2013-06-03

夢想癖に耽って十年経つ。

小学生の頃は、お下がり自転車ではなくて

自転車専門店で親と見た自転車を乗り回す自分だったり、

姿見に姉の服を充ててちょっと背伸びをしてみたりと

可愛いものだった。

中学・高校の頃になると、結局袖を通さなかった制服だったり、

美術時間だけ仲が良かった将棋が好きという知人の部屋の様子だったり、

轟音をたてて通り過ぎる貨物列車で轢死体となった自分だったり、

実用的な妄想に耽ることが多くなった。

進みたいときに、止まりたいときに、ちょっと弾みを付けるための材料

大学生になって、受験に失敗したことから、虚栄心だったり、逃避心が強くなったように思う。

Twitterで知った他校の教授講義なんかに潜り込んで、

最初から最後までその学校学生の振りをして、私は学生なんだってキャンパスにいる間、信じてた。

仮面浪人って実力行使の道もあったはずなのに、安易な道を探して。

今、洗濯した服がこれしかないんだと

から手に入れたカルテクTシャツを部屋着にしてた。文系なのに。

そして、今、夢想癖がまた新たな段階に入った。

同性の友人へ告白するというわけがからない妄想に。

きっかけは家飲みだった。

今の家に初めて他人を迎えて、ご飯を食べてお酒を飲んだ。

本棚に置いてあった漫画の作者の共通のファンであることが発覚したり、

見に行った映画主人公がウザ可愛い感想を共有したり、

ひとしきり盛り上がった後で、ゆっくり沈黙が訪れた。

語る言葉もなく、惑う視線を天窓に固定しようとした時、友人の掌がちょいちょいと動くのが見えた。

友人の指が向かう先で、開け放した窓から時折舞い込む夜の風にさっき読んでいた漫画のページが捲れようとしていた。

天使がめくったのかもね、とぽつりと漏らしたら、友人が盛大にビールを吹き出した。

その日は終電があるというので、普通に別れた。

昔読んだ本の慣用句で、こういう沈黙天使が間を通り過ぎる、なんて聞いていたか

大真面目に使ってみただけなんだけどな。駅まで送った後も、もやもやが取れなかった。

そういうことがあってから半月ほど経って、ベッドに転がる度に

なぜかあの時のことを思い出すようになった。

月も静まりかえった時間に窓を開けて、

あの時にかける声を探すようになった。

天使がめくったのかもね、

天使が今通り過ぎたね、に変わる言葉

知人に自然と酔いが回るための言葉

告白みたいに、引き返せない言葉

どんな言葉をあの時選べばよかったの?

もう何度も何度もコンティニュー

繰り返してる。

ロードして選択して

ロードして選択して

ロードして選択して、いつまでも

どうすれば、止まるのだろうか。

これを止めるための新しい夢は久しく来ていない。

焦燥感が胸を打つ。もう早く次の夢が来て欲しい。

あの時を超える時間が早く欲しい。

この夢想癖を根本的に治す方法があるならそれでもいい。

ひとりでに始まる寝物語が今は辛い。

多分今日も始まると思う。

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