はてなキーワード: 浪人生とは
経験から言えるが、他人がうらやむような到達点に辿り着くには、
禁欲をして継続的に勉強、練習を積んでいく必要がある。
たどり着いた事なんか無いくせに(笑)
気持ち悪い浪人生ですね
以下、ポエム気味なので注意。
付き合ってる頃から雑誌にも出てたし、別れた後も芸能活動を続けてるのは知ってたけど、実際にブラウン管越しに見ると結構凹む。
「なんでこんな可愛い子と別れちゃったんだろう」
とか
とか
そういう気持ちに陥るんではないんだけど、なんとも言えないモヤモヤが心の中に残る。
このモヤモヤの正体が分からないから、余計に困惑してしまう。
もう3年も前の話だし、彼女と別れた後も一ヶ月ほどで吹っ切れた。
当然、その後も恋愛はしたし、彼女を思い出すことは滅多になかったけれど、今CMを見た俺はめちゃくちゃ凹んでる。
本当になんでなんだろう。言葉ってのは肝心な時に役に立たない。自分の気持ちを表すことすら出来ない。
多分。多分だけど。
一番悔しいのは、こっちはしがない浪人生でしかないのに対して、あっちは一生懸命仕事を頑張ってるって事なんじゃないかな。
自分に自信が持てないから、自分が好きじゃないから。テレビの中で輝いている彼女に嫉妬しているのかもしれない。
そういう意味じゃこのモヤモヤの原因は、彼女にではなく、自分自身にあるんじゃないだろうか。
靄がはれることはまだないけれど、とりあえず、今日も明日も頑張ってみますか。
『思い出の価値は現状で決まる』と言ったのが、誰かは覚えていないけれど、やっぱり良い言葉だと思う。
先日帰郷したら、実家のTVは画面が横長になっていた。個人的に実家のTVに恨みも恩もないし、ふてぶてしく僕の実家に居座られたところで僕の恥ずかしい過去が所詮Panasonic製品に見られるわけでもないので気にしていない。
よく画面の上端の字幕や人間の頭がきれるので、横長TVが普及していないことはわかる((どういう規格なのか知らない))。たまに実家で安っぽい「バラエティ」や「ドラマ」をTVで見ているとたまにDQNという言葉を思い出す。「こんなものがおもしろいのか」。本屋の新書コーナを見ていると「低所得労働者を夢のある低所得労働者に変えるシリーズ」が売れているようだ。阪神電車に乗っているとほとんどホームレスみたいな身なりの日雇い労働者らしき人間が酒盛りをしていた。
格差論がはやっているらしい。60年代米国に於いて同様に格差論的にいろんな社会現象・心理が説明されたという。
私は普段は独り暮しで学校以外の社会をもたない。そういう私を格差論による説明は説得できない。例えば、「受験勉強に対するモチベーション」について格差論に基づいて説明されてもまるで納得できないのだ(されたのだ)。「下流」の親をもつ人間は努力を無意味だと感じ、「上流」の親をもつと将来への見通しをもち自身の目的のために邁進するらしい。
ところが格差というものの存在を想像する時がある。予備校の近くで浪人生らしき金髪を見た時、コンビニの雑誌コーナの片隅の安っぽい自己啓発本を見つけた時、DDの浜田のシモネタを聞いた時。たまに遭遇する「社会」の表象は、格差の存在を示唆している。しかし、理屈として格差論にはいつも違和感が伴う。騙されていはいないだろうか?「これだから、格差社会は」と。
私は学校以外の社会をもたない。私が感じるものと多くの人が感じているものの違いがそれだけに依存しているわけではないが、格差論が本質をついているとは思えないのだ。蔓延する格差論に漠然とした不安を感じる。
あなたの中で、「勉強して大学行く」という目標よりも「予備校で良好な人間関係を築く」という目標の方がデカくなってることが問題。
前者の目標を達成するためなら、いっそのこと受験が終わるまで人間関係を放棄してみてはどうか?
"人間関係が築けない"ことと"あなたが受験勉強をしない"ことの因果関係は何も無い。
そもそも私は予備校生が築く人間関係にメリットを感じないんだけど。
予備校は授業を受けるためだけに存在すればいいから、それ以外の時間は1人で自習する時間に費やせばよい。
予備校に行くのが嫌で勉強へのモチベーションを下げるなら、図書館の自習室で勉強すればよい。
世の宅浪してる大勢の浪人生も1人で頑張っている。1年間、親との少しの会話だけで生活しても何の問題も無い。
「なぁーに、かえって勉強に集中できる」と考えて頑張ってみては?
「予備校で馴れ合う奴なんて、大した大学入れない」と周りを見限ってみては?
受験が終わるまでは周りの人間みんな敵。戦う武器は自分の『学力』のみ。
親に「そんなに勉強して体大丈夫なの?もう今日は勉強やめたら?」と言わせるぐらい能動的に勉強し続けるべし。
こんばんわ。ちょっと私の話を聞いてくれないでしょうか。私は現在予備校に通っている浪人生なのですが、私は高校時代、高校を中退しました。色々あって鬱病になって中退したのですが、その鬱病の原因はもちろん自分にもありますけど、自分の場合は親にもその責任があると思っているのです。親に学校での人間関係について相談しようと思っても、親はまともに取り合ってくれず、自分はますます悩みをつのらせていって、最終的には布団から出ることのできないほどめためたに打ちのめされて、それで高校を中退しました。
それで親が「どうして学校にいってくれないの!」「お前の考えていることが分からん!」と言って、自分はなし崩し的に精神科の先生にお世話になることになったのですが、そこで先生と親の話していたことが、ああ、どうしてこんなにも親は自分のことを分かってくれないのだろうか!というような内容で絶望しました(幸い、精神科の先生は非常に良い先生で、今では彼が自分の相談役となっています)。
それでしばらくは気ままに暮らしていて、その時は親は何もいわなかったのですが、そろそろ大学進学を考えなければならないということで自分は予備校に入りたい旨を親に伝えました。親は了承してくれて、はれて自分は予備校生になったのですが、そこでの人間関係でまたストレスをためて「あぁ、死にたい??」ってな感じになりまして、それを親に伝えたら「アナタはどこに行ってもそれね。そんなことじゃ社会に出て生活できないわよ」といわれて、ああ、確かにそのとおりだな、自分みたいな落伍者は生きている価値なんか無いんだな、と思って自殺を考えたのですが、勇気が出ず、自殺はできずじまい。結局親に「予備校に行っている」とウソをついて、昼間は本屋などで時間をつぶしています(時々、本屋にいるのがつらくなって家に早めに帰ることがあるのですが、親は自分が何時から何時まで予備校に行っているかを把握していないので、怪しいとも思わず「早かったね」と言葉をかけます。そのことも自分を苦しめます)。
家に居ると今までは何も言われなかったのですが、最近は「勉強しなくていいの?」とかそういうことを言ってきてその言葉に精神的に押しつぶされそうです。確かにもともとは自分が高校を中退して、普通の人とは違う道を歩むことになったことが親との軋轢の原因となったので、責任の一端は自分にあるとは思うのですが、どうも納得がいきません。と言うか自分はどうしたらいいのでしょうか。「なんかワガママなやつだなあ」とこの文章をお読みになった方はお思いになるかと思います。そのとおりです。自分はとにかくワガママで、ここで親に対する猜疑心をつづりつつ、金銭面ではどっぷりと親に依存している人間なのです。こんな自分はまずどうするべきでしょうか。教えて増田さん。
NieA_7って作品を見たんだけどさ、この作品、雰囲気といい音楽といい、かなりクオリティが高いですね(作画は…)。ちょっとね、ここで自分の紹介をしておくと、自分は予備校生なんです。だからこの作品の主人公であるアルバイトしながら予備校に通って大学受験に備えているまゆ子を見ていると思わず自分と重ねてしまうわけです。毎月、乏しい給料で家計をやりくりしているまゆ子の姿が言葉にできない感情を喚起させます。このアニメ観るの実は二回目なんだけど、やっぱり予備校生になる前と後とではかなり感じるものが違ってくることがよく分かりました。糞先生こと安倍吉俊さん原作のマンガもかなりおもしろいんだけど、ゆーうつな雰囲気はアニメの方が強くて、それで「授業をサボってこのアニメ観てる俺って何やってんだろーなー」なーんてことを思っちゃったりするわけで(って授業サボるなよ自分!)。いやー、それにしてもこの作品、浪人生の感情の機微を上手に描いていますね。原作者が浪人経験者だからかもしれないね。明日からまじめに授業に出席しようと思いました。まる。
小学校の終わり頃に患った精神障害(かなり特殊な神経症のひとつ)に人生を狂わされた。あまりにも早すぎて、まだ碌に人生など始まっていない時期の発症だったから、狂わされたというのは少し妙な言い方かもしれない。ともかく、あるきっかけから発症し、その後の生活は全てその障害に支配されることになってしまった。対人恐怖症に似たもので、自分の内面を知られることや、人と会話することが恐ろしくて、何もできなくなった。たくさんいた友達を全て失って、親や兄弟との会話も難しくなった。なんとか学校には行っていたけど、ずっと一人だった。昼休みは図書館の一番奥の席で誰にも見つからないように時間を過ごし、授業が終わると真っ先に教室を出て、近所の公園に向かった。そこのベンチに座って何時間が過ごして、6時くらいになったら家に戻るという毎日だった。いちおう部活に籍を置いていたから、家にはあまりはやく帰れなかった。傍から見たら、完全な狂人のような生活を送っていた。
これほど苦しいのに、自分の精神に起こっている異常を誰かに打ち明ける勇気がなかった。臆病さに関しては僕の右に出る人はいないだろう。とにかく自分が情けなかった。他人とまともに顔を合わせて話せないほどの重症だったんだ。そんな風に、誰の助けを求めることもできないまま一人で悩み続け、中学・高校の6年間を過ごした。
高校の卒業間際になっても病気が治る見込みなんてまるでなかったから、将来どうしていいのか全くわからなかった。大学へ行ったところでうまくやっていけるわけはない。かといって就職できるわけでもない。結局、センター試験でわざと低い点数を取った。そうすれば親に何も説明せずに、浪人というモラトリアム生活を送れると思ったんだ。一悶着があったのだけど、どうしても大学に行きたいからと親に言って、なんとか浪人生活を送ることになった。
数ヶ月間、何もしない時期が続いた。金がかかるからと言って、予備校には行かなかった。図書館で勉強してくると言っては、誰もいない山道をぶらぶらと歩いたり、本屋で時間をつぶしたりしていた。でも、秋頃からはさすがにまずいと思って勉強を始めて、なんとか入試には合格した。とにかく実家から離れたかったからわざと遠い大学を受けて、親にはどうしてもここに行きたいからといって認めてもらい、一人暮らしをすることになった。
大学へ入っても相変わらず、他人との一切の接触を絶った生活を続けた。でも、ほんの僅かな救いは、中学・高校の頃に比べれば病気が少しだけ楽になってきたことだった。少なくとも一人で部屋にいるときは落ち着いて本を読んだり、ネットをしたりできるようになった。掲示板やチャットから、数少ない他人との繋がりが生まれるようになった。
やはり学校にあまり行けなかったから一留してしまったけど、それでもやがて3年の冬になり、就職活動をしなければいけなくなった。たんまりとたまった奨学金、そして今後の生活のために、働かなければならない。そうしなければ生きていけない。今までの学費で親の貯金は全て消えてしまったのだから。
似合わないリクルートスーツを着て、面接を適当に愛想笑いで誤魔化しながら、なんとか一つの会社の内定を貰うことはできた。今の僕は、その内定を貰った後、4月の正式な入社を控えている状態だ。2年遅れているから、24歳の大学4年生だ。
就職はしなければならない。そうしなければやっていけないのだから。でも、とにかく孤独過ぎて、どう言っていいのかわからないほど苦しい。自分を理解してくれる人なんて今後も現れるわけはない。ただの失恋の悩みや、人間関係の悩みとはわけが違う。自分は精神科医ですらほとんど知らないほどの特殊な症例なのだから。こんな自分の内面を理解できるのは、インターネットの掲示板でときおり出会う、かけがえのない同病の人達だけだ。顔も知らず、匿名で言葉を交わすだけの薄い繋がりではあるけど・・。
あまりにも世間知らずで、対人接触の経験の無い異質な人間が、健常者にすら過酷なサラリーマン社会に出ていこうとしている。障害者枠で働いていくことも考えたけど、それは自分のプライドが許せなかった。今まで読んでくれた人は気付いているかもしれないけど、精神障害を抱えながらでもやってこれたのは、ひとえにプライドが高いからだ。周りの人間になめられたくない、負けたくないとう動機だけでここまでやってきたのだと思う。
でも、本当はいまさらどんな努力をしたことろで、健常者とまともに戦えるわけはないこともよくわかっている。身体障害者にはパラリンピックという晴れ舞台が用意されているけど、健常者に混ざって生きる精神障害者には何もない。理解者もいなければ、助けてくれる人もいない。全ての困難を、何の賞賛も無いままに、自分自身の力だけで乗り切っていかなければならない。
これからも何度も何度も悩むだろう。絶望するだろう。その度に酒を力を借りて誤魔化し、一人でじっと夜明けが来るを待つんだろう・・。
http://anond.hatelabo.jp/20070312004915
自分の場合は逆の意味で格差っていうものがどーにもこーにも実感がない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話が。
年収300万時代とか聞くと「それで?」って思ってしまう。
だって自分の親も今の自分もそれ以下の収入だし、子供のころずっと自分は普通の中流家庭だと思ってた。生活が楽だったとは思わないけど、支援が必要だと思うほど苦しくはないし搾取されてると言う実感もない。ネットゲームや浪人生活が出来ないのが不幸だとも思わないし。
ワーキングプア特集とかでネットカフェで寝泊りとか子供が大学に行けないとか言うのもそれがどうしたのよと言う感じ。寝泊りできてるならたいした問題ではないし、大学進学率は今でも半分以下なんだからいけないくらいたいしたことじゃないだろって。この程度のことが悲惨な話であるかのように語られてるのにカルチャーショックを受けた。
ましてや丸山何とかをひっぱたきたいとかルサンチマン丸出しのを見るとドン引きする。そういう風なネガティブ思考だといくら金があっても俺より恵まれてる奴がいると妬み続けるままなんじゃないかな。
格差っていうものがどーにもこーにも実感がないというのがわからない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話がわからないとか言ってる人が。
反感を買うことを恐れないで言えば年収○○万以上とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
で、高校受験も県立だけど順調に第一志望で受かった。
こりゃヤバイと思って頑張り始めたのが一年目の冬休み終わってから。あまり点は悪くなかったんだけど番号がなかったのに愕然として、後期日程では普通に地方国立大に入る。
大学ではテニサーとか実家通いの地元出身者とかが幅利かせててさ。毎日大学の友達が車やバイクを見せびらかせんの。さっさとバイト見つけてきてさ。こっちは時給千円の深夜コンビニ勤務で働きすぎて寝不足で学校遅刻とかしてさ、お金ないから風呂共同の物件に住んだりしてさ。
そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に幸い留年はしなかったんだけどさ。でも、その時点でもう既に現役の奴らと比べたら1年も遅れてるわけ。
もうこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた4年の前期ぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職する気力もない!と思って就職説明会なんてあったかどうか記憶にないけど、自分のやりたい事なんてわからなくてさ。
学校の就職セミナーとか、体験面接とかも全部ぶっちぎって、やっぱり就職はまだ無理だと思って、院試を受けた。2回受けて両方落ちた。
で、必死に勉強して1年研究生してたけど、合格して第一希望の研究室に潜り込んだ。
で、今社会人10年目。一ヶ月の生活費は家賃込みで18万ちょっと。年明けに医者にもうちょっと痩せなさいって言われた。最近残業していないから手取りは減る。
どっちかって言うとこれといった失敗は結構していて精神病院に2ヶ月ぐらい入院したり、病欠を半年ぐらいしたし、堅実なんて言葉忘れた生活して頑張ってないので、未だに冷たいアパートと鳴らない電話。
このまま結婚して子供持つなんて信じられない。そもそもする気ないし。
自分の周りの知り合いもそんな感じだし。
だから毎日早くから遅くまで働いたりして、家には寝に帰ってるだけってくらいなので、もう将来のことは気にしない。
このまま生きて、このまま死ぬ。
独身だからまだがんばれるけど、これが結婚してからも続いたらほんとにだめかもわからんね。
だから俺は死人と生物の中間の生命体となり、永遠にこの世をさまようのだ。
そして死にたいと思っても死ねないので
―そのうち俺は考えるのをやめた。
格差っていうものがどーにもこーにも実感がないというのがわからない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話がわからないとか言ってる人が。
反感を買うことを恐れないで言えば年収240万以上とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
で、高校受験も三流私立だけど順調に第一志望で受かった。
こりゃヤバイと思って頑張り始めたのが一年目の二次試験終わってから。あまり点は悪くなかったんだけど番号がなかったのに愕然として1日にそれなりに勉強して二年目は普通に都内国立大に入る。
大学ではテニサーとか有名私立校出身者とかが幅利かせててさ。毎日大学の友達がブランド物見せびらかせんの。さっさとバイト見つけてきてさ。出身校の後輩みてさ、一回6千円ってお前キャバかよ。みたいな。こっちは自給千円の塾講で働きすぎて体壊したりとかしてさ、お金ないから風呂なしトイレ共同の物件に住んだりしてさ。
そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に幸い留年はしなかったんだけどさ。でも、その時点でもう既に現役の奴らと比べたら1年も遅れてるわけ。
もうこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた3年の年末ぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職するところもない!と思って就職説明会に顔出したりとかしたけど、自分のアピールポイントがわからなくてさ。
学校の就職セミナーとか、体験面接とかも全部出て研究して、けどやっぱり就職はまだ無理だと思って親に院に行かせてくれって泣いて頼んだ。
で、必死に勉強して内部だけど合格して第一希望の研究室にも決まった。
で、今四年。一ヶ月の生活費は家賃込みで五万ちょっと。年明けに医者にもっといいもの食べなさいって言われた。進学したら仕送りも減る。
どっちかって言うとこれといった失敗はしてないし、堅実に生活して頑張ってるのに未だに冷暖房器具もテレビも電話もない。
このまま院出て就職するにしても学振とるにしてもそんなに高い給料は望めない気がするし、年収300万以下が信じられないのが理解できない。
自分の周りの知り合いもそんな感じだし。
だから毎日早くから遅くまで勉強したり働いたりして、家には寝に帰ってるだけってくらいなのに将来のことを考えると不安ばかり募る。
学生だからまだがんばれるけど、これが就職してからも続いたらほんとにだめかもわからんね。これでもまだましなほうだと思うんだよ。世の中にはもっと苦しい生活をしている人がいるのを知っているんだ。銭湯にいけば垣間見ることができる、底辺を。だからこそ不安ばかり募る。
格差っていうものがどーにもこーにも実感がない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話が。
反感を買うことを恐れないで言えば年収200万以下とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
で、高校受験は公立に失敗して併願をかけてた私立の男子校に通った。
浪人時代はゲーセンに入り浸る。毎週4コマしか授業に出ずに過ごす。
こりゃヤバイと思って頑張り始めたのがセンター試験終わってから。あまりの点の悪さに愕然として1日に18時間ぐらい勉強してどーにかMARCHの下のほうにひっかかってそこに入る。
ちょうどネットゲームが流行りだしたり、テレホなんかが始まったりして盛り上がり始めた時期でさ。毎日大学の友達とチャットしたりAge of EmpireIIとかで知らない人と対戦しまくったりして毎日寝るのが2時過ぎ、同じ頃にバイトをし始めてなんか居心地がよくてほとんど毎日バイトしてさ、それにパチンコをやりにいったりしてさ。
そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に留年してさ。その時点でもう既に現役の奴らと比べたら2年も遅れてるわけ。
またこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた3年の年明けぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職するところもない!と思って就職対策本を買ってSPIとかそういったものの勉強を必死でやってさ。
学校の就職セミナーとか、体験面接とかも全部出て研究して、面接が早い企業を練習台にするために受けに行ったりしてとにかく頑張った。
で、今3年目。4月から4年目だけど、今年収が500万ぐらい。年明けに貰った源泉徴収に書いてあった。
どっちかって言うとなんか失敗ばっかりしてるし、流されて生活してて頑張ったのが浪人の時の最後のちょぴっとと就職活動の時だけ。
それでも今これだけ貰ってるとそれ以下の人ってのがいることさえもあまり理解できない。
自分の周りの友達もそんな感じだし。
だから毎日早くから遅くまで働いて、家には寝に帰ってるだけってくらい働いてるのに年収200万とかってありえないだろ!とか思ってしまう。
ネタじゃないの?とすら思う。
もしかしたらこういう俺みたいな人間が格差を生み出してるのかもしれないなぁ、とちょっと思った。
http://anond.hatelabo.jp/20070131010646に触発されて、私も大学の事を書いてみた。超長文な上完全な独り言なので注意。
元々大学に入る気はあまりなかったのだけれど、一応は進学校の端くれの高校に進学した。その高校の図書室で一冊の本に出会い、大学に行って専門分野を勉強したいと心から思った。しかし両親にはこう言われた。
「大学の学費は入学金くらいしか出してやれない。仕送りもしてやれない。お前を予備校にやるお金もない。それでもいいなら好きにしなさい」
両親は女の私が大学に進学する事は考えていなかった。だから大学の分の学費を積み立てる事はしていなかったのだ。
それでも大学に進むことにした。地元の国立大ならバイトをすれば何とかなると思ったのだ。就職の世話なんて一切してくれない高校でもあったし。しかし地元の国立大は難しかった。その地元の国立大以外は一切受けなかったため、あっという間に浪人生になった。
予備校に入るお金はなかったが、一人での勉強には限界を感じていた。そのため、アルバイトをしながら週に一度だけ予備校の個人指導を受けにいった。バイト代は右から左へ個人指導の月謝へと消えていった。
日中はアルバイトをしているため、勉強は必然的に夜遅くまでになる。そのことで両親にいろいろ言われた。
父は、
「そんな夜遅くまで勉強しなきゃ受かんないような大学だったら行くのはやめろ」
と言った。
母は、
「あんたみたいに昼間ぶらぶらして夜になってあわてて勉強してるのが受かる分けない」
と言った。
好きにしろとは言っていても両親は進学に反対なのが嫌というほどわかった。そんな両親への不信の念は募っていった。私が大学に合格するなどとはかけらも思っていなさそうな両親が唯一約束してくれた入学金も、もし嘘だったらどうしよう?そんな妄想にかられ、勉強が進まないことも一度や二度ではなかった。
また、この浪人期間にはいろいろと考えさせられることがあった。まず、このまま勉強を続けても地元の国立大に受かるぐらいに成績を引き上げるのは厳しいということ。志望先の学部の就職率が低いこと。当時は就職氷河期であり、高卒で就職しようとした中学時代の友人たちは、半数以上がフリーターになったこと。両親からの支援なしで大学に通うということは、思ったよりも厳しそうだということ。もう一年浪人することは無理だろうということ。
それらのことを考えて、結局初志を曲げて志望校、志望学部ともに変更をした。志望校は学力的に確実だと思われ、そして経済的にも何とかなりそうな国立大の夜間に、志望学部は就職氷河期の当時ですら100%近い就職率を誇っていた学部にした。この時点で大学に行くこと自体が目的になってしまっていたのは間違いない。
そしてセンターも終わり二次試験。母は私を送り出しながらこう言った。
「全力でテストを受けてきなさい。あんたなんてどうせ受かんないだろうけど、全力を出さなきゃ採点してくれる先生に失礼なんだからね」
母はツンデレの流行を先取りしていたのだろうか?しかしこの言葉を聞いた時私は母を恨んだ。
二次試験も無事に終わり、合格発表の日。少し遅れて発表を見に行ったため、もう人もいなくなり閑散とした掲示板の前で、自分の受験番号を見つけた。感動は無かった。
そして大学に入学した。両親もさすがに入学金のことでは嘘をついていなかった。女だてらに家賃3万円台の共同風呂アパートに引っ越し(私以外の入居者はみんな男性だ)、私の新生活は始まった。アルバイトも安定して月10万は稼げ、確実に授業に出れるいいバイトが運良く見つかった(しかも仕事内容は厳しくない)。新生活は奨学金が入るまでは金銭的に厳しかったが、月5万の奨学金が入るようになってからは思った以上に懐に余裕ができた。学費の積み立て3万円、家賃3万とちょっとで残りは生活費として特に考えなく使っても余裕があった。
また、実家を離れたことで心情にも大きな変化があった。毎日続く母からの嫌みを聞かずに済む生活は、思った以上に開放感を与えてくれた。それと同時に、離れて感じる親の恩というものも無いではなかった。さらにそれに加え、同じ夜間の同級生たちですら親からの仕送りが一切無い人など滅多にいないという現実が、私の両親への愛憎をより複雑にさせた。年二回の帰省以外では、殆ど両親との連絡は取らなかった。
そうした思いを噛み締めながらも真面目に勉学に励み無事卒業して就職した、となったら美談だっただろう。しかしそうはならなかった。
まず、下手にお金が余ったため遊んでしまった。ギャンブルにこそハマりはしなかったが、ゲームをやったり漫画を買いあさったり、勉強をしないには十分な遊びだった。そのため授業についていけずにいくつも単位を落とした。極めつけに、就活に研究室配属という大きなイベントを目前にしてメンヘラになった。メンヘラになったきっかけは定かではないが、とにかく自分を貶めるようになった。アパートに一人でいるときは、とにかく自分に向けて「死ね、お前なんてくずだ」などという罵声を独り言で浴びせ続け、授業に出ては脳内で自分を罵倒し続け泣いてトイレに駆け込んだりと、相当にめちゃくちゃだった。成績はますます悪くなり、就活も上手く行かず、ついに留年した。なんとか決まった研究室もチャラになった。そして私は学内の精神科医の先生を訪ねた。
精神科医の先生は、私には服薬治療が必要だが、それを始めるには両親の許可が必要になる、両親に連絡をさせてほしいと言った。私はそれが嫌だった。両親に、ほら、やっぱりお前はだめだった、と思われるのが心の底から嫌だった。しかしそうしているうちにも、妄想にかられ注意が散漫になり交通事故に遭いかけたことや、毎日のように自殺を考え、そして自分で自分を罵倒し続ける生活に耐えられなくなり、連絡はまだしも話の分かる父にするということを条件に精神科医の先生に治療を頼んだ。
そしてその日の夜、先生からの連絡を受けた父から電話がかかってきた。電話をとるのを少しためらった。怒られるだろうか?呆れられるだろうか?問いつめられるだろうか?そんな嫌な想像を膨らませながら電話をとった。
ーー○○、父さんだ。大丈夫か?大変だったな。
ーー先生は治ると言ってくださっているのだから、しっかり病気を治しなさい。
ーー大丈夫だよ
父は静かに、私が全く想像もしていなかった言葉をかけてくれた。涙でのどがつまり、ただうなづく事しか出来なかった。
ーー母さんはストレスがたまったらカラオケにでも行きなさいと言っているよ
それはもうやった、と小さな声で答えた。
ーー何かあったらいつでも連絡してくれ。父さんはこんなんだけど父さんなんだから
父は、そう会話を結んだ。
私はその日一晩泣き続けた。
その日以来、折に触れて父と連絡を取り合うようになった。こんな他愛もなく当たり前の事が今まで出来なかったのはなんでだろうと心底思った。留年して奨学金が出なくなる5年時の学費は父が出してくれると約束してくれた。
そして今、再び研究室配属や就活を目の前にするようになった。しかし一年前の私とは違い、今の私は非常に落ち着いている。自分は地面に足をついている、それを信じる事が出来る。それはきっと薬のお陰だけではなく、大学に入る前から私の中でずっとくすぶり続けてきた醜い何かが治まったお陰だ。結果論ではあるが、メンヘラになり留年した事で私は親への信頼を取り戻す事が出来た。メンヘラになった事は不幸であったと同時に天佑でもあった。
これからしっかり就活をして卒論も書いて卒業して就職して、そしてボーナスでも入ったら両親を連れて旅行に行こうか?一年前だったら思いもしなかった様な事を今はささやかな目標にしている。
それとどうでもいい蛇足ではあるが、うちの大学の保健センターは薬をただで処方してくれる。国立だからなのかどうかは分からないけれど、大学に心底感謝している。