2013-05-28

お人形さん辞めます

 わたしは感情を表に出すのが不得意なことがあって、何かと面倒を見てもらうことが多かった。生まれてからの十数年で、周囲の顔ぶれはがらりと変わっている。それでもいつも、少しうつむくことがあると「おなかへったの。お菓子でも食べましょうか」とビスケットだのをいただけたり、おでかけのとき何の気なしに見ていたお品物を買っていただけたりしていた。その様なことに感謝はすれど、特ににの疑問も抱くことはなく、微笑んだり、「ありがとう」と言ってみたりして、楽しい毎日をすごしていた。

 すこし前からとある青年とお付き合いをさせていただくことになった。彼もわたしも同性ばかりの学校に身を置いているため異性になれておらず、お互いにあいさつを忘れ、ほとんど言葉も交わさず、仲人である共通のお友だちの質問に首を振るばかりだった。そんな出会いであったため、わたしの周囲は心配したがとても運が良かったらしく、共通の趣味を有していることもあり、仲はすこぶる良好だ。現在は手をつなぐのもためらうほどの清い交際を続けつつ、いつ互いの両親に相手の顔を見せるかというタイミングをはかっているところである

 年のちかいことが信じられないようなビルのように高い背や、聞き覚えのない張りのある低い声に戸惑った。だがもっとも戸惑ったのは、彼がデートの予定を決めるときに「○○ちゃんはどこに行きたい?」と、わたしの意見をあおいだことだ。その問いを投げかけられたときに気づいたが、今まで自分でなにかを選んだことがほんとうに一度もなかった。ぼんやり振り返ってみると、お出かけのお誘いはいつも母かお友だちからで、わたしから声をかけたことなんてなかった。「美術館に行きましょうよ」と言われれば頷き、「百貨店に行かなきゃね」と言われれば頷き、「新しい水族館ができたの」と言われれば頷いた。「どこに行きたい?」は初めて聞く言葉で、心底「このひとは一体なにを言っているんだろう」と不思議だった。ほぼ反射的に「わたしはあなたと行くならどこでもいい」と答えたが、彼も「ぼくも一緒ならどこでもいいよ」と答えたため、わたしの言葉はあまり巧い返しにはならず、甘酸っぱい思いをしただけだった。結局そのときは決められずにまちをぶらぶらと散歩して、喫茶店書店雑貨店をのぞいたりした。

 小さいこから、褒め言葉定番の「まるでお人形さんみたいね」をいただくことに至高の喜びを感じていたが、外見だけでなく中身までもお人形さんだったわけである(余計なはなしだが、ただ「かわいいね!」といわれるよりは「お人形さんみたい!」と具体的に言われるほうが、女の子はうれしいことが多い)。「感情を表に出すのが不得意」なのではなく、なにかを選択することができなかったのだ。たまごが先かにわとりが先かは分からないが、選ぶことができないのと、周囲が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれのを繰り返したことで、結局そうなってしまったのだろう。ただ、この年まで疑問も嫌悪感もなくそうして生きてこられたことは、ほんとうに幸せなことだと思っている。

 しかし、せっかく気づいたのに、このまま今までどおりたゆたって生きていくのも惜しい気がする。最近は積極的により幅広いジャンル雑誌や本、様々なブログ読んだりして、自分の好みや考え方の確立をはかっている。徐々に自分世界観ができあがってくると意思表示もできるようになって、以前よりは周囲に感情をさしはからせたり、同行の方に何かを買わせてしまったりということは少なくなった、とわたしは感じている。ごくたまに「前の生活のほうが楽だったかもしれない」と思うこともあるが、今のところはとても楽しくくらしている。

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