はてなキーワード: 人生の目的とは
人生の目的を他人が与えてやるなんておこがましいとは思わんかね。
俺は2年で辞めて転職したなぁ。
老人達は否定しかしないけど、辞めた方がいい場合というのは間違いなくある。
家族がいてとかいう事情が無いなら、やりたくもない辛いだけの無意味な仕事にしがみつく必要はない。
俺の場合は実務経験を踏まえて自分の性質や人生の目的を検討しなおした結果辞める他無いという結論に至った。
俺は長時間労働や罵倒は平気だったけど、つまらない仕事をやるのだけは耐えられなかった。
でもいわゆるブラック企業的な仕事が辛いってのも理由になるとは思うんだ。
ただ、何故辛いのか、自分の性質と何が食い違ってしまったのか、その結果次は何をするべきなのか、自分が最も重きを置く価値とは何か、
そういったものが論理的に首尾一貫した形で説明できないうちは辞めない方がいいかもしれない。
ただ何となく嫌だから、というような動機だと次も失敗し得る。
まぁ人生の目的は人それぞれなんだけど、それ以前の最低限の教養みたいなもんかな。
知識量そのものではなく、広く学び続ける姿勢そのものが人として最低限必要な素養じゃないかと。
極端だけどね。でもそういう姿勢がない奴が多すぎるから。
何のために生きるかとか人生の目的って言うのがぴんと来ないんだよな。
苦痛を感じることがなければそれでいいと思う程度のものしかない。
質問している人は最低でも二人はいるよ(俺と俺以外)。俺は「疑問」(http://anond.hatelabo.jp/20071022234530)ってエントリを挙げたの。
増田が求めてるのは、教義じゃないんだね。信仰心に根ざしたコミュニティを目指してるのか。
私が疑問に思っていることは、「信仰とは何を指しているのか?」、「宗教に何を求めているのか?」、「今何を困っているのか?」。
私は、信仰心が全く無いので、信仰がなんなのか、何でそれを必要としているのかがさっぱり分かりません。
例えば、「人生の目的を定め、悩みをいかに乗り越えていくか、自分のため、人のためにいかに善く生きていくか、など。生きる哲学のようなもの」と、宗教/信仰心がどう関係するのかがさっぱり分からない。
増田にとってどうなのか、創価学会の場合はどうなのかって、具体的な事例を教えてくれるととても興味深く拝聴できるんだ。相談に乗るんじゃなくて、教えて、教えてなんだけど。
増田はどんな人なの?
1.学歴は?専攻は?面白かった?
2.仕事は?何屋さん?面白い?
3.趣味は?自分の時間は何して過ごしてるの?
4.本は読む?映画とか?どんなの?
5.交際範囲は?恋人は?友達は?何系とかある?
6.増田にとっての世界はどう見えてるの?自然科学的なもの?超自然的な真理の法則があると思う?そういうのはどうでもよくて、地表百メートルの人間の生活圏内の人間関係が全てとか?どこに重きを置いているのかある?
7.これからなにをどうしたいの?
ちなみに、私の場合は、
2.IT系、インフラ屋、面白いこともあるけど、仕事に面白さは求めない。
3.とくになにも・・・休みの日はできる限り長く寝られることを追求。
4.本好きだけど、SF/ミステリ/評論とかのジャンルのマニアじゃない。ラノベは読まない。今は宮部みゆきの『模倣犯』読み中。最近は『悪童日記』三部作が面白かった。映画はほのぼのするのが好き。『バッファロー’66』とか『バグダッドカフェ』とかがすごく好き。
5.非コミュ。恋人はいるけど、まだ2ヶ月くらい。友達は極めて少ない。というか、いないと言っても過言ではない。何系とかはない。
6.世界は自然科学的な法則に従っていて、真偽は数式/論理学のレベルで決まるものだけが実体。来世とか幽霊とか生まれ変わりとかは無いと思う。物理学/化学的な実証事実は概ね正しい。人間関係では、お互いに不快にならないように気を遣ったり努力するまでは当然で、そこに真偽はない。
7.どうしよう・・・
私が自然科学的な知見をほぼ事実と信じているのは、数式レベルの自然科学の知見は、その数式運用や観察において緻密に網の目が張り巡らされていることを学んで、30年ちょっと生きてきた日常的な経験から、反証を経験したことがなくて、それ以外はどうも嘘くさいと思うから。だから、そう思わない人もいると思う。ので、個人的な信念に属することだと思う(この信念を持っている人は珍しくないと思うけど)。けど、信仰はそういうのとも違うんでしょ?
信仰って何なのかなぁ。よりよく生きるために役立つのかなぁ?役立つ気がするんだけど、なんなのか分からない。神はいないと念じて必死に祈る信仰もあると思うんだけど、増田の場合はどうなの?日蓮宗には、神も祈りもないよね?
増田は分かりやすく書いてくれるので、良かったら教えて欲しい。増田にとっては、他の信仰心を持っている人の意見が聞けるといいんだと思うけど・・・
になりかけて、色々するうち、気付いた。
そもそも男性ってのは、ろくでもない生き物なのだという事に。(ああ、男性の皆さん、気を悪くする必要はないですよ。そういう生き物に生まれてしまったのは、あなたに非はありませんから。そういう生き物なので、仕方が無い。こりゃ、神が悪いのです)
そう思うと、あの不信感があっさりとれた。そうか、もともとそういう生き物なのだ。
そうと分かればもう大丈夫。できるだけ関わらないようにし、利用できる時にはすればよい。稀にろくでもないことない男性がいれば、親しくなればよい。そうしていくうち自分の人生の目的を果たせばいいのだ。
言い方は悪いが、男性というのは、犬のようなものだ。犬は一見懐いてくれるように見えるがその実奴らはほとんどえさ目当てで、基本的によほどの訓練犬でもなければアホだ。学ばない。目の前にメシがあればガマンできず食べてしまう。叱れば一瞬やめるが、またすぐに繰り返す……どこからどう見ても男性そのものだ。ならば犬を飼うように、男性に接すればいい。それなら得意だ。
基本的に犬の扱いに、男性の扱いの全てが集約されているように思う。彼らはおそろしく単純で、欲望に支配されている。逆に言えば、こんな操りやすいものはない。同時に、そんな本能に左右されつつ必死にメシをもらうためならおすわりをしたりする……すなわちセックスしてもらうために何やかんやとアプローチする……のも、なんだか可愛い物ではないか。まあ滅多な事でメシはやらないが。
人生は石材なり。これに神の姿を彫刻するも悪魔の姿を彫刻するも、各人の自由なり。スペンサー
わかるだろうか……人生には解決なんてないのだ。ただ、進んでいくエネルギーがあるばかりだ。そういうエネルギーをつくりださねばならない。解決はそのあとでくる。サン・テグジュペリ
人生は欲望だ、意味などどうでもいい。すべての生き物の目的は欲望なのだ。それぞれ欲望があるから、バラはバラらしく花を咲かせたがるし、岩はいつまでも岩らしくありたいと思ってがんばっているんだ。そうだ、人生は素晴らしい。恐れの気持ちさえもたなければだ――なによりも大切なのは勇気だ。想像力だ。チャップリン
人生をしいて理解しようと欲してはならない。人生はそのままひとつの祭日である。ただ楽しくその日その日を生きることにしよう。無心に道を歩く子供が、吹く風ごとに春の花びらを肩一杯に浴びているように。リルケ
人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。とかく、あまり人生を重く見ず、棄身になって何事も一心になすべし。福沢諭吉
あこがれ、愛、希望、欲望、これが真の人生なのだ。コッツェブー
かれの考えによると、人間はある目的をもって生まれたものではなかった。これと反対に、生まれた人間に、はじめてある目的ができてくるのであった。最初から客観的にある目的をこしらえて、それを人間に付着するのは、その人間の自由な活動を、すでに生まれたときに奪ったと同じことになる。だから人間の目的は、生まれた本人が、本人自身につくったものでなければならない。夏目漱石
人生にはめざすべきふたつの事がある。ひとつは諸君が欲するものを手に入れること。もうひとつは手に入れたのちこれを楽しむこと。ところで第二のほうに成功するのは、きわめて少数の賢い人間だけにすぎない。ローガン・ピアソール・スミス
自分のめざすところをはっきり自覚し、たゆまぬ前進をするもの。自分の目的に対する手段を知ってそれをとらえ利用することを知っている人間は尊敬に値する。その目的が大きいとか、小さいとか、賞賛に値するとか非難に値するとかいうようなことは後になって非難されることだ。元来不幸とか不遇とかいっているものの大部分は、その原因をただすと、人間がいかに怠けもので、自分の目的を的確に知ろうとせず、たとえそれを知っても、それに向かってまじめに突進しようという努力の足りないところにある。ゲーテ
目的をとげるのに、長い忍耐をするよりも、めざましい努力をすることのほうが、まだ容易だ。ラ・ブリュイエール
明日しなければならないことがあったなら、今日のうちになせ。フランクリン
時間の値を知らない者は、生まれながらに栄光には向いていない。ヴォルヴナルグ
現在は過去以外の何ものも含んでいない。そして、結果のなかに見出されるものは、既に原因の中にあったものである。ベルグソン
時は金である……そしてそれによって利益を計算する人たちにとっては多額の金である。ディッケンズ
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。ショウペンハウエル
二十歳にして重きをなすのに意志、三十歳にして機知、四十歳にして判断。フランクリン
年をとることを恐れるな。心配しなければならないのは、年をとるまでのいろいろの障害を乗り越えることだ。ショウ
二十歳のときハンサムでなく、三十のとき強くなく、四十のとき財がなく、五十のとき賢くなけりゃ、けっきょく一生なんでもない。イギリスのことわざ
決断――なすべきことをなそうと決心せよ。いったん決心したことはかならず実行にうつせ。フランクリン
英雄に普通の人より勇気があるのではなく、ただ五分間ほど勇気が長続きするだけである。エマーソン
野心はひとつの悪徳なるも、そは美徳の父ともなりうる。クウィンティリアス
志の固き人は幸いなるかな。なんじは苦しむ。しかれども長く苦しむことなし。また誤って苦しむことなし。テニスン
充実した一日がしあわせな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。レオナルド・ダ・ヴィンチ
改革すべきはたんに世界だけでなく、人間である。その新しい人間は、どこから現れるのか?それは外部からではけっしてない。友よ。それを君自身のうちに見いだすことを知れ。しかも鉱石から純粋な金属をとるように、この待望の新しい人間に君みずからなろうとせよ。君からそれを得よ。各人は、驚くべき可能性を内蔵している。君の力と若さを信ぜよ。たえず言い続けることを忘れるな。「ぼくしだいでどうにもなるものだ」と。ジード
汝の道を歩め、人々をしてその言うにまかせよ。ダンテ
学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。しかしいやしくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統ぶる意志の大なる力がいる、これは勇である。大隈重信
大道行くべし、又何ぞ妨げん。木戸孝允
大切なことは、大志を抱き、それをなしとげる技能と忍耐をもつということである。その他はいずれも重要でない。ゲーテ
才能とは、自分自身を、自分の力を信ずることである。ゴーリキー
真の欲求なくして真の満足はない。ヴォルテール
求めよ、そうすれば、与えられるだろう。探せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるだろう。すべて求める者は得、探す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。新約聖書
今日なし得ることに全力をつくせ。しからば明日は一段の進歩あらん。ニュートン
なにもかも失われたときにも、未来だけはまだ残っている。ボビー
成功の秘訣を問うな。なすべきひとつひとつに全力をつくせ。ワナメーカー
運命は神の考えるものだ。人間は人間らしく働けばそれで結構である。夏目漱石
理想は星のようなものである。諸君はそれに手を触れることはできないが、荒涼たる大洋を航海している人のように理想を水先案内人として選び、これに従うことによって諸君は自らの運命を決定するであろう。ヤール・シュルツ
運は吾人より富を奪い得ても勇気を奪い得ず。セネカ
わたしは運命ののどくびをしめあげてやるのだ。けっして運命に圧倒されないぞ。この人生を千倍も生きたなら、どんなにすてきだろう。ベートーヴェン
運命というものは、他のことにおいてもそうであるが、特に戦争においては最大の役割を演ずるものであり、それは小さな原因から決定的な変化を引き起こすのである。カエサル
花が花の本性をを現じたる時最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じたる時は美の頂上に達するものである。西田幾多朗
人間は自由であり、つねに自分自身の選択によって行動すべきものである。サルトル
人間とは、自分の運命を支配する自由な者のことである。マルクス
若いころ、私は人世の「幸福」として認められていることを個条書きにしてみたことがある。健康、愛、才能、権力、富および名声等の現世的な欲望を並べたて、それを賢明な先輩に得々として見せた。
その先輩は言った「なかなか結構だな、それに、順序もまずまず無難だ。しかし、それがないと君の表が耐えがたい重荷となる唯一のものが欠けているようだ」。
彼は私の表を消して次の文字を書いた――心の平和。ジョシュア・リーブマン
なぜ私は結局、好んで自然とまじわるのか。自然は常に正しく、誤りはもっぱら私の側にあるからである。自然に順応することができれば、事は全ておのずからにして成るのである。ゲーテ
花、無心にして蝶を招き
蝶、無心にして花を尋ねる
花、開くとき蝶来り
蝶、くるとき花開く
知らずして帝則に従う 良寛
じぶんのためには何も望むな!求めるな、心を動かすな、うらやむな。人間の未来も、お前の運命も、おまえにとってはつねに未知のものでなければならない。だがあらゆる事態に対する覚悟だけはしっかりときめて、勇気をもって生きることだ。そしてあとは神のみこころにまかせるのだ。トルストイ
もっとも尊重せねばならぬのは生くることにあらず、よく生くることなり。ソクラテス
人生を真剣に生きようと欲する者は、あたかも末長く生きていかなければならぬものとして行動すべきであり、同時にまもなく死ぬべきものとして身を処さなければならない。リトレ
僕には死んでゆくことは少しもこわくない。いま自然に死んでゆけるのだったら、どんなにうれしいか、とまで思っている。だが、僕もこうして人間に生まれて来たんだから、やはり、何か生き甲斐が感じられるまで生きている義務はあると思う。リンカーン
朝に死し、夕に生まるるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。鴨長明
人生は、ほんの一瞬のことにすぎない。死もまた、ほんの一瞬である。シラー
正しく考えるとき我々は神の中にある。正しく生きるとき神は我々の中にある。アウグスチヌス
信仰とは我々の目に見えないものを信じることである。そしてこのような信仰のもたらす報酬は我々が信じるものを眼で見るということである。アウグスチヌス
いかにして人間は自分自身を知ることができるのか。観察によってではなく、行為によってである。なんじの義務をはたさんとつとめてみよ。そうすれば自分の性能がわかるであろう。ゲーテ
自分に対する尊敬、自分についての知識、自分に対する抑制、この三つのもののみが、生活に絶対的な力をもたらす。テニスン
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然としていなくてはならない。森鴎外
自己におもねるまい。自己を軽蔑すまい。自己をそれがあるべき相当の位置におこう。もしその位置が与えられなかったとしたら、それを発見し、創立することに骨を折ろう。有島武郎
その年齢の知恵をもたない者は、その年齢のすべての困苦をもつ。ヴォルテール
自分がなんであるかを知りたいと思うならば、自分がなにを好むかをみればよい。ニーチェ
怠惰は弱い頭の逃避場、愚者の休日にすぎない。チェスターフィールド
この山を登らんとする者、麓にては大いなる苦しみにあわん。されど登るにつれそは減ずべし。そのゆえに、辛苦も愉しみになりつるとき、登ることいとやさしくみえて、速き流れを小舟にて下がるがごとし。ダンテ
魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり、「やってのけるぞ」の口の下から「やっぱりだめだ」の腰くだけ、そうして一生をだらだらとお過ごしなさるおつもり?シェークスピア
だから、怠惰は母親なのだ。怠惰には、盗みという息子と、飢というむすめとがある。ユーゴー
君のもっとも手近な義務からおこなえ、いずれの義務でも、待たされればさらに七つの義務を引きつれて戻ってくる。キングスレー
人間にとって、苦悩に負けることは恥辱ではない。むしろ快楽に負けることこそ恥辱である。パスカル
労働は美徳の泉である。ヘルダー
疑う余地のない純粋の喜悦のひとつは、勤労のあとの休息である。カント
働くことは、私の感じでは、食べることや眠ることよりも、人間に必要である。フンボルト
人生は活動の中にあり、貧しき休息は死を意味する。ヴォルテール
労働は人生を甘美にさせる。労働を憎むものだけが悩みをもつ。ウイルヘルム・ブルマン
明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。朝が仕事を仕上げて持ってきてくれるわけがない。クリソストムス
労働のなかにだけ、平和がやどり、労苦のなかには、安息がやどる。フォトネル
天下に難きことなしただ心ある人を怕る。中国の故事
人必ず自ら侮りて然る後に人之を侮る。中国の故事
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。ショウペンハウエル
時と潮汐は何人をも待たない。イギリスのことわざ
寸暇を利用する事がいかなる種類の戦いにも勝利を博す秘訣である。ガーフィールド
自ら正しいと信ずる者は王の万軍よりも強く、自ら正しきを疑う者は些かの力をも有せず。カーライル
希望は日光に似ている、つまり、どちらも明るさだ。一つは荒んだ心の聖い夢となり、一つは泥水に金の光を浮かべてくれる。ヴェルレーヌ
籠鳥雲を恋う。日本の故事
青年よ、青年よ、つねに正義とともにあれ。もし正義の観念が汝のうちで薄れるようなことがあれば、汝はあらゆる危険におちいるだろう。ゾラ
盛年重ねて来たらず、一日再び、晨になり難し、時に及んでまさに勉励すべし、歳月人を待たず。陶淵明
人生のいろいろな楽しみは、それを主要な目的とするのではなく、通りすがりにそれを味わうときにはじめて、人生を楽しいものにしてくれる。――いったんそれを人生の目的としてしまえば、とたんにそれだけでは物足らない気がしてくる。楽しみなどというものは、細かく吟味すれば必ずボロが出てくるものだ。幸福になる唯一の道は、幸福さでなく、なにかそれ以上のものを人生の目的にえらぶことである。J・S・ミル
生きるための職業は、魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。阿部次郎
将来を思い煩うな。現在為すべきことを為せ。その他は神の考えることだ。アミエル
明日は、何を為すべきか。これは今日のうちに考えておかなければならぬ唯一のものである。石川啄木
忍耐をもつことのできる人は、ほしいものを手に入れることができる。フランクリン
人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。ヴィルマン
信念は人を強くする。疑いは活力を麻痺させる。信念は力である。ロバートソン
明日は何とかなると思う馬鹿者。今日でさえ遅すぎるのだ。賢者はもう昨日済ましている。クーリー
生涯における予の一切の成功は、仕事を時機よりも常に十五分早くしたからである。ネルソン
多くの仕事をしようとする人は、今すぐに一つの仕事をしなければならない。ロスチャイルド
青年よ、意志を強くし、身体を強壮にするために、毎日一度は苦しいと思うことを遂行せよ。ジェームス
怠けていると退屈してくる。それは結局、他人が忙しく仕事をしているために、仲間がなくなるからである。B・ジョンソン
自分が立っている所を深く掘れ、そこからきっと泉が湧き出る。高山樗牛
苦中の苦を喫せざれば、上中の上人とならず。滝沢馬琴
人間にとって一番大切なことは、各自仕事に進歩を求めて励むことだ。ミレー
女性を敬え。彼女らは地上の生活のために、天国のバラを織りなす。シラー
働いて待つことを学べ。ロングフェロー
なにごとにも耐えることのできる人は、なにごとも決行することができる。ヴォルブナルグ
発憤しなければ、十分な努力はできない。それがなければまた、十分な成功も得られない。失敗し発憤し努力し、それが成功への第一歩となるのだ。一度の失敗で意気銷沈しては、一生何事も成さずに終わってしまうものなのだ。古河市兵衛
運命を外から受け入れるような人は、運命に殺される。野生のけだものが矢に殺されるように。ヘッセ
第一に必要なるものは大胆、第二に必要なるものも大胆、第三に必要なるものも大胆なり。キケロ
私が一つの欲望をもつかぎり、私は生きる一つの理性をもつ。満足は死である。バーナード・ショウ
問題になるのは量にあらずして質。セネカ
決意は、人間の力、勇気、知恵ではない。それは宗教的な出発である。キェルケゴール
自ら恃みて、人を恃むこと無かれ。韓非子
行いの美しい者は姿も麗わしい。イギリスのことわざ
僕はときどき思うんだけど
人間は誰しも崇高な人生の目的を持って生まれてきたわけではないし
むしろ大部分の人が
「飯食ってへらへら笑ってる」人生を歩んでいくもんだと思ってる。
世界の深遠を覗き込もうと必死になって勉強してから死んでも
その人自身が人生の中でそれぞれ得られるパイ(ミートパイとかアップルパイとかのパイね)の大きさは変わらないんじゃないだろうか
後世に残せるものは大きく変わるし、それが人類全体の発展に貢献するかどうかというのはあるけど
たいていの人は、そんなだいそれたことまで考えてない。
乱暴に言っちゃえば人間なんて(能力の良し悪しや意識の高い低いにかかわらず)、ご飯食べて排泄して繁殖していく、動物の域を超えられないんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20070307200547
なんだよそれ当たり前じゃんとか、快楽主義者か刹那主義者かよとか言われそうだけど、んー、ちょっとそういうのとも違うんだよな。例えば「遊ぶ」というのは俺にとってとても人生の目的に合致してる。でも遊びなのに楽しめなかったり、あるいは惰性で遊んでたりするようなのは目的から外れる、だから排除する。
つまり「楽しい事だけをしたい」じゃない。「楽しむことに繋がるか」ってこと。
「楽しむ事」にはある程度長期的に楽しめることってのも入ってる。だから辛い事も受け入れるし、そもそも受け入れようが受け入れまいが辛い事、しんどい事は降りかかって来るけれど、それをこなす時にふと「これは楽しい事に繋がるかな?」って考える。人生を楽しむって大目的に繋がると思えたら、しょうがねえなあと邁進する。いやこれは単に辛いだけだよ、その先の目的がないよと思ったら、くだらねえなあと回避する(しようと頑張る)。
もうなんつーの。仕事するとか遊ぶとか恋人作るとか結婚するとか親の面倒見るとか、未来のことで悩んだり過去のことを悔やんだり、投資で稼ぎてえなあとか増田で日記書くとか誰が読むかわかんねえブログ書くとか酒を飲むとかスキルつけるとか、そういうのって全部全部「で、その結果人生を楽しめるか」が基準線。基準にしてるってことは目的つっても構わないだろうと思う。
毎度楽しい人生に繋がることばかりできるわけじゃもちろんない。
でもさ、辛いってのが結論の人生より、楽しいってのが結論の人生がいいじゃん。途中はどうせ辛いんだから。
シンプルに俺はそう思ってるし、意外にそういう大根源みたいなのが人生の要諦なんじゃねえかなあとここ数年思えるようになってきたよ。本当に俺こんな人生でいいのかなとか、今やってることは本当にやるべきことなのかなとか、色々複雑な要素が絡んできてうだうだ悩むじゃん。そういう時に、このシンプルな大目的を思い出してみたりするわけよ。
なんか壮大にも程がある話ではあるんですが、
なんでこんな話を持ち出したかといえば、某映画の感想でそんなことを想ったから。
日々の雑用共に忙殺されていると、ふとこういう話は忘れてしまいがちで。
その用事を片付けることは何かの目的を達成するための手段であるべきで
用事を片付けること自体は手段でしかないはずなんだけど。
誰かを守んなきゃいけない、とかそういう環境にもない。
まあ親より先に死にたくはないけど、とかその程度のしがらみしかない。
遊ぶとかそういうのは日々の息継ぎのようなものである気がして、
遊ぶこと自体が人生の目的か?と言われれば違う気がする。
じゃあ何よ、ってこの文章は結論ありきで書かれている訳ではなく、
要するに、改めて考えてみたら答えが出なくて困ったという話をしたかった。
話が話なので人それぞれで違う答えが出るんだろうとは思うんですが、
皆さんスッと答えられるものなのでしょうか。難しいのでしょうか。
それとも生きることに目的とかそういうオカタイ理屈など要らないのでしょうか。
そんなことを悩みながら生きるくらいでちょうどいいのでしょうか。
それともそんな固いことを考えずに生きた方がいいのでしょうか。
人生の目的が他人基準であるうちは救われないと思うよ。
開き直るようだけど。
http://anond.hatelabo.jp/20070221040151
アニメに詳しくない俺みたいなのにとっては、極端な言い方をすればYouTubeで観られるののほうが「オリジナル」なんだよね。「あぁ、これテレビでもやってたの?」っていう。
でも俺が録画でCMカットしたのを観ようとYouTubeで違法に公開されてるやつを観ようと、誰かが得したり損したりするわけじゃないし。テレビより画質が悪くて残念な思いをする俺とサーバに余分な負担をかけられるYouTubeと俺が買った直後に雨に濡れて壊れたテレビとビデオを放置したままで買い換えないから儲からない家電屋(と受信料が取れないNHK)を除けば。
著作権の問題は基本的には名誉とお金の問題でしょ。だから権利者の名誉やお金が損なわれなければ、違法という意味でしか問題ではないと思う。観るだけなら合法だから、そうなると問題は全く無くなる。
まあそうは言っても、一人一人が観るから、需要を満たそうと違法に公開する人も出てくるわけで、そうするとDVDを買うはずだった人もYouTubeので満足しちゃったりしかねないわけだから、わざわざ宣伝するのはやっぱり良いことではないなと思う。
多分、自分の記録として書いちゃうんじゃないかな。
俺の日記は非公開にして以来、「記録」ばっかり。今朝は何時に起きて、何分の電車に乗って、乗り換えのときは何番目の改札機を通って、とか、そんな調子。いや、そんなふうになったから非公開にしたんだったか。まあいいや。
そういうことって、記録しないと絶対にわからなくなるじゃん。わからなくても多分大丈夫だけど、ひょっとしたら大丈夫じゃないかもしれない。ひょっとしたらと絶対にを比べると、やっぱり絶対にがやばいよなぁと思って、記録しちゃう。
人生の目的を「寿命が来るまで死なないこと」とすると、期待値からして何もできなくなる。1年分の外出をして交通事故で死ぬ確率は1万/1億 = 1万。死なない確率は9999/1万。死なないことが目的だから、死んだときのダメージは将棋でいえば王が取られるのと同じで∞。死ななくて済んだときの効用はよくわからないからまあaとしておこう。期待値は-∞/10000 + 9999a/10000 = -∞。だから外出できないー。>< でもひきこもってたら運動不足で病気になるかもしれないし、家が燃えるかもしれない。したがって、「命が何より大切」という設定は意味が無いということになる。
http://anond.hatelabo.jp/20070213101236
割と自分も似た気質なんでその悩みが判らないこともないです。
端的に言って、目的がないと生きられないというより、自走的に生きられないんだと思います。発条仕掛けの玩具のようにように、或る程度のスパンを生きるための指針やら動力がないと走れない。
だから、今を生きる意義とか、悩み迷うことの価値とかは必要としてないんでしょう。
おそらく、人生の目的も特に必要ではない気がします。人生のような長すぎる距離を走る分だけの発条なんて巻けませんからね。
必要なのは、先の数年のスパンを生きることに対する決意(或いは諦め)だと思います。とりあえず、選択(可能性)によってどんな苦痛があるのか想定してみたらどうでしょう。そうすれば、諦めがつくこともあるかもしれませんよ。
全然的外れだったら、ごめんなさい。