2017-06-10

なぜころ問答2017

はてなでは古典的な問い?受講しているビジネス文書の社外研修で「人はなぜ、人を殺してはいけないのか」というテーマで、「反論と再反論」をA4一枚でまとめろ、との宿題が出たので

花畑なりに張り切って書いてみた。や、本気でそう思ってますから

設定したターゲットは、ホームグロウン・テロリスト予備軍。

以下本文。

人はなぜ、人を殺してはいけないのか

私は、あなたに人を殺して欲しくない。私は、全ての人類が、人を殺したいとは思わない状態を望む。なぜならば、殺人事件戦争紛争で人が殺されるニュースは、私を悲しませるからだ。例え事件当事者が私や家族無関係だとしても、私は悲しい。いや、そのニュースが私に関係ないとは思えない、と述べた方が正確だろう。

あなたは、「遠くで起こる殺人は、私に全く関係ない」「他人が殺されても、私は悲しくない」と反論するかもしれない。殺されたのは私ではなく、私と関係ない他人だ、と。

しかし、そう考えるのは、「殺されたのがあなた関係者でなかったのは、偶然でしかない」という事実考慮していないからではないか。殺されたのが他人だったのは、単に偶然である

私は、シリア惨状について知ったとき、「シリアに生まれなくて良かった」と思ったことがある。自然とそう思ってしまったこと自体が、とても悲しかった。ただ、考えてみると、私やあなたシリアではなく日本に生まれたのは、実は偶然でしかない。私たちが両親を選べないのと同様に、私たちは生まれ場所を選べない。また、無差別テロ被害に合うことも、偶然でしかない。その端的な事実を突き詰めると、あのとき殺されたのは私だったかもしれないし、これから殺されるのは私かもしれないということになる。

あなた殺人戦争ニュースに触れても悲しさを感じないとすれば、それは「偶然の生」という事実から目を背けているからだ。「人は、偶然、ある国のある両親の元に生まれる」という事実は、忘れられがちだが、全人類の前提条件である。その前提に立てば、私にとって、殺人戦争は、人類の「自殺」のように思える。そう考えると、「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは、「なぜ自殺をしてはいけないか」と置き換えることができる。

私も、恥ずかしいことを思い出して「死にたい!」みたいな奇声が漏れるのはしょっちゅうだけど、基本的には自殺はしたくないし、あなたにも、自殺はして欲しくない。だって自殺は悲しいから。

自爆テロを謀る人は、こう考えているかもしれない。「人類は愚かだから自殺すべきである」と。「私が中東貧困な家庭に生まれあいつが欧米の裕福な家庭に生まれたのは偶然で、確かに、逆の人生だった可能性もある。確かに生は偶然だが、そんなことは関係ない。不平等な世の中になったのは、あいつらの責任だ。『自爆テロ人類自殺だ。自殺は良くない』といった正論は私には響かない。私の死をもってでも償わせたい」と。

そのように考えている人に、言葉を届けることは難しいかもしれない。しかし私が、自爆テロを謀る人、あるいは鬱で自殺を考えている人に伝えたいことは、「あなた死ぬと、私が死ぬことのように悲しいから、自殺するのはやめて欲しい」ということだ。

あなたとは生まれ場所が違うし、人種も違うかもしれない。しかし、同じ人類として、あなた死ぬと私は悲しい。だから、人や自分を殺してはいけない。

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