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はてなキーワード: オナマスとは

2023-05-29

惡の華、プンプン、オナマス青春ジュブナイルが大好き。

青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。

凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…

みたいな。

中高生だかの頃、まさに当事者だった時にも読んだけど、当時はあんまりテーマ理解してなかった。

なんか変態的でショッキング作品くらいに思ってて、そういうのに惹きつけられる年頃だから読んでたって感じ。

まあ青春当事者青春について言及する大人を非常にウザく感じるものだし、そういうもんだと思う。

若さ大事しろよ~と語る大人への死ねカスという思いは今でもよく覚えてる。

何を描いてるかをはっきりと意識したのは20前後になってからだった。

でも10代の頃も、ジュブナイルだの自意識だの定型的なワードに頼らず、肌感覚で描かんとするものに接近してたような気もする。

読んだ後の諦観や爽やかさの入り混じったような感情や、心の中の大事な部分を突っつかれたような感覚はまだギリギリ覚えてる。

この手の作品ってどれもこれも「自意識の殻を破り、凡庸さを受け入れて生きていく」みたいな似たり寄ったりの着地点になってしまってなんかなあって思う。

もちろんその結論大正義って訳じゃなくて、物語の示す過程がその平凡な結論に納得や実感を持たせる所に意義があるんだけど。

それでもたまには違うゴールがあったっていいじゃんねって思う。

スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期自意識というテーマからちょっとズレる。

普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?

美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間自己弁護だが?

でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にいから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?

つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。

そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。

ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。

そもそもまれなさそう。

まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。

ただ、中年危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。

ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?

今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。

フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイヨナラと決別できるものではないっぽい。

押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。

これは邪推だけど、思春期延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。

何かしらの納得という重しもなく雰囲気ふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。

まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。

例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。

これはジュブナイル作品主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生リアリティがありましたと。

あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。

私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズ愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。

このまま40,50になったらもう妖怪になってしまうな。

そういう人らを別にキツいとも思わんけど、ふつうにんげんに擬態する身としてはキツイと言っておかなければならない。

それが社会性ってもんなので。

なんてことをあれこれ考えていた折、『桐島、部活やめるってよ』を観た。

ラストシーン映画部の底辺オタク神木隆之介イケてるグループ東出昌大の会話がとても良かった。

8mmカメラについて触れた東出に、オタク特有早口で嬉しそうに説明する神木

カメラを向けてインタビューする東出に「将来はプロですか?」と訊かれ、少し表情を変える神木

予算撮影場所もロクにない。8mmカメラで撮るのは手作り感満載の不出来なゾンビ映画

きっとプロになんてとてもなれない。でも、時々「憧れ」と接近している気持ちになれる。

フィルムは手に入らない、現像は面倒、画は汚い8mmフィルムにも、ビデオにはない味があるはずだと信じながら映画を撮る。

「生きるとは…」とまではっきりはしなくとも漠然とそんな悩みを抱えてた東出は、そのやりとりで涙を浮かべる。

素敵な作品だなと思いました。

言ったら自己満足趣味な訳だけど、それを心から愛せるのなら人生の芯に成り得るはず。

それは10代の頃の自分が辿り着いた結論と丸っきり同じだった。

思春期自意識は、自分の内なるものを形にしてみたい気持ちにさせる。

あるいは、なにかくりえーてぃぶな事でチヤホヤされたいという程度のものかもしれない。

でも誰もが才能がある訳じゃない。どこかで折り合いをつけなければ。

だったら自己満足でもいい。心から愛せるものなら、それはきっと確かな納得になるはず。そういう折り合いの付け方もある。

古今東西、陰気ボーイズはそういう結論に辿り着くものなのかもしれない。

でも『桐島~』の神木隆之介と違い私の「好き」は漠然としたもので、自意識を抑える重しとしては軽かったっぽい。

もっと真摯カルチャーを愛したい。

ほどほどにふつうにんげんをやりつつ、奥底では変態でありたいねクソムシでなく。

まあホントは今でも全然草野マサムネ志村正彦みたいに思春期イノセンスを卓越した言葉選びで紡ぎたいし、ついでにチヤホヤされてえんだけどなァ~

2023-02-22

anond:20230222183340

抜くということ自体不浄なのに処理したのの処分にいちいち困ってるの草。そのままいか臭い部屋臭いパンツで過ごせよ。

発達障害の布団オナマスターより。

2016-07-08

[]映画聲の形PV

なんか主人公とらドラ!のりゅうじみたい

手話とか微妙ニュアンスを伝える必要がある場面がおおいから、京アニじゃないと難しいだろうなって思った

あと手話ってアニメでやるとすっごく大変そう

アニメーターのちからが試されるっていうか

個人的には作中のデブ主人公との立ち位置関係が、オナマスクロサワアフロのそれとダブる

ベランダのあのシーンまでやるっつうことはかなり急ぎ足になるんだろうなあ

植野とのカラミとか映画制作とかすっとばしそう

植野が一番好きなんです

ロリコンにはたまらんとです

2015-10-11

ぼくがKADOKAWA×はてな小説投稿サイトに一番求めること

http://kaku-yomu.kadokawa.jp/

アイディアとか意見かいろいろ募集してるみたいなので増田ちょっと書いてみる。

縦書きがどうのとかルビがどうのとかそんな瑣末なUIの差ぶっちゃけどうでもいい。

自分が一番この企画に求めることは「『小説家になろう』とかい小説投稿サイトを潰す」ということだ。

Web漫画って面白いよね。

ワンパンマンのバトルは熱いし、オナマスも捻くれてて面白い

商業物に限定してもバトルラブコメギャグスポ根といろんなジャンルがあって、いろんな作品評価されてて、

自分Web漫画という存在を知った際は本当にいろんな作品を読んだ。

勿論画力作品全体のクオリティに差はあったけれど、普通の商用誌に載ってる作品と遜色ない

クオリティ作品無料で読めるWeb漫画を読めば読むほど好きになっていった。

そして自分Web小説という存在を知った。

Web漫画がこれだけ面白いのだからWeb小説はどれだけ面白いんだろう」自分は期待した。

どうやらWeb小説というのは『小説家になろう』という小説投稿サイト投稿するのが最もスタンダードらしい。

ということで無難にそのサイトランキングを少し見てみた。

ニートが異世界転生してチート能力で云々~」

おう、いきなりパンチの効いた作品があるな。

でもこういう作品需要あるのかな。別の作品にも目を向けてみよう。

ネトゲ廃人RPG世界に転生して美少女ハーレムをかんぬん~」

なんだこれは、よく見たらこんなのばっかじゃないか。

もしかして変なカテゴリランキングを見てるのか?

とりあえず安全そうな文学カテゴリを見てみよう。

魔王に異世界転生して美少女勇者が~」

「異世界転生してツンデレお嬢様と~」

いやいや、おかしいだろ、なんで文学カテゴリがこんなエロ漫画みたいな作品で溢れてるんだ。

運営は何も言わないのか?

じゃあもっと安全にこのサイト経由で出版した作品というのを見てみよう。

オタクゲーム世界に閉じ込められて~」

「気づいたらネトゲ世界に転生していて~」

自称劣等生が魔法で~」

なんだこれは、もはやこれは小説家になろうじゃなくて異世界転生小説家になろうじゃないか。

なんでこんなただでさえクラスヒエラルキー最下層のオタク向け非難されやすラノベの中の更に気持ち悪いところを凝縮したような作品ばかりなんだ。

いや、勿論食わず嫌いはよくないと思いその手のジャンル作品を読んでみて面白い作品存在するということは知ってるし、

ランキングの外を探せば異世界生物以外の普通ミステリーとかもいっぱい存在することは知っている。

しかし、ランキング出版されてる作品がこの手のジャンルに埋め尽くされてるということはそれ以外の作品が正当に評価される機会がどんどん奪われているということで、

Web漫画場合個人的感覚として、一定以上のクオリティ作品投稿している作者は大体出版社に声をかけられて近いうちにプロになるか、自分がその作者の存在を知ったときにはもう既にプロになっている印象なのだが、

Web小説でこの流れをやるには

「一旦小説家になろうで異世界転生小説を書いて注目を浴びる」

「なろうの運営元?の出版社からお声がかかる」

「異世界転生作品出版した後に普通ラノベを書く」


という流れになっているようで、Web小説家として注目されてプロになるには

一旦なろうで異世界転生小説を書くというクッションが必要になっているらしい。

これはもう狂気の沙汰じゃないか。

小説家になろうという小説投稿サイトスタンダードになって、

そしてその中で異世界一辺倒に歯止めがなくなってからWeb小説という括り

自体クラスヒエラルキー最下層の人間向けになってしまっているようだ。

KADOKAWAはてなには是非この風潮をぶっ潰してほしい。

小説家になろうかいWebサービスを、「あーあの昔流行ってた異世界転生好きのキモヲタ共の隔離場所ねw」

くらいの扱いになるまで叩き潰してほしい。

面白い作品投稿する作者がいたらジャンルを問わず正当に評価されて、出版という形でもご褒美を与えられて、

Web小説というジャンル自体を一部のキモヲタしか楽しめない腐ったコンテンツから

小説好きなら誰でも楽しめるコンテンツ昇華する、そんな小説投稿サイトを作ってほしい。

まあ、第二のなろうになる可能性も少なからずあるとは思うけども・・・

2015-07-23

超克的な挑戦が始まった

 28歳、元童貞2015年、夏。

 俺は膣内射精障害、いわゆる無漏症だった。それは、くしくも童貞卒業した瞬間に約束されたものだったと思う。ヌルッ、あれ? あんまし気持ちいくない・・・いや、動かせば違う筈だ。ズコッズコッ、あれ? これだけなのか? そんな・・・何かの間違いだろう・・・こんなバカなことが・・・いや、まだだっ。まだ終わらんよっ・・・ズコズコズコ・・・あ、足疲れた・・・ズコッ・・・イ、イケない。そして、その日、俺が射精することはなかった。いや、正直に話そう。今に至るまで、イケたことはない。

 彼女には機会があれば挿入してきた。全部で5回くらいだろうか。彼女には膣内射精障害についてインフォームドコンセントをしておいた。そのため、瑣末なすれちがいなどは起こりようがなかった。このチンポはニセモノじゃないし、君に責任はない(処女であった彼女自分が変なのかしら、とよく言うのだ)。俺のおチンチン様もお元気であるからして、すべての原因は今までに繰り返されてきた間違ったオナニーなのだ、と俺は言った。床オナのジェスチャーやAVを実際に見せながら、丁寧に。経緯を知った彼女が「ばかぁー!」というのは可愛らしかったが、イケないという現実に変わりはかった。

 実を言えば、予感はあった。膣内射精障害について、その存在を知った時から、ずっと。俺は幼少~少年時代は足ピンの床オナマスター。家族が集っている居間こたつの中でも事を成すほどの常習犯であった。そう、まるで近親相姦エロマンガのように日常的に床オナしていた。その後、高校生になると、きちんと棒をこすったオナニーをやるようになったが、大学に入って独居で自由ネットできるようになると、AV&エロマンガ漬けのオナニィをやり始めたのだった。加えて、その握力とピストンスピードは徐々に加速していったようである。かくして、不漏の申し子は生まれ落ちた。

 もしも、膣内射精童貞卒業帰結となるならば、私は未だに童貞である。そう。このままであれば、生涯童貞。その言葉が、頭の中で閃く。それゆえ、自覚する前から俺は決意していたのだと思う。挑戦しなければならない。どれだけ圧倒的な不利、極悪な難易度のオナニィ矯正であろうと、やりとげる。彼女の中に射精するため、それだけのために。

 膣内射精障害について検索した結果、現れた電子の糸をたよりに俺は旅をした。アノニマスな人々の体験談や怪しい広告サイト無料相談室やクリニックの解説、まとめアフィ、無人の廃墟たる掲示板はてなダイアリーなどなど、多くのものを俺は見ることになった。生涯童貞を誓う連中は笑い、童貞中退になりそうな宙ぶらりんの俺の仲間達は皆、苦しんでいた。あるいは、克服した先輩も含まれていた。諦めていると書いている奥さんのブログがあった。そこには多くの人の人生が詰まっていた。俺は多くのものを見た。その間、季節が移り変わったような気さえしたが、30分が過ぎただけだった。もしくは、俺は異なる位相に入り、何かを持ち帰れたのだろうか。受け取ったのだろうか。いや、まだ、それはわからない。重要なことは、俺がこれからやることなのだ。

 膣内射精障害矯正方法は、現実との隔たりを如何に無くすか、ということに尽きるようだった。すなわち、

 何も見ず、イメージによってのみ、抜く。

 ゆるめのオナホで優しくゆっくり、抜く。

 実戦さながらの体位で、ゴム付けて抜く。

 また、別の見地から実際のピストンを楽にするためのトレーニングも不可欠だと思われた。要するに、

 股関節ストレッチングで楽々ピストン

 腕肩足の筋力強化で、意識を性感に集中。

 ということになるようだ。

 さて、語ることは語った。後は活目せよ。俺は抜く。俺も男だ。やってやれないことはない。名器の品格、アストロライドを両手に携えた裸の男は、ついにトレーニングを始めるのだった。いつか、このことを、娘や息子、孫達にゆっくりと話せる時が来ればいいな、とその男はどこかで考えていた。

 

  

  

 
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