらにいえば自民党行使しうる総数としての議席力がプラス1されるということである

議席力が1増える意味

国会議員トータルで千以下、自民党トータルでも数百でしかない有限のリソースである議席力」が岸田氏に余分に1割り当てられるということはそれなりに影響がある。国会における決定がやや微妙な状況では、党内の揺さぶりも含めて、ラストの数議席キャスティングボートとしての意味を持ったりする。そういう微妙な状況でも、岸田個人付与された追加の議席力1は基本的に揺るがない。国会委員会やあるいは総裁選などでの微妙な票読が必要とされるシチュエーションでは、一年議員の数は安定したものとして数えるのが通例であるのが類似した事例かもしれない。

これは、きれいな言葉で言うならば、岸田文雄自民党に対して安定感と推進力を与えるということであるネガティヴ言葉で言うなら、少々の悪事ではびくともしないような防御力を与えると言うことにつながる。

特殊能力」に全く期待できないという意味

選挙区で、候補者の名前を見て投票するという仕組みのそもそも意味は、政党だけでは決まらない候補者の特殊能力(つまり個性)を加味して投票先を決めるということである。それは、有権者に与えられた権利でもあり、また楽しみでもあると思う。タレント立候補した選挙区では、ポスタータレント名前写真掲載されていても、そのタレント本人に付随する何かに投票していることにはならない。今書いていて気づいたが、「特殊能力が無い」は漢字で書いた時には「無能である。仮に岸田に議席力を与えるという選択をした場合であっても、無能人間投票しなければいけない虚しさというのはある。

べつに議員個人特殊能力を求めなくてもいいという考え

議員個人特殊能力やら個性を求めなくてもいいという見方もある。政党政治を行う上で、それぞれの党派議席数がいくつかということのみが重要だという考えで、確かにそのような考え方でもいいのかもしれない。また、議員特殊能力個性にはネガティヴものもあるのだから、変にそういうものを纏っていないという意味での後ろ向きな優位性もあるのかもしれない。

タレントから全てが無能、無個性だというわけではない

言い訳がましくなるが、ここまでの話とは反する事例は上げようと思えばいくつも上げることができる。例えば、三原じゅん子は、全体主義カラー子宮頸がんワクチン推進、という個性を纏っている。谷亮子議員活動の末期で小沢一郎造反するような動きをしたりしていた。扇千影あたりも元はタレント議員だったと思うが、保守党党首をやったりしてる(どんな能力なのか知らないが)。とはいえ立候補する段階で、なんらの主義主張も見せていないタレント候補に、そのような変化が今後生じると期待するのは難しいと思う。

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