はてなキーワード: 学振とは
元々ダメダメなったのならいいけれど、受かっていた可能性があると悔しいものですね。
卒論→修士、と研究室を移った。うちはB4の10月から卒論を書き始める。おもしろい卒論がかけたと思った。
M1の半年は、卒論の続きをやっていた。卒論の内容をM1の夏に国際学会に提出、秋にaccept。
後は、その内容を論文誌に出せば、間に合うはずだった。それなのに、11月まで論文誌を書かず、のらりくらりとしていた。
11月に今の指導教員に「早く出せ」といわれて、国際学会に出したものを編集しなおして、11月の下旬には、ほぼ完成していた。
「僕も一応学生会員なんですけど、論文誌を単著で書いたらどうなるんでしょうか?」
というメールを送ってしまった。
M1で、論文誌というものがどういうものかよくわかっていなかった。文系の方ではみんな単著で出しているので、それと混同した。
当然、卒論の先生からは「何を言っているんだ君は」という内容のメールが届く。申し訳なかった。とにかく、申し訳なかった。
卒論の先生に逆らった。違う研究室に行ってしまったのに、その後も丁寧に論文に赤を入れて時間を取ってくださった先生に逆らった。恩を仇で返した。申し訳ない。
今から思うと、どうかしていたと思うが、実際に夜中の教室を首を吊る場所を探して彷徨った。この業界で単著などありえない、という基本的なこともわかっていなかったのか、と恥ずかしくて、今でも周りの人に積極的に話す気にはならない。その後、卒論の先生は、「あの論文はどうなったの?」とメールを送ってくださったのに、それでも自分は書けなかった。
今考えると、どう考えても過剰反応なんだけど・・・なんだったのかなぁ。
それから一年、最低限のことはやったと思うけど、本当に最低限だった。
M2の春に、いい加減諦めて、その出せなかった論文を論文誌を出した。夏には通った。せめて去年の12月に出しておけば、採録まで十分間に合ったのに。論文誌一本と国際学会論文一本をM2の5月までに作れたはずなのに。国際学会論文一本になってしまった。
一年間、すねて仕事から逃げて遊んでしまった。今でも、業績は、卒論の内容の2本だけ。DC2は絶望的。
この一年取り戻したい。一年って、こんなに重かったのか。修論は何とかなりそうだが、M3やりたい。でも、今の研究室で博士に受かってしまっているので、M3やりたいなんてとてもじゃないけど言い出せない。でも、やっぱり、どう考えても、諦めて気持ち切り替えて、素直に修論書いて博士進学するのが正しい選択肢なのだろうな。
昔のことを思い出した。もう10年以上前の話だ。
同じ専攻の院生で、一番親しかった友人とその子を一緒に引っ張り回して、
何回か遊んだ記憶がある。
友人はその直後に1年間の留学に旅立った。
その子たちと一緒に空港まで見送りに行ったな。
その後、その子に何度か食事などに誘った。
最初はついてきてくれていたのだが、そのうち、ついてこなくなった。
ちょっと悲しかったが、年上の友人に相談したら「そんなこともあるよ」と言われた。
あるとき、意を決して告白することにした。
「好きな人がいる」と言われた。
それは、友人だった。
帰り際に花束をゴミ箱に捨てた。
「君の勝ちだ」
あとで共通の友人から状況を聞いた。
彼らが気持ちを確かめ合う手紙が往復し終わったのがその日だった。
なぜ自分たちのことを僕が知っているのか、彼は驚いていた。
国際電話で彼をなじった。
翌月、親が2万円も国際電話の代金がかかったと驚いていた。
僕はもう大学院にはいなかった。
いろんなことがあったけど、彼との関係は続けたかった僕は、
行きつけの居酒屋で以前のように飲むことにした。
一通り飲んで食べた後、彼の手を見て、僕は凍り付いた。
一瞬にして僕は状況を理解した。
さっと酔いが消えた。
そのとき聞いた話では、友人は帰国後、すぐに彼女の家に挨拶に行き、
ちゃんと付き合う前に結婚を決めるとは、いかにもヴェルテル好きらしい。
年上の友人は、「うまくいかない気がする」と言った。
僕はその結末を予測していたし、年上の友人の予言は当たらないと確信していた。
友人の専門領域とほぼ同じところをテーマに選んだ。
北端の地に昨年やっと常勤の職を見つけた。
もうこれで安心だ。
彼女の方はまだ30代前半のはずだから、これから子供を作ればいい。
彼女のことはほとんど忘れたし、興味もない。
しかし、友人のことは未だに引っかかっている。
恨みはないが、決して「これしか方法はなかった」とは言われたくない。
業という言葉でなら片付けられるが、ほかは願い下げだ。
ああ、僕か。僕は今でも独りだ。
馬車馬のように働いて、さっさと死ぬのがいいと思っている。
女なのに研究者なんか目指して
しかも役にも立たない文系分野で
28にもなって大学院生まだやってるなんて
生きてる価値あるの?
みたいなことを、すごくきつい口調で知人に言われた。
論文明けであんまり寝てなくて疲れてたから「さあ?」って答えてスルーしたけど
いったいあの知人は何を憎悪してそんなこと言ったんだろうか。
さっぱりわからない…。
いま私と同じ28歳で、高給取りの旦那と結婚して自分もある程度仕事も続けてて、
しかも子作り中だっていうんだから、それで十分じゃん、って思うんだけど…
彼氏もおらず学振も取れず、地味に研究するしかない冴えない院生の私なんて
わざわざひっぱりだしてこきおろす価値もないと思うのになぁ。
バカにされたり哀れまれるのは慣れてるからどうってことないんだけれど、
その隣で、素でうなずいていた旦那も謎だった…。
http://d.hatena.ne.jp/Hash/20080529/1212077847
なんか考え方が甘いなってのが第一印象。
(バイオインフォマティクスの人っぽいからあんまり実験にお金は使ってないかもしれないけど)君が研究室で使ってる電気代とかは誰がお金を出してるんですか?やりたいことがあるなら自分で科研費なり学振なり企業からの研究費をとって、自分の金でやりなさい。
こんなこと書くと「入学金・授業料払ってるだろ(゜Д゜)ゴルァ!」って言う人もいますが、そんなのじゃ全然足りませんから。特に理系。特にバイオは。
あとね、「どうすればいいですか?」が許されるのは最悪でも学部4年までだよ。院生なら「こういうことがやりたいんですが、どうでしょうか」くらい言えないと。やりたいことを上に伝えて言いくるめる能力超重要(エントリーの後半を見た感じだと、この辺はわかってるっぽいけど)。
以下細かいツッコミ。
まず研究室選ぶ際の調べ方が足りない。なんで研究室の学生から話しを聴くとかしないんだ?
とりあえずこれから研究室選ぶ人のためにポイントを挙げてみる。
どれも1個上の先輩に話を聞けばすぐわかるレベル。
研究室に入って右も左も分からないのに、数ヶ月たったら、「あと二年残るかどうか」を決めさされる。
研究室に入ってから修士に行くかどうか決めるって遅いんじゃないかい?学部卒の就活って3年の秋あたりから始まるってイメージなんだが。それとも今は売り手市場だから院試の季節(4年の夏)から就活始めても内定もらえるんですかね。修士課程でも博士課程でも、就職先なかったからとりあえず進学したって人はいまいちな人が多かったな。逆に内定先決まってたけど、まだまだ研究がしたいといって進学した人はそれなりの成果をだしてた。
院に行くかってのと、どこの院に行くかってのはまた別な話ね。
一年間見てきて分かったことだが、教授がお好きな学生は、考えるよりまず手を動かして、バリバリ実験して、元気が良くて、少し生意気で、ちょっとバカなタイプの学生であるようだ。
一方の僕はメモ魔で、実験よりも論文や本を読む乱読家で、空論と妄想と知識の蓄積に快感を覚えて、でっかい荷物をいつも持ち歩いていて、泥臭い作業を嫌い、基本的に無口。
君の教授に限らず、世間一般の人は前者のタイプの方がすきだと思うよ。特に”泥臭い作業を嫌い”ってのはかなりマイナス。一年目なら黙って手を動かせよ。あとどれだけ読んでるのかは知らないけど、論文・参考書を読むのは当然。
バイオ系なら普通じゃね?そのかわり反応とか培養の待ち時間で2時間空きとかザラでしょ。12時間つっても実働は8時間もない。
余談だが教授はコンピュータシミュレーションの力を過小評価しすぎていると思う。実験で全てが決まる時代はとっくに終わっている。
僕のプログラミング能力は明らかに過大評価されてて、指導教官から「もっと使いやすく作り直してくれても良いよ」と言われた。いやいや、僕はFizzBuzzで喜んでるレベルですYO!。
言うことはデカイけど実力を伴っていないというか何というか。教授も君が口先だけだと思ってるんじゃないかなー。だからメモを捨てろ云々て言われるんじゃない?とりあえずそのVBをもっと言い物に作りかえるところから始めてみればいいんじゃないの。
追記
他にも例はいくらでも挙げられるよ。生年と所属を明らかにしていて、ネット検索で引っかかる本として挙げただけ。
あなたが文系のどの分野かは知らないけど、たぶん歴史学系だと博論出すまでに30越えちゃう人は多いんじゃないかな。
ストレートに3年で出す人の方が少ない印象。
それに加えて、30代院生は裕福じゃないと思うよ。
育英会の奨学金も切れてるし、学振ももらえないし、派遣社員やバイトで食いつなぎつつ、なんとか研究を続けてるって人が多いと思う。
本題とは関係ないけど
それはそうかもしれないなぁ。
応用系だと、学振取れたから進学したけど…って人も多いみたいだし。
なんか、うまく言えないけど。
アンバランスなんだよね。
俺の専門分野だけかもしれませんが。
それはいいことではないか?
つってもまぁ政治力の差で、相当優秀な人が学振落ちてそうでもない人が通ったりするよね。
必ずしも実力のバロメータにはならないと思う。
学振なんて当たり前に言ってるけど。
応用系の役に立ちそうな分野はでやすいらしいけどね。
だから、相当すごい人の中でさらにすごい人の中ですごい人……が残ってく。
ただ、やっぱり環境って大事だよ。
"こんな生活"と言われると、実際に増田の博士課程(理系)の話です。
ドクターの時は1年のうち355日は研究室に居ました。比喩でもなく実際にこれぐらい居ました。
事実、年間の休みは盆と正月だけでしたし、学生からは主(ヌシ)と呼ばれていました。
平日は9時から11時まで、土日も午前半日や午後半日など、研究や雑用にいそしみました。
授業のTA・RA、実験指導、ゼミ準備、学会発表・論文関係、プログラム開発、計算機の整備 など、
研究に費やせる時間と、純粋に机上で勉強(基礎学力向上)に費やせる時間を確保できるかがキーポイントだと思います。
雑用をこなしながら、これを並行してやるだけの気力が必要です。
研究室スタッフ(教授陣)も、下積み時代はこれだけの事をこなしてのし上がってきた人たちなので、
それぐらいの能力を求められている職場でした。これが出来て当たり前だそうです。
配属された学生は阿鼻叫喚し、まずはバイトを辞めることから始まりますね。
これだけ精力的に活動すれば、名前もぼちぼち売れるものでして、当時はあれだけ苦しかった生活も今では逆に感謝しております。
学振のDC1にはそこまでの実績は求められないから、フルペーパー無くても大丈夫。
将来性のあるテーマなら応募しときなよ。
もしかしたら当たるかもしれない。
この4月から5月に掛けて募集している学振に応募しましょう。
当たるともれなく職歴&給料&研究費がもらえます。しかも3年間!
採用率10から20%程度の狭き門だが、応募するメリットは大きいぞ。
分野にもよるけど、査読付き論文は年1、2本は書きましょう。国内の発表は年4回は行きましょう。
学会・企業・大学のイベントに積極的に参加し発言するなりして、コネクションを作りましょう。
飲みに誘われたら必ず付いて行きましょう。
3年間このような就職活動を続け、やっと常勤のポストの"書類選考"に残ることができます。
ポストが無いなら大学研究員、大学非常勤、研究所勤め、ポスドクなどになってしまいますが、
例えそうなったとしても、これも「運」だと思って諦めてください。
格差っていうものがどーにもこーにも実感がないというのがわからない。
格差と言うか下のほうが酷いことになってるって話がわからないとか言ってる人が。
反感を買うことを恐れないで言えば年収240万以上とか聞くと「何で?」って思ってしまう。
で、高校受験も三流私立だけど順調に第一志望で受かった。
こりゃヤバイと思って頑張り始めたのが一年目の二次試験終わってから。あまり点は悪くなかったんだけど番号がなかったのに愕然として1日にそれなりに勉強して二年目は普通に都内国立大に入る。
大学ではテニサーとか有名私立校出身者とかが幅利かせててさ。毎日大学の友達がブランド物見せびらかせんの。さっさとバイト見つけてきてさ。出身校の後輩みてさ、一回6千円ってお前キャバかよ。みたいな。こっちは自給千円の塾講で働きすぎて体壊したりとかしてさ、お金ないから風呂なしトイレ共同の物件に住んだりしてさ。
そんな生活してて学校がうまくいくはずもなく、2年の時に幸い留年はしなかったんだけどさ。でも、その時点でもう既に現役の奴らと比べたら1年も遅れてるわけ。
もうこりゃやばいと思ったのが就職活動を控えた3年の年末ぐらいかなぁ…成績もよくないし、このままじゃ就職するところもない!と思って就職説明会に顔出したりとかしたけど、自分のアピールポイントがわからなくてさ。
学校の就職セミナーとか、体験面接とかも全部出て研究して、けどやっぱり就職はまだ無理だと思って親に院に行かせてくれって泣いて頼んだ。
で、必死に勉強して内部だけど合格して第一希望の研究室にも決まった。
で、今四年。一ヶ月の生活費は家賃込みで五万ちょっと。年明けに医者にもっといいもの食べなさいって言われた。進学したら仕送りも減る。
どっちかって言うとこれといった失敗はしてないし、堅実に生活して頑張ってるのに未だに冷暖房器具もテレビも電話もない。
このまま院出て就職するにしても学振とるにしてもそんなに高い給料は望めない気がするし、年収300万以下が信じられないのが理解できない。
自分の周りの知り合いもそんな感じだし。
だから毎日早くから遅くまで勉強したり働いたりして、家には寝に帰ってるだけってくらいなのに将来のことを考えると不安ばかり募る。
学生だからまだがんばれるけど、これが就職してからも続いたらほんとにだめかもわからんね。これでもまだましなほうだと思うんだよ。世の中にはもっと苦しい生活をしている人がいるのを知っているんだ。銭湯にいけば垣間見ることができる、底辺を。だからこそ不安ばかり募る。