はてなでは古典的な問い?受講しているビジネス文書の社外研修で「人はなぜ、人を殺してはいけないのか」というテーマで、「反論と再反論」をA4一枚でまとめろ、との宿題が出たので
お花畑なりに張り切って書いてみた。や、本気でそう思ってますから!
設定したターゲットは、ホームグロウン・テロリスト予備軍。
以下本文。
私は、あなたに人を殺して欲しくない。私は、全ての人類が、人を殺したいとは思わない状態を望む。なぜならば、殺人事件や戦争・紛争で人が殺されるニュースは、私を悲しませるからだ。例え事件の当事者が私や家族と無関係だとしても、私は悲しい。いや、そのニュースが私に関係ないとは思えない、と述べた方が正確だろう。
あなたは、「遠くで起こる殺人は、私に全く関係ない」「他人が殺されても、私は悲しくない」と反論するかもしれない。殺されたのは私ではなく、私と関係ない他人だ、と。
しかし、そう考えるのは、「殺されたのがあなたや関係者でなかったのは、偶然でしかない」という事実を考慮していないからではないか。殺されたのが他人だったのは、単に偶然である。
私は、シリアの惨状について知ったとき、「シリアに生まれなくて良かった」と思ったことがある。自然とそう思ってしまったこと自体が、とても悲しかった。ただ、考えてみると、私やあなたがシリアではなく日本に生まれたのは、実は偶然でしかない。私たちが両親を選べないのと同様に、私たちは生まれる場所を選べない。また、無差別テロの被害に合うことも、偶然でしかない。その端的な事実を突き詰めると、あのとき殺されたのは私だったかもしれないし、これから殺されるのは私かもしれないということになる。
あなたが殺人や戦争のニュースに触れても悲しさを感じないとすれば、それは「偶然の生」という事実から目を背けているからだ。「人は、偶然、ある国のある両親の元に生まれる」という事実は、忘れられがちだが、全人類の前提条件である。その前提に立てば、私にとって、殺人や戦争は、人類の「自殺」のように思える。そう考えると、「なぜ人を殺してはいけないか」という問いは、「なぜ自殺をしてはいけないか」と置き換えることができる。
私も、恥ずかしいことを思い出して「死にたい!」みたいな奇声が漏れるのはしょっちゅうだけど、基本的には自殺はしたくないし、あなたにも、自殺はして欲しくない。だって、自殺は悲しいから。
自爆テロを謀る人は、こう考えているかもしれない。「人類は愚かだから自殺すべきである」と。「私が中東の貧困な家庭に生まれ、あいつが欧米の裕福な家庭に生まれたのは偶然で、確かに、逆の人生だった可能性もある。確かに生は偶然だが、そんなことは関係ない。不平等な世の中になったのは、あいつらの責任だ。『自爆テロは人類の自殺だ。自殺は良くない』といった正論は私には響かない。私の死をもってでも償わせたい」と。
そのように考えている人に、言葉を届けることは難しいかもしれない。しかし私が、自爆テロを謀る人、あるいは鬱で自殺を考えている人に伝えたいことは、「あなたが死ぬと、私が死ぬことのように悲しいから、自殺するのはやめて欲しい」ということだ。
あなたとは生まれた場所が違うし、人種も違うかもしれない。しかし、同じ人類として、あなたが死ぬと私は悲しい。だから、人や自分を殺してはいけない。
他人にされたくないことは、自分もやらない。 だが、相手がそれをしてきたら、自分もやるだろう。 ゲームの理論だよ。
はてなダイアリーよく読んでた頃に盛り上がってた話題、11年前か。 なぜつまらない答えばかりなのか、ということもちゃんと書いてある。 http://michiaki.hatenablog.com/entry/20060322/1142957691
悲しいというよりも、関心が持てない。いちいち悲しんでられない。
かつて人を殺せという時代もあったが自分は死にたくないと思った権力者が人を殺してはいけないってことにした名残である。
世界中の すべての 常識ある 国家と 国民は、 進歩と 発展を するためには、 お互いの 理解と 友情が 大切であると 考えています。 一人一人の 人生における...