はてなキーワード: 集団とは
ホモソーシャルとは、女性及び同性愛を排除することによって成立する、男性間の緊密な結びつきや関係性を意味する社会学の用語。
フェミニズムの議論でよく話題になる「ホモソ」なる概念だが、むしろ男性を排除した女性同士の結びつきの方がよっぽど周りの人に害をなしてない?っていつも疑問に思っている
最近職場で女性版ホモソ集団のせいで色々と不愉快な思いさせられたので、ストレス解消に女性版ホモソ仕草と害悪のあるあるネタをここに羅列していこうと思う
女性は自身の彼氏や旦那の惚気話や愚痴を吐きあうことで連帯感を強めることをよくする
このとき彼氏や旦那のプライベートな情報を躊躇なく暴露する女が多すぎる
特に最悪なのはセックスの上手下手、セックスレスの不満などのシモに関する話のとき
男性同士ならば自身のパートナーの性事情なんて一切口にしないだろうが(相手への配慮もあるし自分のパートナーへの独占欲もある)、女性同士だとためらいもなく口にする
あるある1にも共通するが、女性のホモソ社会はとにかく人の噂話が好きすぎる
人のプライバシーに関わることを仲間内で拡散しまくってあれこれ感想を言い合うことで連帯を強めるっていう醜悪としか言いようのないホモソ仕草をみんな当然のように行っている
しかも大抵グループの中で出てくる話題は自分が嫌っている人の傷を晒すような代物ばかり
それでいて当の本人に不平を訴えることはせず非生産的な仲間内での愚痴の言い合いに終止するから手に負えない
女友達の多い男は普通に同性からも好かれている場合が多いと思うけど、男友達の多い女は100%同性からは嫌われている
男のホモソの特徴は女性蔑視と同性愛嫌悪とのことだけど、女版ホモソの方がこの病理は根深いと思う
男友達が数人いるだけでビッチ認定して誰も友達にはなりたがらない
そのくせ恋愛ごとについては異様に興味関心があってグループないで誰か彼氏ができたりしたら「おめでとー」なんて盛り上がってみせる
一体どういう宗教観してんだろあれ
女のホモソはグループ内の意に沿わない人間に対する攻撃性が極端に高い
これはよく学校で起こりがちなことだしみんなも普通に経験していることだと思う
とあるグループのリーダー格の女の子(A子)がある男子を好きになって、グループ皆でその子の恋愛を応援していた
その男子は恋愛に興味ないって言ってA子を振ったんだけど、そのことにグループの女の子みんなが大激怒
女のホモソはとにかく自他境界がガバガバすぎるうえに感情的に喚き散らすことに躊躇いもないから人様に迷惑をかけまくることになる
なにも悪いことをしていない人も「私たちの気分を害した」という理由で吊し上げるし、醜悪なことに本人たちはそれが正義だと思い込んでいる
お局様がいる職場で、かつそのお局が上長から腫れ物を触るようにあつかわれているときに起こりがちな女版ホモソ
システム改修でこれまでやってた手続きのやり方が変更になるよーといった事態のときにとにかく女は徒党を組んで反抗しまくる
業務命令なんだから大人しく受け入れるしかないのにいい歳して「〇〇さんもそうだよね!?」「ねー!絶対嫌だよね!」みたいな連帯をして意見しまくる
特にその命令を下したのが男だったりすると職場内いじめをしかけて疲弊させようとしてくる(実話)
職場の女ホモソグループは社会人として当たり前に備わっているべき社会性が欠落している上に感情で動くし女だからって理由で詰められることもない
女のホモソに苦しめられている人って世の中にはもっとたくさんいるはず
正直自分は男のグループより女のグループに不愉快にさせられることのほうが多かった
①世間話を普通にする関係になる段階、同性と同じようにフラットに接しろ
②仲良くなりたい意中の相手がいる場合、知人から友人やナシの枠に入れられる前に異性として意識していることをそれとなく伝える
対象がいるかいないか、会話をする関係かそうじゃないかの段階と前提が違う話をしているよね
②は増田のタイトルでもチンポの出し方とかいう直球タイトルになっているのが秀逸だと思う
イケメンが周囲の女に異性として扱うムーブを振り撒いてたらモテまくりだと思うがなんかキモい人が全員にチンポを出していたらキモいやつ一直線で何もプラスにならない
②を普通の人間として接しろと矛盾するとキレている人は全ての女にこれをするつもりなのだろうか?自分が実践すると考えた時に人間関係を築く場面というのが全く想像できていない
不特定多数の女性に対して①をして普通に存在できる人として受け入れられたら誰かが自分を好きになってくれるということがある、という話と、その不特定多数の中で恋愛したい対象がいるという状況で意識して貰うための手段②の話は全く別物(出会いを目的にしているマチアプとかだと①をベースにして②でいいのかもしれない)
ここまで話を詰めると②を釣り合わない美人や可愛い子にだけする男がいたら集団に属していてもキモがられるだろうな、それを男がアプローチしたらキモがられるとキレてるやつもいるだろうなと思いいたった、本人は恋だと思ってるが下心でしかないやつだったり、完全な足切りにあっていて拒否られているパターン
このケースは②で相手に引かれたら絶対に追わないというルールでカバーされているが、自分を客観視できない弱男には見た目でしか女を判断できない男というレッテルが世の中に出回って重要視されていること、そこに見た目や格での釣り合いという矛盾する残酷な価値観を加味してジャッジされているという事実が納得できないのかもしれない、そこは結局本人に気があるかどうかは気まぐれでもあるし、どこまでの現実の恋愛のパワーバランスに尽きるということで飲み込むしかない
もしどうしても無理目な相手を本気で好きになった場合は①をやって相手に惚れてもらうという戦略もあるが、それはぬいペニの擬態の最上級にはいるので信頼に裏切りが勝った場合は手酷い拒絶をくらうことになるし、相手を傷つける、諸刃の剣だ、机上の空論と揶揄されるのはこういう性質のせいかもしれない
自分を最弱に置いて無理目な女を好きになるというダメなタイプの男へのアドバイスとしては②よりも実は有用なのかもしれないし、逆にただ適切にアプローチすればいい場面でできなかったという人にとってはあまりにも無意味なのかも
左右とかリベラル保守とかでチーム分けして争うことに何の意味があるんだ?子供の運動会で赤白帽を被って陣取り合戦をしているようなもんだ。
まず、支持する政策の違いが結果的に集団の違いを生むのであって、もともと陣地が決まっているわけじゃない。
経済政策にしても、社会福祉にしても、環境問題にしても、それぞれの政策が持つ影響を理解し、それをもとに支持するかどうかを決めるのが本来の姿だろ?
ところが、世の中の大半の連中は「私はリベラルだから」「私は保守だから」と、自分の所属するグループに盲目的に従う。まるでロボットみたいだ。
自分たちの立場を守ることばかり考えて、相手の意見に耳を貸そうともしない。意見の違いを議論し合うのではなく、ただ相手を攻撃するためだけに時間を費やす。それで、一体何が得られるというんだ?
リベラルだろうが保守だろうが、そんなラベルを剥がしてしまえ。自分が信じる政策や意見について、客観的に考え、他人の意見も尊重する。たとえそれが自分とは全く逆の意見であっても、耳を傾け、理解しようとする姿勢が必要だ。
議論の目的は勝ち負けじゃない。より良い解決策を見つけるためのプロセスだ。相手の意見を聞いて、その中から自分が見落としていた視点を見つけることができるかもしれない。そうやって、より良い政策を模索することこそが、真の議論の意義だ。
先日、市民イベントや街中ポスターでガルクラ知った川崎民の話の続き。長くなったんで、その1
ブルーレイ付きってなってるやつを上から順に買ってしまったのでMVやアニメ見つつ「川崎とは」問題にふれてみたい。
いやびっくり。言われてみると1年前に出した1曲目は歌がだんだん聞こえなくなってて何を言ってるのかもわからなくなってるが、最近の歌はめっちゃ声量が出てるしパンチあるし、すごい。8話の迫力も凄いし、こんなゴリゴリっとした16歳を見たの坂本真綾以来じゃないか。オッサンのファンが一気に増えそう。
ガールズバンドクライ主題歌歌詞だが、固有名詞は一切出してないので「別に川崎を謳ったわけじゃないっすよ」と逃げる気まんまんという気はする。その腰砕けな態度の時点で劇中の仁菜ちゃんの体当たり性格とミスマッチではなかろうか。プロデューサーお前だぞお前。で、このガルクラを川崎とタイアップで作ってく企画については、音楽系の人たちの川崎いじりの流れを汲んでる気がする。
ちょっと前からフィクションで時々あったが、こっちの受け止め方としては「魔界都市新宿」とか馳星周の新宿とかと同じジャンルという受け止め方だった。新宿や渋谷がこすられ過ぎたんで川崎で新味を出してきたんだろうな、ぐらい。親戚のおばさんが町内を毎日掃除してゴミ出しの整理をしてるような町で陰鬱な国際犯罪が行われてたりするのはギャグですらあった。
ラッパーの人らが川崎をアイデンティティに押し出してったあたりで流れが変なほうに行ったなあ、という感じ。嘘はついてないけどフカシは相当してるよね、ぐらいの大げさアピールで、売り込むためなんだろうけど。最初は面白かったんだけど、ネタいじりが繰り返され、うざったくなってきた。
川崎が舞台でタイトルにクライがついてるので、たぶんガルクラと合わせて川崎クライシリーズとか言われるはず(言われない)。さておき上記のラッパーの人らの延長上みたいな川崎描写(原作デビルマンの最初のサバトシーンが川崎のそういう場所になってる)で、途中で行政区分川崎区の中でやたら悪魔が出現するというトンチキな描写が挿入される。周囲を山と海に囲まれた地方都市が舞台じゃねーんだぞ。まっ平で交通量も頻繁で交通手段も豊富な首都圏のど真ん中エリアで川崎区だけ悪魔が溢れてるってどういう描写だよ。湯浅政明の才能って実はイマイチではと疑った最初であった。
新宿、渋谷、池袋、上野といった都心部の繁華街のほうがよほどアレ。あるいは周囲の監視の目が光ってる閉塞した熊本よりはそりゃ川崎は住みやすいだろう。
一方で「関東周辺と比較した場合、社会人には住みやすいけど、子育てにはお勧めできない街」と思う。
熊本出身者が川崎の民度を下げてるなどと言われがちだが、川崎はそもそも上京してきた人たちの溜り場である。京浜工業地帯で働くために、あるいは都心に出勤するために、東北や甲信越、九州や沖縄、朝鮮半島やブラジル、ネパールやベトナムetc...から出てきた人たちが10年単位で住んでいる。ルパさんは南アジア系らしいが、20年前の話、京急駅前の立食そばで働いてたおばさんお姉さん曰くお父さんがグルカ兵だったそうだ。実家でも駅前で寝てたイラン難民を連れてきて住み込みで働いてもらっていた。
ヘイトスピーチビジネスの連中が川崎で活動してたが逮捕者を出すなどして現状では川崎での活動を縮小してる。最近になって埼玉で活動してるのはこっちを追い出された連中が居場所を探してあっちに食いついたのでは。
大田区蒲田と川崎区、多摩川河川敷の工業地帯の下町で条件は同じでも家賃が違う。羽田空港へのアクセスのせいもあるだろうが、似たような所得層の似たような街並みでも川崎のが安い。結果、都心で働く人、都心の学校に通う人が選びがちなのが川崎で、京浜工業地帯で働くために通勤で通ってくる人と人数的にも拮抗しており、両者はあんまり交わらない。東京の予備校に通う仁菜ちゃんに川崎市民意識があろうはずがないのだ。
これは異論あんまないかと。自称保守という名の全く保守する気がない利権屋集団がいまだ蛇蝎のごとく嫌う美濃部都政ってやつの遺産がデカいと思う。
川崎(川崎区、幸区など京浜工業地帯近辺)は伝統的に低所得層の町だったため進学率が低く、児童も、児童の親も、教師も、残念ながら外れを引く可能性がある。
具体例。80年代前半の川崎区内小学校、小6の頃だが、担任は児童をどなりつけ椅子を蹴り、男子児童は移動教室というとサボって校庭で遊びまわって、音楽の先生は毎週泣いていた。その騒いでる児童間でも権力闘争やってて先週までボス格だった子が学級会で子分格の子らから名指し批判され追い落とされたりと10年早い世紀末を演出していた。学級崩壊という言葉がメディアに出回るよりだいぶ早い時期の話である。昔の話だろと思うかもしれないが、それからおよそ十数年後に同じ学校の授業参観に参加させられる羽目になったところ、やはり教師は生徒をまともに見る気がなく野放しの児童がフリーダム。自分の時ほどではないが、たぶんあまり変わってない。
中学校事情は私立受験で都内に進学したので実情は知らないが、行くはずだった学区公立中で新任若手教師が生徒らに虐められ失踪、行方不明になったという新聞記事が地元欄に出たのが中3の頃。
自分もそうだが、結局のとこ横浜にも東京にも近く進学先を選びやすいので、そこそこの所得層は地元川崎での中高進学をあえて選ぶ必要がなく、余計にそうなりがちだったのかもしれない。
その手の話が盛り上がってるところ悪いんだけど、モテとか非モテとか実生活で誰も興味ないと思うんだよ。
俺もどちからと言われれば明らかに非モテだよ?恋愛経験ゼロだし、30代半ばなのに童貞だよ。中学高校と男子校だった生粋の非モテだよ。
会社に行って、女性を見て、恋愛を想起することってある?ないでしょ?
電車乗って、女性見て、恋愛したいな〜とか思う?思わないでしょ?
いい年して恋愛したいとか思う場面ってめちゃくちゃ限定的だと思うんだよ。
クリスマスの日の帰り道とか、道ゆくカップルや街のイルミネーション見て、「寂しいな…」とは思うよ?
でも逆に言えばそういう日以外には別段寂しくないし何なら一人の方が気楽じゃんみたいなノリで生きてるんだよ。
というか、俺くらいの歳になると結婚してるやつはもう子供の1人や2人育ててて、育児の大変さみたいな話題が日常的に交わされてるわけじゃん。
たまに早く帰宅する日に高校生や大学生の集団見ても「子供だな」以上の感情がわかない歳になってるわけじゃん。
まじで教えて欲しい。非モテ云々で盛り上がってるお前らは何歳なの?10代なの?20代なの?違うだろ?
そういうのは、認識できない奴のほうが多数派という現実を飲み込んだ上で。
そのうえで、どうして擁護するのか、を考える必要があるだろうな。
ある集団が合理的でない意見を表明しているとしても、その集団以外が全員正しく合理的なわけではない。
あいつら1ページもないネットニュースですら文章を理解できない文盲集団よ?
90ページに渡る専門的業務に関わるレポート×2なんか絶対理解できないでしょ
話を聞いていると、ひどい親、意味不明な兄弟、非常識な祖父母など家族から理不尽な負担を負わされている成人がいるが、皆、なぜか実家から離れようとしない。
普通に働いていて、自分一人が食べていく収入は十分得られる能力はあるにも関わらずだ。
他人の家族の問題に深入りしようとは思わないが、あまりにも酷い家族の愚痴をずっと聞かされて、いよいよ「実家と距離をとってみたら?」とか「そこまで自分を犠牲にしなきゃいけない義務は無いよ」とか言ってみると、
さっきまで饒舌に話していた相手が途端にポカンとして、なんだか要領を得ない返事しかしなくなる。
何度も言うが彼ら彼女らは客観的な能力から言えば実家を出て一人で暮らすだけの力はあるはずなのだ。
そりゃ家族と離れるのに抵抗があるのはわかるが、明らかに加害、家庭内でなければ明確に犯罪とされるような被害を受けながらもその環境に留まり続ける意味が分からなかった。
これまでの人生でそういう相手に二度三度出会うことがあって、不思議だったが、最近思うところがあり分かってきた気がする。
つまり、「子どもを独り立ちさせる」ということは、家族という集団の最終目標の一つであり、家族運営の成功の結果でしかないということだ。
十分に機能していない家族がこの「最終目標」を達成するのは、そうでない家族より難しいのは自明だ。
何らかの第三者からの強い介入があった、などの一部の例外パターンを除いて、子どもを能力的にも精神的にも独り立ちさせるのは困難なことなのだろう。
これって人間扱いしないのはその通りだけどあれは満員電車という過酷な環境下で長い年月をかけて醸成された伝統文化みたいなもんだよな
ドつきまわす勢いで強引に乗るとか呼吸を確保するために弾き飛ばすみたいなのがもう文化的なルールになってる。
市内全域全人類が蘇民祭ルックだったらやべー集団だけど蘇民祭の会場であの格好なのはそれはもう蘇民祭なんだよ
だから満員電車という特殊な祭り会場での特殊な儀礼としては人間扱いしないのが文化的に正しい
海外から来たひとはそれを見てカルチャーショックを受けるけどその景色から「遠慮しない」要素だけ取り出して解を得たと思うのはあまりにも一面的な見方なんだよ。
先日友人の結婚式に参加した。
移動の費用やらを考えると、それなりの金額を支払って、出席することになる。
ただ、全然出せないことはないし、むしろ大人の余裕で前後泊しちゃう?という矛盾の塊のような結論を出し、二泊三日の一大旅行となった。
旅行もそれなりに楽しめて、旅先の工程も満足行くものではあったのではあるが、結婚式に出るたびに毎回首をもたげる、「あれ、結婚式出て、意味あった?私の人形そこに置いといたのと何も変わらんくね?」という思いがが今回はより、私の胸の中にのしかかった。
パートナーにその旨を告げると、出たことに意味があると、お嫁さんの晴れの姿を生で見れたことに意味があるのだと。
確かにそれはそうかもしれないが、約二週間たった今も、胸の引っ掛かりは取れない。
それはそれで気持ちが悪く、そして私自身その気持ち悪さをきっちりと言語化できたときの気持ち良さを知り得ているので、いつまでも目をそらし続けることはできない。
今までよりも強い違和感は、以下の背景に起因するものであろう。
今まで出たどの結婚式よりもお家柄色が強く、異物感を感じざるを得なかったこと。
そういうわけで人数も全体としてかなり多く、ひな壇に気軽に行けるような感じでもなかったこと。
少なからず自分が世界の主人公だと思ってしまっており、どうしてもその幻想は、私が私で生きている以上拭い去れないこと。
その勘違いが、自分にはもっと何かできると、鬱陶しいほどに心臓に早鐘を打たせること。
また、それなりのお金を支払って行っていると言う事実も、なんらかしらの手段でこの感情を顕現させたいことに拍車をかける。
しかし、直接本人に言うのは、流石に自己満足の押し付けが過ぎ、幸せ絶頂の花嫁に水を指すのもいかがなものか。
上記理由から、皆様のお目を汚すような個人的な感情をここに書くに至った。
さて、私がいかに面倒な人間かわかって頂いたところで本題である。
彼女とかかわり合いになったのは、大学のサークルの内のことで、たった3年間のことであった。ただしそのサークル内でも何かしら一緒の活動を行うということはなかった。しかしながら、部と学科が同じということで、授業の話をしたりだとか、自分が読んで来た本の話しなどもしたような記憶がある。
私自身高校生活から大学生になるにあたって、非常に鬱屈とした学生生活を送っており、端的に言えばなかなか人とうまくはなせずにいた。
そこからサークルという否応なしに共通の目的やら問題やらに向かえる集団に所属したことで、元来人が持つコミュニーケーションを取りたいという欲を取り戻した。
そんな最中サークル終わりの飲み会で、彼女と横並びに座敷の壁に寄りかかりながら、なんとなく高校の頃の話を聞いたような思い出がある。
ぼんやりとうすボケたような記憶なので、話の内容も対して覚えておらず、自分もなんと返答したのか全く思い出せないが、人間関係の話で、今まで仲の良かった人がいたけれど、あるなにかの事件がきっかけとなって、疎遠にむしろやっかみを受けるようになり、その時から人との関係がよくわからないというような話だった気がする。
以前の記事私がどういったふうに答えていたか相変わらず覚えていないが、今の私であったらこう答えていたと思う。
何も気にすんな。人との関係性は、相手じゃなくて自分で決めるものって考えたら楽んなる。相手がどんなにこちらを嫌っていたとしても、仲良くしたいと思えば、何でもいいから話しかけにいけば良いし何か違ったなと思ったら、話しかけずにいれば良い。
こっちが友達だと思ったら友達だし、時と場合によって今日はご飯食べに行きたいと思ったやつとご飯食べれば良い。
思えば色々と感化されやすい性格だったように思う。私がこうした方がいいのでは?と言えばそれに素直に従い直したし、私のつまらない話にもよく笑ってくれた。
そして感情が豊かで感受性も高かったように思う。友人といざこざがあればすぐ顔に出たし、義理が果たされないようなことには、怒りを顕にした。
そんな人間が、私からのそんな話を聞いてどうなったかといえば、本当に何も気にしなくなった。今までは自分の発言で傷つく人がいるのではないかと考え、うまく言葉を紡げなかった彼女は、傷ついたなら傷ついたで仕方ない、と思い直し自分の考えを堂々と言うようになった。あるいは、間違えたらどうしようと、行動が起こせなかったことも、今考えた限りはこれしかないのだから、やってしまおうと、行動に移すようになった。
そうして、間違ったことも、壊してしまったことも、傷つけたことも、そして、それらが元に戻らなかったとしても、それはそれとして、前に進んだことの確かな証拠だということに気づいていったのだと思う。
見ようによってはヤケになってしまったようにも見えるけど、それは確かな一歩である。
私から見たあなたは、そんな風に歩んでいったのではないかと思う。
私があなたと会わなくなってから、かなりの空白があるわけで、先のことも遠くの記憶であるからにして、真実かどうかもわからず、もうもはや事実とは異なる空想めいたものかもしれない。
私があなたに言える確実的なことは、私が過ごしたここ最近の数年のことであるから、そのことをひっそりとお話して、この文書を閉じたく思う。
ひとえに、気の置けない人がいるというものは素晴らしいことであると思う。
自分一人では、私は到底私らしく人生を生きて来れなかったと思う。料理を作って美味しいと言ってもらえること。そうでなくとも、この間のあじつけの方が好きと一刀両断されること。
服の干し方で一々文句を言われること、食器の洗う順番にとやかく言われること、穴の空いた靴を履いているとこそからくすぐしてくること。自分一人でいたら、どうでもよく、そのまま過ぎ去ってしまう一つ一つの生活が、パートナーがいるというだけで、数倍は人生が伸ばさせれるように思う。
洗濯機の液体洗剤のいれるタイミングがどうしてもわからなかったり、大きななべを洗うのが億劫であったり、キッチンの排水口の掃除がどうしても受け付けなかったり、りんごを剥くとたまに芯が残ってしまっていたり。自分が凸で、相手の凹を埋めるときもあれば。
朝はどうしても起きれなかったり、休日の過ごし方のプランを立ててもらったり、バスタオルを一週間に一回洗ったり、部屋の片付けを率先してやってくれたり。自分の凹を相手の凸が埋めてくれることも勿論ある。
人生なんて所詮、この地球上の一生命体が生まれてから、終わるまでのお話であるから、結局のところ意味なんてなくて、でも、それでも、
一緒に足りない何かを補ったり、補われて、そこにちょっとした温かさを感じて。
それは意識されないまでも、どこか自分の根底にそれはあって、それを抱えたまま眠りにつく。それが自分がどんな状況であろうと、立場であろうと、確固たる標として、自分の中に位置づけられる。自分として戻って来られる。
あなたはどうであるか、そもそも私自身あなたの相手のことすらも知らぬわけであるから、もうただ同じ感覚を持っていることを祈るばかりである。
俺も似たような感じの人生だわ
ただやっぱどっかしらで偏差値70の集団の仲間入りしてたような人間は要領いいんだよ
要領いいから、何もかもギリギリまでサボってても最終的には世の中の平均以上には出来ちゃうし問題なく生きていける
でも出来ちゃう分いくつになっても努力しないし後回しグセみたいなのがついてるけど
それでもまぁ今までなんとかなってきたし、これからもなんとかなるっしょ!