2020-11-07

かつてネットアウトプットは「人を楽しませるためのもの」だった

人生最初ネットに触れたのは2001年だか2002年かのことで、俺はまだ中学生だった。

なので「古のネットユーザー」と名乗れるほどの身分ではない。

当時、ネット接続する環境は既にある程度整っていたし、最初に触ったOSWindowsXPだ。

それ以前の世界を知る先輩方や、年齢層の異なる人達知識には遠く及ばないだろう。それは最初に断っておきたい。


あの頃はPCに触るのも初めてだったから、まずはキーボードマウスの扱いを楽しみ、プリインストールされていたゲームで遊び、ネット視野を広げてから学校友達との繋がりにもなった。

遊びの延長線上で個人サイトを作って隠しページなんかのギミック披露あい、やがては簡単ゲームを作ってみんなで遊んだ

どんなに出来のいい(と自分が思う)ものを作ったって相互リンク以外からアクセスは皆無だったから、設置していたカウンターは仲間内だけでキリ番目当てに必死に回している様な状態で、現代で言う「バズる」なんて現象はあり得なかった時代だ。

からなのか、当時はネットを「議論するためのツール」とは考えなかった。

もちろんMSNメッセンジャー個人サイト掲示板チャットを使って雑談することは多々あったし、某匿名掲示板を覗けばいくらでも論争してる人はいたけど、それはどちらかというと「お遊び」で、ネットのメインは創作活動だった。

いか面白い情報を漁り、いか面白いことするかに焦点を当ててネットと付き合っていた。

黒歴史しか思えない痛々しいポエムだって、読んだ人がきっと感心するだろうという自信を持って載せていた。


ああした世界観が長続きしないものであるということは理解している。

YouTubeが世に出て、ニコニコ動画流行り、やがてみんな大人になって勢いは落ち着いて、色々と整備されながら世代は移っていく。そこに反感はない。

けれど、それで残るものが「SNS上の論争」なんだろうか。

あの頃の世界の行きついた果てが、ロジックをこねくり回す、どちらが正しいかを決めるだけの合戦だと?

もちろん、これは俺の観測範囲問題なんだろう。嫌なら見なければいい。その通りだ。実際、いつもはそうしている。


しかしお前ら、わかっているのか。

そこは「SNS」だとか「はてブ」だとかたいそうな名前がついているが、あの頃の個人サイト掲示板チャットの延長線なんだぞ。

  • まあ増田の微笑ましい関わり始めはともかくとして、参加する人が地球全人口に近づくほど、そこは往来と変わらなくなるんだなあ(社交性も危険性も)

  • インスタって画像掲示板の発展系だよね

  • ぶっちゃけ文字数が限られていて(限られていなくても長文は全部読まないユーザが多い)引用が出てくることもデータが出てくることも少ないSNSを論争に使うほど不毛なこともないよな。...

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