2021-11-14

辞書言葉合意した言葉

辞書言葉は、私たち学校で習う言葉で、まさしく辞書教科書に書いてある言葉だ。

これは厳密に決められていて、七賢者みたいなのがいてその人たちが作っている。

  

それとは別に合意した言葉というものがある。

これはAとBが、この言葉はこういう意味で使いましょうという風に合意して、内部で意味を決めることだ。

  

私たちの混乱はこの辞書言葉合意した言葉の差によるものが多い。

A君は辞書言葉を使い、B君はC君と合意した言葉を使うと、言葉意味がずれてきてしまう。

こういう風に書くと明瞭だが、実際は誰誰と合意たかというものは忘れられてしまう。

合意した言葉使用する人が大部分を占めると(B君はA君とも合意した)、七賢者たちはそれを辞書言葉に適合しようとする。

なぜなら、そうしないと辞書言葉を使う人たちと合意した言葉を使う人たちでコミュニケーションを取れなくなってしまうからだ。

  

実際のところ、合意した言葉なんてものをしなければ、合理的ではないか

賢者たちも無駄作業をしなくて済むし、適合するまでの間の混乱も抑えることが出来るのに!

インターネット時代にあっても、そうはならない。

なぜか?これは辞書言葉を使えない人間をどうすれば良いかという問題がある。

  

例えば、辞書言葉を使いましょうという風に言うことはできる。

厳密に使おうとすると、いちいち調べなくてはいけない。

覚えている人間はいるだろう。しかし覚えていない人間もいる。

結局、そこで行われるのは辞書使用した合意作業だ。

「この言葉は、辞書に書いてあるこういう意味使用しましょう。」という風に。

まだ、これはマシだろう。実際に辞書言葉使用するので意味のズレは少ない。

合意がある時点で言葉意味は変えられているが・・・

  

他には辞書言葉を使わないことを責めることはできないということにある。

まり辞書より現実を重視したり、辞書を誤って覚えていたりなどである

辞書より現実を重視する場合、つまり自分の見たもの以外信じないような場合だ。

そういう生き方もあっていいだろう。

辞書を間違えて覚えている場合、これも責めることはできない。誰にも間違いはある。

本人に間違いを認めさせるのに苦労する。

そう、責めることはできないが、コミュニケーションに支障をきたす存在をどうすればよいか

そこで合意である

まりあなたにもいろいろな考えがあるだろうけど、この言葉はこういう風に使いましょうという合意をするのだ。

無意識的にもそう理解する。

合意した言葉が無ければ、私たちコミュニケーションをとることが出来なくなるだろう。

  

特にインターネットでは、不特定多数の人たちとコミュニケーションを取らなくてはいけないため、合意した言葉使用することが多くなる。

更には匿名ユーザーのため、誰誰と合意したと言われても誰だか分からない。匿名ユーザー全体と合意したように錯覚してしまう。

実際に巨大な合意装置として機能した面もあった。もちろん辞書言葉使用する人たちに大ひんしゅくを買ったが。

  

こういった無数の合意が、私たちを混乱させる。

辞書使用して合意した場合と、辞書使用しないで合意した場合でずれがまた出てくる。

辞書使用して合意した場合は、ソースがあるのでまだわかりやすいが、辞書使用していない場合は、意味が分からなくなる。

  

私たちはどうすれば良いか

まずは辞書言葉を使おう、もちろん記憶の限りでだ・・・

次に、合意した言葉を使う場合は、合意した人を覚えるような習慣が必要だろう。

これはAさんとは合意した言葉の使い方だけど、Bさんとは合意していないなという風に思い出せればよいだろう。(無理だろ・・・)

次に、なるべく辞書言葉から合意するようにすべきだろう。

そうすれば合意もしやすいし、Aさんとは合意できたけど、Bさんとは合意できなかった・・・という混乱の極致のような状況は避けられる。

しかしこれは現実世界で、それも何回もフランクに会話ができるような状況で、だ。

  

インターネット(特に匿名)や会話をする機会が少ない人では不可能だ。

インターネットなら、そのグループで使われる言葉をまとめるのはいい案に思える。

wikiを使うのはいい考えだろう。

しか不特定多数合意をすることはほぼ不可能だろう。それは合意した言葉存在する理由だ。

  

会話をする機会が少ない人は、そもそも合意不可能に近いので

辞書言葉を使うことになる。もし、自分と似たような考えや、自分を知っている人間なら他の人と合意した言葉を使ってもすんなり理解される可能性はある。

  

気づきだろうと思うが、辞書言葉を使うには、学生時代ちゃん勉強していなければならない。

もし勉強できていなければ、その人は辞書言葉合意した言葉の違いが分からないだろう。

もし違いが分かったとしても、自分辞書言葉数の少なさは初対面の人との会話を困難にさせる。(まぁ場合によるが)

辞書言葉が少ないと、人と合意をするのも難しくなっていく。その人の認識する現実とより近い姿ではあるだろうが・・・

しかし私は言いたいのは、辞書言葉合意した言葉はどちらが優れているというわけではない。

空想バベルの塔を建てるか、より現実に近い、町などに住むかの違いでしかない。

実際の神話では、この混乱の責任バベルの塔を建てようとした人間が罰せられるが・・・

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