2021-01-03

信長は筆マメだった

信長というと、短気で気分しだいで人を殺していたとか思われがちだが、

しろ逆で、すべて緻密な計算政治を行っていた。

20年来の宿老の佐久間信盛を解任する際も、暴君なら理由もなしに追い払ってしまものだが、

信長は以下の長文をわざわざ直筆で書いている。

信長による19ヶ条の折檻状(現代語訳)

一、佐久間信盛・信栄親子は天王寺城に五年間在城しながら何の功績もあげていない。世間では不審に思っており、自分にも思い当たることがあり、口惜しい思いをしている。

一、信盛らの気持ち推し量るに、石山本願寺を大敵と考え、戦もせず調略もせず、ただ城の守りを堅めておれば、相手坊主であることだし、何年かすればゆくゆくは信長の威光によって出ていくであろうと考え、戦いを挑まなかったのであろうか。武者の道というものはそういうものではない。勝敗の機を見極め一戦を遂げれば、信長にとっても佐久間親子にとっても兵卒の在陣の労苦も解かれてまことに本意なことであったのに、一方的な思慮で持久戦に固執し続けたことは分別もなく浅はかなことである

一、丹波国での明智光秀の働きはめざましく天下に面目をほどこした。羽柴秀吉の数カ国における働きも比類なし。池田恒興は少禄の身であるが、花隈城時間も掛けず攻略し天下に名誉を施した。これを以て信盛も奮起し、一廉の働きをすべきであろう。

一、柴田勝家もこれらの働きを聞いて、越前一国を領有しながら手柄がなくては評判も悪かろうと気遣いし、この春加賀へ侵攻し平定した。

一、戦いで期待通りの働きができないなら、人を使って謀略などをこらし、足りない所を信長に報告し意見を聞きに来るべきなのに、五年間それすらないのは怠慢で、けしかぬこである

一、信盛の与力保田知宗の書状には「本願寺に籠もる一揆衆を倒せば他の小城一揆衆もおおかた退散するであろう」とあり、信盛親子も連判している。今まで一度もそうした報告もないのにこうした書状を送ってくるというのは、自分のくるしい立場をかわすため、あれこれ言い訳をしているのではないか

一、信盛は家中於いて特別待遇を受けている。三河尾張近江大和河内和泉に、根来衆を加えれば紀伊にもと七ヶ国から与力をあたえられている。これに自身配下を加えれば、どう戦おうともこれほど落ち度を取ることはなかっただろう。

一、水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである言語道断である

一、山崎の地を与えたのに、信長が声をかけておいた者をすぐに追放してしまった。これも先の刈谷と件と思い合わされる事である

一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗南蛮の国でも有名なことだ。

一、先年、朝倉をうち破ったとき(=刀根坂の戦い)、戦機の見通しが悪いとしかったところ、恐縮もせず、結局自分正当性を吹聴し、あまつさえ席を蹴って立った。これによって信長は面目を失った。その口程もなく、ここ(天王寺)に在陣し続けて、その卑怯な事は前代未聞である

一、甚九郎(信栄)の罪状を書き並べればきりがない。

一、大まかに言えば、第一に欲深く、気むずかしく、良い人を抱えようともしない。その上、物事をいい加減に処理するというのだから、つまり親子共々武者の道を心得ていないからこのような事になったのである

一、与力ばかり使っている。他者から攻撃に備える際、与力に軍役を勤めさせ、自身で家臣を召抱えず。領地無駄にし、卑怯な事をしている。

一、信盛の与力や家臣たちまで信栄に遠慮している。自身の思慮を自慢し穏やかなふりをして、綿の中に針を隠し立てたような怖い扱いをするのでこの様になった。

一、信長の代になって30年間奉公してきた間、「信盛の活躍は比類なし」と言われるような働きは一度もない。

一、信長の生涯の内、勝利を失ったのは先年三方ヶ原へ援軍を使わした時で、勝ち負けの習いはあるのは仕方ない。しかし、家康のこともあり、おくれをとったとしても兄弟・身内やしかるべき譜代衆が討死でもしていれば、信盛が運良く戦死を免れても、人々も不審には思わなかっただろうに、一人も死者をだしていない。あまつさえ、もう一人の援軍の将・平手汎秀を見殺しにして平然とした顔をしていることを以てしても、その思慮無きこと紛れもない。

一、こうなればどこかの敵をたいらげ、会稽の恥をすすいだ上で帰参するか、どこかで討死するしかない。

一、親子共々頭をまるめ、高野山にでも隠遁し連々と赦しを乞うのが当然であろう。

右のように数年の間ひとかどの武勲もなく、未練の子細はこのたびの保田の件で思い当たった。そもそも天下を支配している信長に対してたてつく者どもは信盛から始まったのだから、その償いに最後の2か条を実行してみせよ。承知しなければ二度と天下が許すことはないであろう。

また、秀吉浮気したときに、奥さんの禰禰にこのような手紙も送っている。

私の命に従い、この度、この地(安土城)にはじめて尋ねてくれて嬉しく思う。

その上、土産の数々も美しく見事で、筆ではとても表現できない程だ。

そのお返しに、私の方からも「何をやろう」かと思ったが、そなたの土産があまりに見事で、何を返せば良いのか思い付かなかったので、この度はやめて、そなたが今度来た時にでも渡そうと思う。

そなたの美貌も、いつぞやに会った時よりも、十の物が二十になるほど美しくなっている。

藤吉郎(秀吉)が、何か不足を申しているとのことだが言語同断けしかぬことだ。

どこを探しても、そなたほどの女性を二度とあの禿ねずみは見付けることができないだろう。

これより先は、身の持ち方を陽快にして、奥方らしく堂々と、やきもちなどは妬かないように。

ただし、女房の役目として、言いたいことがある時はすべて言うのではなく、ある程度に留めて言うとよい。

この手紙は、羽柴(秀吉)にも見せること。

又々 かしく藤吉郎 女ども

のぶ

  • 短気な人殺しであったことと、筆まめであったことは、別に相反することじゃないぞ。

    • 短気だったんじゃなくてサイコパスっぽいよな 人殺すのも配下に言葉で圧かけるのも何かを成す為で手段でしかない

  • 筆まめってそんな古くからあったんだ

  • こんな手紙が突然届いた佐久間親子は腰が抜けたでしょうね。 子供の頃は、無能を切り捨てる信長かっちょえーとしか思いませんでしたが 歳を取ると物事に対する感想も変わるもので、...

    • 歳取ると尚更信長の知性が見えて好きになるんやけどこの差はなんだろう

      • 歳をとると、という表現が適切ではなかったのかもしれません。 ある日突然、全財産没収の通知が届いたらどういう気分になるだろう? という観点に立つと佐久間親子に同情する。 と...

        • だから仕事してなかったんだから仕方なくね 自分に特権があると思って胡座かいてたら、上司はちゃんと甘えを見てたってだけやろ

          • だから、それが信長に感情移入してるっつってんだろ。 あのなクビになるだけの話じゃないんだぞ? リストラじゃなくて、全財産没収だぞ? ある日突然、仕事も、住む家も、貯金も全...

            • 信長が尖り過ぎてるのはあるけど、命取り合う時代に自分の考えを少しも実現できないような奴手元に置いて置きたくなくね 事実信長の考えが正解に近いから結果残して天下統一するわ...

              • 天下統一してないけどな

                • 生きてたらしてたから謀殺されたんやろ 正攻法で殺せないし勢力覆らない程度には圧倒的だった

                  • つまりしてないやんw

                    • アスペやん 秀吉の天下統一は信長の思想と土壌有りきのモノ なら信長の思想は本物だったって証左やん

              • 信長は天下統一なんかしてない。 天下統一目前に家臣に寝首かかれて死んだ。 なぜ寝首をかかれたのか? そこを考えるといいかもな。

                • 信長の頃の天下統一は畿内

                  • これな、話ややこしくなるんよな。 まあ、この場合は全国統一の話しということで。

                • 学者の間でも答えが出てないのに、君が本能時の変の何を知ってるんやw

                • 事実信長の考えが正解に近いから(同じ系譜の秀吉が)結果残して天下統一するわけやろ 主語は信長の考えで信長が天下統一したって書いてない

    • 普通は偉くなるほど右筆に任せるのに わざわざ自筆したせいで筆が乗っちゃっていらんことまで思い出して 叱責のはずがついノリで追放しちゃった説すき

      • それ本気で面白いな! モニターの前で、笑ってしまった。 でも、なんか笑い話に真面目で返すのもあれだけど 書くことって理詰めで物事を考えすぎてしまうことだから ちょっと注意し...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん