はてなキーワード: ういとは
10年以上前になるが、俺も社会人になりたての頃は、バーチャやら何やらで月に5,6万ゲーセンにつぎ込んでた。
ほぼ中毒で一秒でも早くゲームがやりたくて、仕事帰りにゲーセンまで走っていったこともある。
今は全くやってないけど。
まったく逆。
そういう自分の分野の基準でしか考えられない理系ばかりだから、製品が売れない。技術が世の中に出ない。
で、国力が衰えていくわけだ。
じゃぁ、子供の頃に大人によって否定された事が原動力で発見されたりした新事実についてはどう思うんだろうな。
ちょっと話題になった「アリジゴクの発見」は小学校4年生らしいぜ。
「納得のいく答えを得られなかった」と件の子供は言っている。
だから、「自分で試した」わけさ。
いい加減「肯定」が正義で、「否定」は悪とか二元論で語るの止めろよと思うんだがな。
その上で、生徒数が30を超える学校の先生に、一人ひとりの個性に合わせて否定と肯定を使い分けろなんて、
そんな高度な指示できないだろ。
むしろ3×5と5×3が本質的に同じものだと小学2年の段階で気付けないようなセンスの無い奴は理系に来ちゃいけないレベル。才能とかより遥かに低レベルな話。
あり得ん。
むしろ3×5と5×3が本質的に同じものだと小学2年の段階で気付けないようなセンスの無い奴は理系に来ちゃいけないレベル。才能とかより遥かに低レベルな話。
指導法に「正しい」も,「誤っている」も,ないんじゃないか?
三つの固まりが五個で、かけられる数とかける数とする考え方と
五つの対象に三個ずつ、という風に考えるのだって
考え方に「正しい」も「誤ってる」も無いのに、そこに×(バツ)をつける指導法は大きな誤りだと思いますよ。
その後のフォローといっても、×をつけられた子供の「どうして?」を解消させることが可能でしょうか?
こう考えても同じだし、周りの大人もこういう考えもあるといっているのに、先生の言う考え方をしないとダメだと言われたら…
×の理由をどうフォローするというのでしょう?「全体主義的な指導法がある為」というのを子供にわかりやすく説明するのでしょうか?
そういえば映像流出問題について「公務員が政府の指示に従わないと国家運営がどうたらこうたら」と言っている人達、君が代・日の丸問題への日教組の姿勢を何て言うの?
そういえば映像流出問題について「公務員が政府の指示に従わないと国家運営がどうたらこうたら」と言っている人達、君が代・日の丸問題への日教組の姿勢を何て言うの?
愛国無罪を主張してなかったっけ?
批判しないよ、おめでとう。
http://i.2chblog.jp/archives/1444791.html
という記事を読んで思ったこと。
ニート上がりの人って、二極化するんだよな。ニート時に膨らんだ自尊心を抱えたまま脱却できない人と、現実を受け入れて身の程を弁えて努力していく人にさ。
で、後者のタイプは人生を挽回しやすい。なぜかというと、謙虚・素直で努力するから。
社会的に下層にまで落ちぶれたという現実を受け入れている以上、傲慢になんてなりようがないし、謙虚な態度になる。周りは自分よりも賢いんだと分かっているから素直に話を聞く。自分が周囲よりも落ちこぼれていることを認めているから、追いつこうと努力する。
そういう場合に、会社は社員を教育する義務があるんだから自助努力しなくて良いんだという計算はしない。部下の監督は上司の責任だからと甘えない。自分が馬鹿だってことを受け入れているから、変な言い訳をして自尊心を保とうとしない。ただ、自分の過去の過ちを認めて、堅実に努力していこうとする。
もちろん、そんなことをしてもニートなんかにならずに謙虚・素直で努力する人にはかなわないままなんだけど、多くの人は大学受験なり就職活動なりで努力を止めちゃうんだよな。そのままでもエスカレーター式に上がっていける以上、必要性を感じないから。そうすると、努力する元ニートと努力しない一般人の勝負になって、時間の問題でどこかで元ニートが追いついて逆転することが多い。で、人生の挽回が成し遂げられる。実力主義の分野だと特にそう。
安直に人を見下して、ニートはどんなに努力をしても一般人には追いつけないんだとレッテル貼りをしたがる人がいるかもしれないけど、そんなことは決してない。結局、若い頃の一時期に周囲と比べて未熟だったかどうかで大きく分岐しているだけで、元々の素質それ自体には大差はないから。問題があるのはむしろ人格的な幼さで、そこを克服できれば同じ土俵の勝負になる。
共働きの基準って、やっぱり週5日は働いていて
正社員で、独り暮らしなら生活できるぐらいの経済力があることだよね。
言い訳にしか聞こえないのだが。
パートもピンきりだからなぁ。
職種にもよるかもね。肉体労働系だと慣れるまでは辛い。
で、当然家事は分担だよね?
専業主婦は1日使って家事するわけで、兼業だとパートの分だけ時間が短い。
さらに子供がいたりすると余計な気も使う。(子供が病気で急遽休まなきゃとか)
その分の家事は当然パートでない配偶者のほうもやってるんだよね?
いるんだよね、「俺、ゴミ捨てと風呂掃除はやってるよ!」って偉そうに言うやつ。
そんなもん小学生だってできるっつーの。
「収入だって俺のほうがぜんぜん多いし」
そりゃ子育てでブランクとか転職とかがなきゃ収入も多かろうよ。
まあ、増田はそうじゃないだろうけどさ。世間にはいるんだよね。そういう馬鹿が。
うちの父がそうなんだけどさ。
僕も読みたいのだけど、キチガイで毎日幽体離脱と乖離を繰り返している自分にとって
何かプラスになるだろうか。それとも青春小説のように楽しめるのだろうか。暗いふち
が待っている。流行の小説を読みたいという願望と僕の中の暗い部分はまったくもって
一致しない。結局こういう風に僕は死んでいくのだろうか。あの世のことばっかり考え
ている僕が『もしドラ』を読むことに何か意味があるのだろうか。素敵なあの世生活が
待っているのだろうか。僕には意味が何一つつながらない。ここまで書いてようやく
『もしドラ』が『まねじめんと=人を管理すること』に気付いたよ。結局僕とは何だっ
たのだろう。
今から十年前のことだ。
あの頃は、今よりずっと人付き合いが苦手で、でも一人でいるのも恥ずかしく、必死で友達を作ろうとしていた。
いじめと呼べるほどのものではない。ただ昨日までは机を突き合わせて一緒にお昼を食べていたのに、今日になると突然私の机だけがはじかれているとか、聞こえるギリギリくらいの声で悪口を言われるとか、そういった地味な仲間外れが度々起こった。一大決心で他のグループに入れてもらっても、仲良くなるとそこでは売春や万引きが当たり前だということが判明。自分に合う友達はなかなかできなかった。
卒業間近にはようやくあるグループの中になんとか入ることができたけれど、「高校生活、うまくいかなかった」という感情が残ってしまった。そして最終的に仲良くなった子たちとも、卒業後何年かしてちょっとひどいことが起こって、付き合わなくなった。
卒業アルバムは捨てた。学生時代のものは、もうほとんど何も残っていない。
「死にたい」って言葉ばかり並んだ、あの頃のノートだけは捨てられずにいる。
毎日お茶したり、お昼を食べたり、放課後には当たり前のように集まってじゃれ合っている。
憧れの日々。
1期と2期を通して見ていたら、一緒に高校生活を楽しんでいるような気分になった。
そしてふと思った。ムギって、ちょっと浮いてるよね。
なんだかんだ言って幼馴染って特別な絆なんだ。律は澪で、唯は和ちゃん。あずにゃんは後輩だからまぁいいとして。あの「みんな仲良しだけど特別仲良しはいなくてちょっと浮いてる感」が、うまくいってる時の私とちょっとダブった。ただし逆のベクトルで。ムギの場合は一人だけお嬢様だけど、私は一人だけ貧乏な家の子だった。みんなは大事に育てられてる子たちで、私はその逆。
決めた。
私は高校時代を、この桜が丘高校軽音部で過ごした。
毎日みんなと一緒にお茶して、いっぱい笑って。
中でもムギと特に仲良しだった。
そういうことにした。
だからもう苦しむ必要はないんだ。
職場での世間話の途中で学生時代の話になったり、テレビに高校生が映ったりする度に落ち込んだりしなくていいし、彼氏が友達の話をする度に自分たちを「うちら」と呼ぶことにいちいち傷つかなくたっていいんだ。唯が「卒業アルバムは一生残るんだよ」って言ってたけど、私の卒業アルバムは大嫌いな人たちが載っている捨てたアルバムじゃなく、みんなに髪を整えてもらって撮った桜が丘のアルバムなんだ。
多くの人にとってはただの萌えアニメかもしれないけいおん!だけど、私にとっては青春だ。
けいおん!ありがとう。
大好きを、ありがとう。
ずっとずっと苦しかった三年間の思い出を、書き換えてくれてありがとう。
マジレス。
自殺は罪です。
もちろんどっちも駄目なのはいっしょだけど。
死んだら終わりじゃなくて、その先にも
今生きていて感じているのと同じような暗黒が待っているとしたら
自殺したら、さらにその暗黒は続くよ。
状況がよくわからないけど、とにかく生きろ。
かっこわるくても生きろ。
>あー・・・。と思ったときには事態は分水嶺を越えていて
>というかまず、「そんなミスどんなアホならするんだよ」ってレベルのミスであって
>しかも、それは確かにミスといえばミスなんだけれども、ある種の『手抜き』(よく言えば効率化)に根ざすものであって
>会社的に「ごめんなさい」で済むものでは決してなく。というか、屋台骨は揺らがないにしても部署一個くらい消し飛ぶんじゃないかこれ。
http://anond.hatelabo.jp/20101116145631
なんでことあるごとに「あなたより出来るぞ」顔なんですか
「若い男性は家事が出来ない」と思い込んでいて、観察に基づいて情報を修正する習慣がないから。
彼女は一生、元増田は家事が出来ない若い男性と思い込むわけだし、当事者である元増田以外の人間はなんの被害もこうむらないのだから、職場の上司が改善してくれるとも思えない。
『月刊Big Tommorow』という雑誌がある。青春出版社が発行しているビジネス雑誌だ。流通点数が多く、コンビニでも良く見かけるので、知っている人も多いと思うが、実はこの雑誌、表紙のコピーが毎月同じような内容であることをご存知だろうか。
例えば、今月号の表紙を見てみよう。『【大特集1】 ひとつの思いつきが1億円になった例も! 「カネなし」「コネなし」!30代で成功した人たちの人生が変わる儲けの仕組み 【大特集2】 お金持ち10人の24時間研究1億円が手に入る「賢いお金の習慣」』。
先月号はこんな感じ。『なぜかお金が増える人 知らずに貧乏に向かっている人 このやり方で決まる!』『0円で不動産を買う方法から自動的にFXで稼ぐやり方まで 日本人の5%の人がやっている 「毎月大金が入ってくる仕組み」』
先々月号はこんな感じ。『【総力特集】 一生分のお金を5年で稼ぐ 「人生逆転プラン」の作り方』
このように、『いかに本業とは違う方法で稼ぐか』という記事を毎月毎月掲載しているわけだが、流通点数が多いということはそれだけ記事の内容に対して需要があるということだろう。だが、需要が多いということは、裏返せば『本業』に対する不満も大きいということだ。僕にはこの雑誌から、『労働から解放されたい』というサラリーマンの怨念を感じる。(僕自身からもそれは感じるわけだが)
要は労働から解放されれば良いわけで(自己実現願望を除いて)、そのための方法を何個か考えてみたのだが、どれもリスクが大きいか、労働から解放されるために更なる労働を強いられるものばかりで、考えただけでげんなりしてしまう。そういうのってやっぱりないよな…と思った瞬間、閃く。
「そうだ、美人でお金持ちの女性に自分を養ってもらえばいいじゃ~ん!」
すぐに『出会い系サイトの広告かよ』とか『ただしイケメンに限る』という文章が頭の中に展開したが、少し思い直す。待てよ。社会的に嘲笑の対象になると思うが、同時に今の時代でこの思考・考え方・生き方は案外メジャーに行けるんじゃないだろうか。何しろニートが大量増殖している時代だし、『女性に養ってもらう』という考え方がメジャーになってもおかしくはない。昔から『ヒモ』とか色んな言葉はあったと思うが、もう少し『ニート』のようにメジャーなものとして。
要は、『女性に養ってもらう』方法を、一つのビジネステクやLifeHack、裏技として捉えれば良いのだ。今は価値観が多様化して何でもありの時代だ。だったら『男性に養ってもらう』という考え方が反転して『女性に養ってもらう』という考え方が流行したとしてもおかしくはない。
何しろ女性は強い。男性よりも圧倒的に強い。女性は強者で男性は弱者だ。女性は気が強くて、男性は引っ込み思案だ。男性を守るのは女性で、男性は女性から『守られるべき存在』になってしまったのだ。だからそんな時代で、男性はキャピキャピと、「アタシのカノジョ~、ちょ~金持ちで~」「ワタシも~カノジョから『アナタのこと、一生面倒みてあげる』って言われちゃった~」という会話をすればよいのかもしれない。ガールズトークのようにメンズトークをすればよいのかもしれない。「『男性は女性を守る』という本能が働いていて(キリッ」という人もいるが、僕には『男性本能』『女性本能』なんてとっくにぶっ壊れているように思えてしょうがない。
いやー、そこでさーその話私に振られても。つか私がそういう決定下せる立場じゃないって知ってるじゃん。
単に話しやすそうってことで振ってるのはわかるが。
この話しやすそうってのも親しみを持ってるワケじゃなくて、こういう複雑というか微妙な話を振っても強く反論してこなさそうって意味だよね。有り体に言えばまあ、侮られてるというかさ。とにかくこの件を通したのは運営だし、それに関する具体的指示もありませんでした!そしてその具体的にあれこれするための決定権は私には無い。つか、いくら疑問を呈してこうしろああしろ言っても、直接意見できる立場じゃないからあなた方は責任取れないよね。
はー、もういいわー。
あー・・・。と思ったときには事態は分水嶺を越えていて
というかまず、「そんなミスどんなアホならするんだよ」ってレベルのミスであって
しかも、それは確かにミスといえばミスなんだけれども、ある種の『手抜き』(よく言えば効率化)に根ざすものであって
会社的に「ごめんなさい」で済むものでは決してなく。というか、屋台骨は揺らがないにしても部署一個くらい消し飛ぶんじゃないかこれ。
いやもちろん、必死にフォローに入って「この先三日は布団で寝ない」くらいの覚悟があれば多分
上司を救助することもできたと思うんだ。今日の時点なら遡及してなんとかすることは出来たと思う。
でも残念なことに、俺はその上司が超大嫌いなんだよね。
「あー、この人がこの会社で大きな顔出来るのも今日までか。明日には自殺を考えるだろうなぁ」と思いながら、今さっき帰宅した。
自分には人並みの情けとかそういうものが備わってるかと思ってた。
大体、上司が気に入らないのも「喋り方が気に入らない」とか「ワイシャツのセンスがウザい」とかそういうレベルで
別段悪い上司だというわけでもない。嫌いだけど。その「嫌い」っていう一つの要素さえあれば
他人の人生一つくらい切って捨てても俺の良心は痛まないんだなぁ、というのが今日の発見だった。
とりあえず、今日は「ここ一年有給とってないんで、明日明後日いいっすか。最近暇ですし」と断って休みをいただいた。
有給消化しろと総務からせっつかれてたからとてもすんなり。
そして、俺は明日朝一で旅行に出る。一泊二日で温泉に行くんだ。帰って来たら会社がどうなってるかなぁ。
なんだろうこのなんともいえない快感は。良心とかいう次元でなく、三日ぶりにシャワーを浴びて新しいパンツを履いたような爽快感なんだけれど。
まぁ、運が悪ければ旅行先から呼び戻されるだろうけど。
それでもまぁ、どっからどう考えても俺に責任は1ミリもないし。まぁ、明日俺がいないと最低限打つべき手がほぼ全部打てなくなるけど。でも俺のせいじゃないし。あー、明日は金目鯛のしゃぶしゃぶ食おう。あー、せめてデスクの鍵開けて来てやれば打つべき手一個くらいあったのかな、焼け石に水だけど。でも施錠はしっかりするべきだと思ったんだ、社会人として。
こういう議論で「皿のほうが先に来たほうが自然だよね()」とか「可換()」とか「本質()」とか言ってる奴なんなの?
自然なんてのはおめーの主観で、小2の教育に可換だ非可換だなんて導入できっこない(というかしても理解されない)し、本質なんてのは代数を本格的に取り扱う中学からで十分。
そりゃあ八合目まで登ったみなさんにとっては一合目のための教育なんてぬるくて反吐が出るし、「俺にできたんだからお前にできないはずがない、というか一合目でちょっとつまずいたらしいけど記憶なんてねーやHAHAHA」とかいう状態だろうよ。
だいたい「考え方によっては3*2でも合ってるだろ」とかいう「少数派」ってのは切り捨ててきたし、それが誤りでもない。
万人に正解のチャンスをやれなどという奴が、まさか政治や福祉で弱者切り捨ての論理を振りかざすわけではあるまいし、何を「そうだそうだ俺もそう思ってたんだ」とけちつけてきてんだか。お前らやってることがフェミと同じだ。キモイ。そしてあわよくば死ね。
同意。
ただ、玩具売り場や子供服売り場にいって女児用を見繕おうとすると、売り場が「既にそういうもの(ってどういったらいいかわからないけれど、「きらきら。ぴんく。おひめさまみたい」)しか用意されていないように見えるときがある」がちょっと気になることがある。歳をとったので「わかった」のかもしれない(苦笑)。