はてなキーワード: 閑古鳥とは
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1
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日本人は人も国も冷めているのが多いですね。
とりあえずくだらない日本語の延命措置の方法を考えてみました。
●少子化を解決する
(今の政治では無理です。)
(国は文化にお金をかけたがりません。)
●再び経済強国になる
(経済的にメリットがあれば外国の方も積極的に学んでくれたがもう無理っぽいですね。80年代はオーストラリアとかも日本語教育に熱心だったけど最近は閑古鳥。大連などオフショアリング拠点や東南アジアからの移民受け入れがせいぜい。)
●文化的に魅力的になる
(円安とともにビジットジャパン計画はとりあえず成功したがそこから日本語普及へは壁が高い。それに国や地域を挙げて文化を守るという意識は低い。)
●文化を積極的に輸出する
(日本文学の翻訳は英語圏では圧倒的に減った、日本文化に精通した外国人が減ったともいえる。例外なのがフランス。日本食は健康ブームに乗って広まったがそれが言語普及へとはつながらない。)
●ジャパニーズポップカルチャーを好きになったついでに日本語を覚えてもらう。
(これが一番可能性がある?幸いアニメがハリウッドに次ぐくらい世界中に広まっていますし、ビジュアル系も一時欧州などで人気もありました。
ポップカルチャーに日本語教材を拡充してアニメの世界だけでもコミュニケーションを日本語にしてしまうとかニッチな世界で日本語をグローバル言語にする野望。)
(どこかの学者が日本語を覚えると頭が良くなるとか平和な考えになるとかの学説を発表し、DSなんかで「脳を鍛える日本語トレーニング」とかいうソフトを流行らせる。)
とりあえず最近の日本人は海外に出る人も少なくなっていると聞くし、外国からの訪問者にもかなり厳しい。
ちょww意味ねぇww
夜中にハンバーガーを買って持ち帰って食せと申すか!
ヒマなのか絶望しているのかよくわからない
表情のない白い顔で外を見ている。
目が合うと申し訳ない気持ちになるので
いつも足早に立ち去る日々だ。
ちなみに立地は駅前だが、30メートルも離れてないトコに松屋(24H)。
50??60メートル離れた幹線道路沿いにもファミレス(2時まで)。
駅の反対側にココイチ(AM0:30まで)。
最終は上りが24時下りがAM1時。
営業する意味あんのか?
常にテイクアウトに対応できるよう、
ポテト揚げ機やパティ焼き機を稼働させておくだけで
かなり光熱費がムダになるのではないか?
それともまさか、お持ち帰りはドリンクメニューのみとかいう
オチではないだろうな?
どう考えても店舗を疲労させるだけだと思うのだが。
「客が来ると店が疲れる。店が疲れるのは良くない」と言った
ちょっと検討してもいいような気がする。
地方に住んでる増田っす。
こないだ友達の子に「県内で○○(微妙にマイナーなお菓子の種類)売ってる所知らない?」と
聞かれたので、検索して探してあげる事にしたんだが、出ねェ事出ねェ事(泣)。
もちろん地場のローカルな情報を掲載してる、所謂口コミ系のサイトとかも見たんだけど、
殆ど誰も口コミ投稿してない。基本データが載ってるだけの閑古鳥状態。
「初音ミク」ってググれば葱突っ込まれてあひんあひん言ってる画像まで見れちゃうこのご時世に。
その後、なんとかお店は見つかって万事解決って所なんだけど、色々もやもやと考えてしまった。
探したのがマイナーなお菓子だったからなのか、地方だったからなのかって。
なんかWEBとかテクノロジーとかそういうのがスゲー進歩してんだなとビックリさせられる一方で、
「アレ?こんなのもまだできねえの?」と思う事が多い。
地方の同人イベントの日程を知るには、オタク系の店の張り紙を見るか参加者のBLOGを読まないといかんかったり
AMラジオやテレビ東京系を視聴地域外で楽しむ為にはアンテナ持ってうろうろするか公団住宅の屋上に(以下略)。
(勿論調べれば動画サイトやら何やら方法は幾らでもあるんだけど。)
まあその半端な不便さも風情って思うと、それはそれでいいんだけどさ。
セカンドライフが過疎化しているとネットユーザーから嘲笑されている。
ネットをビジネスの場としてとらえていない企業をネットを娯楽として楽しんでいる層が嘲笑しているような構図が見える。
しかし、過疎化が進もうとセカンドライフへ進出する企業の勢いは日経産業新聞等を読む限り衰えはない。
空疎な空間に企業の金が入ったコンテンツが相変わらず増殖しているのが現状だ。
企業にとっては将来への投資かもしれず、あるいは実験場としてセカンドライフを利用しているだけかもしれない。
セカンドライフ内のコンテンツに閑古鳥が鳴こうとも、参入して各種メディアに社名とともに取り上げられるだけで
十分広告効果でペイできるのかもしれない。
とはいえサービスを立ち上げたら利用して欲しいのは当然だろう。
誰もいない空間の中で、彼らに接触したらVIP待遇を受けるかもしれない。
現実社会ではフリーターやニートに甘んじていても、セカンドライフ内では企業にお客様として
扱ってもらえるだろう。そう考えると、一般参加者が少ない今こそ逆張りでセカンドライフ内の探索に行くのは
費用対効果が高いかもしれない。思わぬ恩恵が拾える可能性だってある。
実際は自分のブログに嫌なコメントつけられた所で削除アク禁など対処法はいくらでもある。なのになんでコメント付ける行為だけが悪者にされて「ヲチ先触らず荒らさすマッタリと」っていうヲッチャー行為は最低のネットマナーとは言われないのか?納得いかない。書かれる方にとっては他所の記事で叩かれたほうが対処法が限られていて精神的重圧感はあるのに。それなら不特定多数にコメント求めなくてもいいじゃん。
荒らしの定義を「罵倒発言をする人」っていう人がいたんだけど、実際は荒らしと呼ばれる人はあからさまな罵倒よりも揶揄と曲解と脅し芸のほうが多い気がするし、ささいな発言で大騒ぎする管理人に限って、管理人にとって都合の良い罵倒は感謝こそすれ荒らし扱いしないですよね。
本当は荒らしの定義は「罵倒する人」じゃなくて「サイトの運営を妨害する行為をする人」なんじゃないかな。そういう意味ではかならずしもコメントじゃなくてもいいわけで。極論だけど通報も荒らし行為に入るのかな?
荒らしだ荒らしだと騒ぎながら、結局その荒らし認定者のサイトにクレーム付けて新たな荒らし行為をしちゃうんだからさ。それでどちらかでも相手を閉鎖に追い込むような所までいけば、勝てば官軍負ければ賊軍なんですからね。でもここまですると、いくら勝って溜飲下げた所で流石に冷静なROM専はドン引きだ。キレたらなにしでかすかわからない管理人を遠巻きにして近付きずらくなる。人のの注意も耳に入ず罵倒と捉えるから、誰も注意出来なくなって結局一人になっていく。そうして閑古鳥が鳴くサイトのイッチョあがり!
サイト潰されたほうは悔し涙を堪えつつHN変えて出直し。新しいネットライフを始めている事でしょう。
ネットマナーとはいったいなんの為に必要なのか?勝者の作ったルールなんて破る為にあるのさ。
徹夜明けで寝ぼけてて自分でも支離滅裂、何言ってるのか分からなくなってきた。
増田に何書いたっていいじゃん、と開き直ったり、おまえの考えを増田に押しつけるな、とか妙に反発する人がいたりするわけだけど、しばらく増田を見ていて気付かないかな、「俺のサイトで閑古鳥が鳴いている、どうしたらいい?」とか「ネットショップが繁盛しない、なにか対策は」というようなエントリが定期的に上がるのに、そのアクセスアップの足がかりとして増田を利用しようとする人がここ数ヶ月、一部の某嫌われ○コみたいなのを除いて一切現れないのはどういうわけだと思う?
そりゃ、商用サイトのリンク掲載ははてな規約に抵触する可能性が高いわけだが、そんなのワンクッション置くだけでクリアできるし、この手のものの人気なんてのは、一旦火がつけばあとはどうにでもなるってことを、みんなよく知っている。ネット上でとある書籍のネガティブキャンペーンが張られて、最初は「こんな本買ってはいけない」て話だったんだけど、それほどディープではない層がキーワードとか言及ランクみたいなものだけを見て勘違いし、そのうち書籍サイトのランキングに入って売り上げが伸びてしまった、著者も出版社もウマー(°Д°)みたいな事例も現実にはあって、結局のところきっかけは何でもいいんだ、だったら安定的にPVを期待できる増田に火種だけでももらおうかな、と考える人がひとりやふたり出てもおかしくはないはずだ。
実際はというと、「ここで晒せばいいよ」といわれても「いや、やめとく」なんて返事が返ってくる。
ところがネットショップやら個人サイト以外のものでは、増田でも頻繁に宣伝活動が行われている。TV放送などはここを見て視聴している人もいるだろう。書籍、ソフトウェアなんかの話もそれなりある。私は、そういうのが直接利益に繋がる人たちも結構増田に出入りしているのではないだろうかと見ている。しかし、こっちはあんまり問題視されない。
これは「PV稼ぎ目的での増田利用が、増田利用法としてふさわしくない」という意識が、全増田にかなり共通している共通意識として持たれている、何よりの証拠じゃないか? ネタ元の人ばかりでなく、読む層も含めて。
つまり、主たる増田利用者の多くはテキストネタを増田向きかどうかという基準で無意識的にあるいは意識的に選別している。ふさわしいか、そうでないか、と考えている、ということだ。そこにはある程度の共通概念もあって、決して「はてな規約的に黒か白か」だけがその基準ではない、ということだ。従って、「ふさわしい」とか「ふさわしくない」という議論もあっても不思議はない、ということだ。「増田は無法地帯だ」とか主張している人は、一度その色眼鏡を外して、冷静にエントリを見てみたらどうだろうか?