はてなキーワード: エロゲーとは
うん?今回の話はエロゲー全面禁止って話ではないから、その話はあてはまらんのでは。
えっ? なんで?
調教レイプものじゃなくてもレイプシーン、レイプっぽいシーンの出てくるエロゲーはいっぱいあるし
AVも同じ
うん?今回の話はエロゲー全面禁止って話ではないから、その話はあてはまらんのでは。
じゃあ「全部規制しますよ」って話じゃないなら規制OKなのか、とも受け止められる気が。
陵辱ゲーを擁護したいのであれば、そういう理論は危なくないかなあ。
陵辱ゲーには関心が無くて、これが蟻の一穴になることを恐れている、というのが
増田の主旨ならわからんことはないけどさ。
規制する側から見たら痴女が男優に襲いかかる奴とほんわかセクロスもの以外は全部陵辱AVだよ。
万引きがばれて、社長秘書が、堅物女教師が、婦警が、本当は嫌なんだけど珍子を見ると我慢できなくて、、的な
投げやり寸劇付きのAVはずいぶんたくさんあるぞ
この虚構を虚構とされなくなるラインってのは、どこなんだろうか。
あからさまに犯罪な首都高バトルや龍が如くも全然OK側だよな。
エロゲーだと
悪夢はアウトだろうが
そんでもっておめーら好みの玉木宏似のイケメンだけ入国許可すりゃいいだろ。
そうすりゃおめーらはエロゲーもレイプ事件も一切見ずに生きていけるぞ。
別におめーらいなくなっても困らないからさ。
この国にいる限り問題解決すんの無理だって。
だっていなくなっても困らないんだもん。
だからおめーらが自分で理想郷作って移住する方がよっぽど楽だって。
ほら、早く。
俺自身は別にレイプゲーとか全く興味無いしどうでもいいんだけどね。
違和感があるかもしれないが、拉致問題で「北に拉致られた人が立派な人なら、返還を求めるべきだ」と言っているのと本質的に一緒。
悪いがこれは全然的外れだと思う。全然構図が違う。少なくとも俺にはピンと来なかった。
http://anond.hatelabo.jp/20090603125737
これを読んでなんかわかった気がする。
以前これ
http://anond.hatelabo.jp/20090601221113
を書いたもののスルーされたんだけどw、
「表現の自由」を標榜するなら、それなりのクオリティというか思想性だったり何なりを込めて、
それが弾圧されるならちゃんと裁判するなり戦うべきだと思う。
意外と言ってはなんだけど、反対者はほとんどと言っていいほどいなかった。
ある意味、仕方ないよね、といった雰囲気が漂っていたのは、文字通り仕方がなかったのかも。
冷静な対応をしている。俺たちのやってる事はグレーゾーンの最先端で、場合によっちゃあブラックになるって自覚してるし、
今回みたいに抗議があってブラックになったら、対応するって、ちゃんと割り切ってるんだよね。
モザイクって、表現の自由を侵害してるの?そうじゃないでしょ。
それをこれからちゃんとやっていこうっていう話で、
メーカーが広く社会的に受け入れられる(エロゲーマーにも、非エロゲーマーにも)土壌を作るという意味では、
むしろ歓迎すべきことだと思うんだが。
個人差があると思うなー。
陵辱シーンがあったとしても、陵辱されるキャラと自分自身を重ねたりしないので別になんとも思わんな。
ありえない演出が多いので、ゲーム内の出来事はすべてファンタジーに見える。
女の立場でみると、「ねーよwww」の連発。
ちなみに「遺作」は好きであります。
しかし、人によっては嫌悪感を抱くだろうし、3次元の女性を「調教しようと思った」とかいって拉致して殺してトイレに流しちゃうやつもいるってことで(陵辱ゲームの影響があったかどうかはさておき)、問題なのは、刺激の強いエロゲーがもはやアングラではなく、Amazonで簡単に買えちゃうということではないか?
エロゲーが芸術かどうかさておき、ILLUSIONは圧力がかかった時点で裁判を起こすべきだった。
少なくとも文学者達は、古くはチャタレー事件、悪徳の栄え事件、四畳半襖の下張事件と、
自分たちの作品に誇りを持ってゲーム制作をしているのであれば、戦うべきなのだ。
自社のみで戦いきれないのであれば、業界なりファンなりを巻き込んで、表現の自由として、
親を殺した少年少女の部屋からひぐらし(らしきもの)が見つかったときには、
ファンはさんざん「ひぐらしを読んでで殺人は起こそうとは思わないはずだ」
「猟奇性は悲劇を強調するもので、テーマ的にもストーリー上必要」と反論したのに、
「レイプレイ」では一切そのような如何にこのゲームが良いものか、という反論が聞こえてこない。
もちろん、「レイプレイ」の方が圧倒的にユーザーが少ないのもあるだろうが、
所詮その程度のレベルのものだし、
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090517/1242568066
つらつら考えてみたのだが、
要するにだ。
「クジラ取るのやめろ」と言う人たちがいて、その人たちの本音は「私たちが不愉快だから」
その理由で、その人たちはとにかくクジラを殺すのを止めさせたい。
もう一方に「クジラを取っても良い」という人たちがいて、その人たちの本音は「私たちが食べたいから」。
「エロゲーム売るな」と言う人たちがいて、その人たちの本音は「私たちが不愉快だから」
その理由で、その人たちはとにかくエロい作品をこの世からなくしたい。
もう一方に「エロゲームは問題ない」という人たちがいて、その人たちの本音は「私たちがやりたいから」。
根本的なところで、個人の感情の問題である。
後はそれぞれが「社会的に有効な」証拠を持ってきてどっちが「確からしいか」を競うわけだが、
今のところ、クジラもエロメディアも、特に規制の理由となる証拠は出ていない。
無理筋の規制を通そうとして、反捕鯨も反エロゲも、傷ついたとか気持ち悪いとか、
マジョリティの感情に訴えるしか手がないということだろうね。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4143799.html
彼らが血縁キャラの登場を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、近親相姦は趣味でなかったから何もしなかった。
ついで彼らは18歳以下のキャラクターの登場を攻撃した。私は前よりも不安だったが、ロリコンではなかったから何もしなかった。
ついで陵辱表現が、避妊無しでの行為の表現が、エロゲーそのものが攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
彼らはついに性行為の表現そのものを攻撃した。私は作家だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。
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http://anond.hatelabo.jp/20090528224442
ちょっと直してみた
まず触れておく。blacksorceryは言葉の使い方がまだ分かっていないらしい。
増田でも絡まれたので、マイノリティ=少数の者と思う人は、以下の文章に出てくるマイノリティは、弱者とか被差別側、被抑圧者にでも読み替えて欲しい。
昨日の記事に、女性はマイノリティって書いたのは失敗だったと後悔している。
元々、エロゲー愛好者はセクシャルマイノリティ、女性がエロゲーへ抗議するのはマイノリティへの差別だって人がちょこちょこいた。
で、こういう世界でマイノリティっていうなら女性だよと書いたことがある。
そのときのマイノリティは別に間違いでは無かったと思っているけど、これにも異論をもらった。
けど、今回独立させて書くときに、マイノリティって書くのは自分でもちょっと違和感があるし、誤解招きそうとも思ったんだけど、ここで書かずにいると前に異論出した人が喜びそうなのが癪に障って、いいや、マイノリティって書いておこう。と。
けど、やっぱりわかりやすくするべきだった。 (http://d.hatena.ne.jp/blacksorcery/20090524)
何度もいうが、「マイノリティ」は基本的に「少数(派)」のことだ。だから、とくだん数の多寡に重点をおかないのなら使わないほうがよいだろう。なぜか。重点となるものに関した用語(例えば被抑圧者、とか)を使うほうが自然だし、それについて語るときに問題点などがはっきりするからだ。これはくどいほど説明したし、辞書での定義ではこう、wikipediaの記述ではこう…と示しもした。「女性はマイノリティではない」という女性たちの声も示した。だが、blacksorceryはあくまでそれに抵抗しつつ、しかしちっとも「"なぜ"マイノリティは『少数派』の意味ではないのか」を語ろうとしない。そもそも、http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で私が書いているのは
だ。別に、「マイノリティかつ女」などあり得ない、という話でもないし、だから女は守られるべきではない、という話でもないし、だから女は文句を言うな、といった話でもない(「人の間違った論を引かずに自分の意見を言え」「気分ではなく論理を結論にせよ、話し合いや権利の意味を考えて」というようなことは書いたが)。そしてもしこれが気に入らないのなら、「なんのことだ」という問いには「~が~だから、~ということだ」と論拠(むろん、マイノリティが基本的に少数派とかいう意味を持つ、という論拠と同レベル以上には説得力のあるもの)をもって語ればいいのである。ただそれだけのことをblacksorceryは語らない(ほかのブックマークコメント者もまるで語らないが。何の根拠も示さず、だが揶揄だけはできるようだから始末におえない)。また、マイノリティをどう遇するか、レイプゲームをどうするか、表現の自由をどうするか、について私が何ひとつ言っていないのに、blacksorceryは
だから君らはマイノリティ。 (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234)
だの
元々君の友達が自分たちは少人数で被害者みたいな科白を書いてたから (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518225205)
だのと勝手な定義付けをする。彼には自分と意見を異にする者がみな「仲間」であるように見えるのか? 女性という「マイノリティ(???)」にも「その嗜好を満たす商品」が提供されている事実を認識できず、
などと書く。彼には事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか?
さて、そろそろ本題に移ろう。本題とは有村悠のことだ。先にあげたhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で、彼はいの一番に現れてこう書いている。
y_arim anonymous, gender, society, あたまがわるい マジョリティ・マイノリティが単純に数の多寡で決まるとでも思っているのかね? たとえば少数民族が多数民族を統治する国家の社会構造について考えてみな。 2009/05/18
当初、私はこれをあまり大したことと捉えなかった。ほんの少しだけ彼の文章を読んでいた私は、彼が馬鹿だとは思っていなかったからである。私はこう思ったのだ、「ははあ、何か勘違いをしているのだな」と。ゆえに、続くhttp://anond.hatelabo.jp/20090518225205では皮肉半分、憂慮半分の文章で返しておいた。しかし有村悠は一向に反応しない。まあべつにいいけど―と思いかけたそのとき、そのエントリはあげられた。http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090521/1242967919である。ちゃんと読ませれば小学生でも分かる内容だが、こんなもの「昔のオタク史にはそんな事実はなかったじゃないか、出してみろよ」と言うamamakoが「事実はもちろんある」と反論を食らっただけの話なのである(細かくはhttp://anond.hatelabo.jp/20090523030043を見てもらおう)。引用されたNaokiTakahashi氏の言も、あくまでamamakoの「昔のオタク史」説に対するリアクションに過ぎない。amamakoこそは昔のオタク史を「知ったこと」だと思っており(ただし、知ったつもりなだけ)、NaokiTakahashi氏たちこそがその「(嘘まみれの)抑圧」に対して反発しているのだ。なのに有村悠には一連のやり取りがまるで逆かのように見えているらしい。私は困惑した。有村にはこんな簡単な状況が見えていないのか? なぜ?
それでも私はまだ疑っていたのだ。彼はそんなに馬鹿ではない、ないはずだ、と。だがまたしても、そんなときにエントリはあがる。"「○○は人間の本能《だから正しい》」というありがちな論法"(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)だ。彼はjoe11111氏のつけたブックマークコメントを引いてこう書く。
子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない。そもそも発端はタバコと子育てを同じ次元で見た駄文でしょ?あんなの最初読んだ時にコメントする価値すらないと思うのが普通
というコメントの前半についてなのですが、これが赤木智弘氏の主張(個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為=子育ては趣味といってよい)への反発であることを踏まえると、
という部分には「本能《だから正しい》」という価値判断が含まれているように読み取れます。「本能《だから当然》」でもいいのですが。
しかし、《》の部分は実は偏見なのですね。本能であるということ自体は、本来いかなる価値も帯びないのです。そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
なぜ? 確かに「子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない」という文章は分かりにくい。率直に言えば、私にもはっきりした意図がまるで分からない。が、これはそのまま読めば(「子育ては趣味」という論への反発としても)「子育ては本能だから、義務だからやるとか趣味だからやるとかいう理由などない」としか読みようはないだろう。そこに「正しい」とか「正しくない」とか言う価値判断は必ずしも入ってこないのだ。「当然かどうか」についてはなおのことである。善人が善事をなすのは当然、悪人が悪事をなすのもまた当然。「当然」に価値判断などありはしない。この価値判断は、有村も書くようにただ「含まれているように読み取れ」るだけであり、それさえもさしたる根拠はなく、「有村が」自身の解釈においてそのような意味を「与えている」というのに過ぎないのである。にもかかわらず、有村は書く。
そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
そこに、joe11111さんの主張と同じように《だから正しい》《だから当然》、あるいは《だからやむを得ない》という価値判断を含ませると、戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます。
正確に読み取ることなどできなそうな「joe11111さんの主張」をなぜ有村は読み取れるのか。さらに続く
joe11111さんは、子供を産み育てることは理由などないほどに当然の行為だとおっしゃりたいのだと思いますが、それは結局倫理的・道徳的に好ましいという意味です。
については失笑するほかない。兎のつがいがさかって子育てし始めたらどうか。それは理由もないほど当然の行為だろうが、それも倫理的・道徳的に好ましいのだろうか。
いや、根拠の薄い憶測解釈も、結果的に当たっているのならそれはそれでいい。しかし、その解釈は当たってなどいなかった。有村の解釈が披露される以前に、joe11111氏はコメントの補足をしている。
ご指摘に関しては、まさに仰る通り「論点のすり替え」です。「だから正しい」がどれにかかっているのかはハッキリしませんが、「子育ては義務議論」にかかっているのであれば私はどちらの味方でもありません。どちらかを正しいと主張したいがために持ち出した論点のすり替えではありません。
私が言いたかったのは
人間が子供を産み育てることに誰にでも共通する普遍的な真理などあるはずがない
↓
発端の記事
(http://news.livedoor.com/trackback/4109939?tc=cf328439421c63bb4f2056d5d3d1a1fd)
はそれを「趣味」と決め付けた
↓
joe11111氏はどちらが正しいかなど主張しておらず、「論点のすり替え」も(話を正邪や好悪などにすり替えているのでない以上)「自然に訴える論証」でもなんでもない。つまり、有村の論は全く・完全に誤読であった。有村解釈の部分は実は偏見で、《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えていたのは、まさしく有村悠であったのである――さあ、有村はどうしたか。
追記
この記事をタラタラと書いている間に、joe11111氏のブログのほうでお返事をいただいていた。
こちらを更新したあとでトラックバックに気づいた次第、申し訳ありません。(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)
y_arim 2009/05/25 20:45
わあ、すみません。この記事がアップされたことに気づかず、ぼくのブックマークコメントの内容を改めて書き直したブログ記事を上げてトラックバックを打ってしまいました。ご笑覧いただければ幸いです。
とりあえず、joe11111さんの意図は了解いたしました。(http://d.hatena.ne.jp/joe11111/20090525/1243242720)
これだけ。これだけである。誤読で「偏見」だの「自然に訴える論証」だの「誤謬」だの「戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます」だの…散々に難じておいて訂正もない。無礼について謝罪のようなものもない(「申し訳ありません」「すみません」は単にエントリアップのタイミングについての話である)。
泡沫フリーライターめ、なぜこんな文章を書いて恥ずかしくないのだ。事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか? 有村には事実に基づいてものを論じるという資質そのものが欠けているのではないだろうか。なにがモノカキだ、なにがライターだ? おまえはblacksorceryと違ってそれを自称しているのではないのか。矜持の差は、覚悟の差はないのか。
どうでもいいんだけど「陵辱された側が喜んでる内容」のゲームなんてほとんどみない。
「陵辱された側が感じている」ゲームはよくあるけど、特に喜んではいない。
むしろ陵辱のシークエンス自体は鬱系のゲームにも多い。(ネガティブな要素として扱われていることもある)
なんか想像されているような陵辱ゲームは残念ながら存在しない。
AVならまだしも、陵辱することそのものを推奨するようなゲームというのは見たことがない。
まあ例外的にレイプレイは比較的、陵辱をテーマにしているゲームだが、
実際にやってみるとわかるが、女の子がぜんぜん痛そうじゃない。
なんというか「すごくロボットぽい」のです。
陵辱の真の楽しみは相手を傷つけ、自分の支配下に置くことだと思うのだが、
そういう楽しみをまったく再現できていない。
エロゲームの文化はその受け手がそうであるように恐ろしくスポイルされているので、リアルな表現に至らない。
たぶんレイプレイを見て実際に陵辱しようと思う人間はいないし、
もしエロゲーマーがまかり間違ってレイプを試みたとしても、女の子が抵抗したり、痛さを感じていることがわかると
その衝撃にレイプすることをやめてしまうだろう。
“「オタクポルノ規制の経緯を知れ」はオタクの教養的抑圧か?”http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090521/1242967919
ただ……ぼくが思うのは、たとえばamamakoくんのような20代前半くらいの若い(そして最近増えた)オタクにとって、そんな昔のオタク史など知ったことではないのではないかということだ。それどころか、「上の世代の教養的抑圧」のひとつと受け取られて反発される可能性はないだろうか(実際どう思うか、amamakoくんには聞いてみたい)。
あたまのよいy_arim先生はむつかしい話も理解できるので私とは違うものが見えているのだろう、と思いつつ、どうしてもこう考えてしまうんですね。「これそんな大した話なのか?」
だいたいamamakoくんは「教養的抑圧」ってだいすきなんじゃないか。
amamako 2009/05/18 22:11
なんか、↓の台詞思い出しちゃうなぁ
「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。そして最高意志決定の段階では、現実なるものはしばしば存在しない。戦争に負けている時は特にそうだ。」
のあたりなど、amamakoくんが「教養」をこよなく愛しているのが感じられて私などは知っただけで耳まで赤くなるのですね。もちろんこの元ネタは本来の元々ネタ、ジェイムズ・F・ダニガン『新・戦争のテクノロジー』ではなく、『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)であります。
で、y_arim先生のお説に戻りますが、先生の書いたエントリ冒頭の引用をざっと読むと、まるで
そもそもエロ漫画の摘発なんてエロ劇画黎明期の70年代から例があるし、エロゲだって、177とか沙織事件とかガイナとか。ずっとこうなのよ、ポルノ業界は。
で、ロリコン漫画(アニメ絵エロ漫画)ブームが82~83年あたりからなので、オタクポルノ業界は、警察に手を入れられて逮捕者出してからのほうが歴史長いんですよね。実は。
なんつって「いままでのれきし」を開陳するNaokiTakahashiさんが、なるほど「上の世代の教養的抑圧」派に見えそうになる。でもそれぜんぜん違うと思うのね。「守るべきもの - 日常ごっこ」コメント欄を見れば、冒頭のあたりって
amamako 2009/05/18 22:11
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090516/1242467278より
"そもそも今まで何でエロゲ―がそんなに注目を浴びなかったかといえば、それはゾーニングがきちんとされてきたというよりは、端的に「パソコンとかがまだマニアしか持たないものだったから」でしょう。つまり、余程のこと、例えばいきなり秋葉原にやってきてどっかのいかがわしいビルに入り込んで地下一階に行くとか、そういうかなり直接的な行動が無い限り、エロゲ―なんてものはそういう人の目に触れることはなかった訳です。
(=つまり、「今」以前の歴史において、ゾーニングと関係なく、エロゲはさほどの注目を浴びる状況に無かった)
amamako 2009/05/18 22:29
実例を出してみなさいよ?松文館事件以前にエロマンガがわいせつ物扱いされて、出版社の社長や作者が逮捕されるようなことがあった?青少年育成条例だってどんどん厳しくなってゲームにも適用されるようになっている(まぁ、これはゾーニングが厳しくなったってことだから、厳密には規制とはちがうけど、でも有害図書への圧力が厳しくなっているっていう意味ではあるよね?)。自民党は青少年環境対策基本法を公約にし、参議院に提出なんかもしている。こんな風な実例に匹敵するような実例が果たしてあるの?どっかの県で青少年育成条例がゆるくなったりした?
(=「松文館事件」以前の歴史において、わいせつ出版物への弾圧や、考慮すべき「規制強化」の実例など無い)…みたいに、「教養的抑圧」をまるだしにしつつ「いままでのれきしにおける事実の非存在」をおれっちは知ってるんだぜへへん、というamamakoくんに対して、各氏が返す刀で「 そ ん な ん あ っ た ち ゅ う の 」とamamakoくんを足場ごとまっぷたつ、というようなシーンに思われるのです。amamakoくんもまた、
amamako 2009/05/20 15:46
それは知りませんでした。すみません。
>沙織事件
それも話には聞いたことがあったんですが、しかしその時のエロゲーへの注目のされ方とはまた違う注目のされ方が今なされている、またはこれからなされるというのが僕の仮説です。
「実例を出してみなさいよ?」と啖呵を切っといて「知りませんでした。すみません」、「それは知ってたけどぼくには仮説があるんだ! あと注目が今されてるかこれからかはまだいえない」(←「調査したり出来るけど、そんなことまでやる義理はないし」じゃなくて事実を調べて仮説を補強しろよ)とアレな態度で。これはどうにも
ここで起こるのが、あの忌まわしい「教養的抑圧」というやつだ。「○○も知らずに偉そうに!」「○○知ってりゃ偉いのかよ!?」……ええ、ええ、わかってます、自戒込めてます。
という「amamakoくんのような若いオタクに対して、昔のオタク史を知ってるやつが偉そう」という話とはいえず、
だの
だのという大仰な話でない、「たんにamamakoくんが偉そう、かつよく知りもしないジャンルで大口」という話ではあるまいか、と考えてしまうのです。
「これそんな大した話なのか?」。
さっき電車の中で隣の席のやつがPSPのアイドルマスターをやってるのを見てショックを受けた。
僕からすると、ギャルゲーはあまりにも典型的なオタクらしく、かつてオタクであることを捨てようとして服に凝ったり洒落た店に行ったりして悪あがきした過去があるので信じられなかった(なんだかんだ言って今もオタクなんだが)。
げんしけんがブームだった頃に聞いた話だが、最近の若いオタクはオタクであることにコンプレックスが無く、ナチュラルにオタクをしてるそうだ。
彼が電車の中でギャルゲーが出来るは、コンプレックスが無いからなのか、コンプレックスはあるけど開き直っているのからなのか、それとも僕が思うギャルゲー=オタク趣味という感覚がそもそも無いからなのかが知りたい。
また、ギャルゲー=オタクという感覚は僕だけの思い込みなのか、一般的なのかも知りたい。
僕にはギャルゲーは無理だ。
罰ゲームをしてるような気持ちになると思う。