はてなキーワード: 反抗期とは
それを言うならイケメンだけどオタクでしかも可愛い彼女もちってのがアイデンティティって言った方が近いっていうか、せっかくニッチな話なのに「オタクで」っていう大事なワードを入れないわけよ。お前、読んでないだろ本文。
まあそれだけがアイデンティティじゃないけどね。他にも書いていないものが色々ある。でもまぁ書いていないそれらも、優越感ゲームには確かに変わりないよ。
んでもそれがどうかしたの?って思う。
優越感ゲームって悪いことなのか?優越感ゲームにもともと参戦するのが難しいからって最初から全部諦めたフリして、上から目線で悟ってる風のポジションについて満足してる奴より、自分で言うのもなんだがよっぽど健康的だと思うけど?そりゃそうでしょ。ゲームだよ。優越感とか、モテたいとか、注目されたいとか、そういうのって醜い感情だって思うタイプなのかもしれないけど、俺に言わせてみればそれは「セックスなんて汚い行為だわ!」っていってる処女みたいなもんで、バカじゃねーのと思うね。人間なんだからそういう欲がないわけないんだよ。お前だって持ってる、絶対に。人間である以上それは免れないんだって。のくせに、何悟った風を繕ってかっこつけてんの?ってね。
てか、その「悟った風」もまた、優越感ゲームの最たるものとも言えるわけだよね。そういった欲からすべて解放されて、「そんな細々した下界の欲望なんかどうだっていいぜ。俺はただ生きるだけだぜ」って仙人ぶってればそりゃ全てを見下せるから、有る意味最高の優越感ゲームなわけだ。俺はそういう「優越感」は好きじゃないけど、まぁお前みたいな手も悪かないわな。そういう「悟ってる感」「シニカル感」を気に入ってくれる女も結構いるしね。でもそれはあくまで最終手段だなー……。他のもので全く太刀打ちできなくなった、他のもので一切優越感ゲームに参戦できなくなった奴が頼る、最後の手段だからな。やっぱり俺はまだそれは好きじゃないわー。
なんつーかそれやっちゃうと、有る意味最強すぎてさ。楽っちゃ楽なんだけどね。何もしなくても、要するに仙人ぶるだけで誰にでも勝てるわけだから。超楽なんすわ。んでもなー。やっぱり他のゲームの方が、自分をより向上させられるからさ。(勿論向上するための内的な動機はあるわけだけど、外的な動機もあった方がその分プラスされて刺激されるからね)
ま、年とってきたらそういうのもありかなって気もする。というより、ある程度年とったやつしか、やる資格ないんじゃねーかな、って気がする、そういうシニカルぶるのって。やっぱ結局さ、若い奴がやってもどこまでいっても「シニカルぶってる」にしかならんもん。じいさんとかばあさんがやれば重みも出てくるけどね。若い野郎は、んな悟った風なこといってないで、どんどん醜く足掻く時期なんじゃねーのと個人的には思うわけで。最近一見だけ悟った風の奴がいて個人的には心配だよ。もっと醜く自分の欲と戦う時期だろ?そういう期間もなく、すんなりお利口さんになっちゃうのって、中学の頃反抗期がなかった子供が突然キレ出すみたいな怖さがある。中年になるまでは醜い欲と戦ってみたっていいんじゃん?逆に無理して隠すほうが怖いって。圧迫されたもんが、いつかふっとぶよ。
中二病って概念は知ってるし、2chのスレ紹介してるブログとかで「中二の頃こんな痛々しいことしてた」みたいなのを見て笑ったり、いわゆる邪気眼みたいなのを笑ったりしてるけど、
でもある日ふと思った。
自分って中学生の時、こう言う経験なかったんだよなあと。
邪気眼はまあ大げさにしても、そういういわゆる「イタい事をした経験」ってのが、実はないんだよなと。
でも、笑ってる。さも「あるあるw自分も昔こういうしてたw」的笑いで笑ってる。でも、したことないんだよな。
反抗期も、思えば特に無かった。親に「うるさいんだよ!」とか理不尽に切れるとか、一切無かった。
普通に学校行って、まあちょっとだけ「授業めんどいw」とか言ったりして。した悪いことといえば本当はダメなのに学校にのど飴を持っていったこととか、掃除を適当に切り上げたとか、宿題を一日遅れで出したとか、そんなもんだった。
で、なんでかっていうと、そもそも中学の時点で既に、「イタい」っていう概念が皆に広まってたから(じゃないかと思う)。
ハジける前に、「そーゆーのイタい」って感覚が、何となく既に身についてしまっていたから。
だからなんか恥ずかしいこととかする前に、自然と「マンガキャラクターのまねとかしたら恥ずかしいしな…」的な感じで、自粛というと変だけど、自然と「そういうのはイタいからやめよう」って気になってた。今思うと。
でかといって大人しく完璧な優等生かっていうとまあそういうわけでもなく、ちょびっとハジけるくらいはした。運動会でバカやったりとかそのレベルならしたけど、ある種それも「皆にドン引きされない程度のバカ」を演じてた、というような感じで、皆がガチに引かないことを分かっていてやっていたんだよな。
高二病ではあったかもしれない。「こんなことやってるのってイタいよなw」「ちょっと流石に引くわw」みたいな、クール気取ってるような、どこか「分かった大人ぶってる」ようなところはあった。今思うと、それはそれで痛いのだが、なんにせよ中二病ではなくて高二病的だった。
そんで高校生になったらどうしたかっていうと、中二病については、ちょっと前の学年の事だというのに「まあ、若い頃は皆やるから、ある意味仕方ないんじゃないかな?」「はしかみたいなものでさ。そういう時ってあるよ」みたいに更に「分かった大人ぶってるモード」が変に進化してしまった。バカにするんじゃなくて、「まぁ、あるよあるよ。俺らもあったよ」的上から目線。本当は別になかったのに。この頃になると痛い人を見てもバカにするんじゃなく、「まぁ…彼もいつかはイタさに気付くさ」とか「まあ、ああいう人もいるわな」的な視線になっていった。中学校のときは心の中でバカにしていた。
そんでそう気付いてから、そうやって反抗期も特に無く、他人に対して特別「イタい」行動をとったわけでもない、いわゆる暗黒時代があるわけでもなく、まあそれなりにそつなくやってきて、かといって超モテたとか、超リア充ってわけでもクラスの中心ってわけでもなくて、どっちかというとインドア派で、だけれどもイジめられたとかキモいとか言われたわけでもない……
そんな自分が、急激に恥ずかしくなった。
過去を思い出すと、そんな「そつなくやってきてしまった自分」が恥ずかしくなった。
終始分かった大人ぶってたことが、なぜか今、とてつもなく恥ずかしいと同時に、もう少しくらい、年相応にイタイタしくしていればよかった、とすら思う。そして今になってそれを後悔するのだ。「あぁ、なんで自分はあんなイタいことを。邪気眼なんて恥ずかしいぃいいい」とか思いたかった。なんていうか、変な話、「それをして自分は成長するはずだったんじゃないのか」という、「手落ち感」があるのだ。思春期に受けるべきだった洗礼を、自分は変に知恵をつけ、ネットを見て、回避してここまできてしまった。思春期に、その年相応にハジけることをせず、既に20代の如き落ち着きを(振りだが)見せ、「まぁ…こんなものだろ」とある種の諦めを早々に得て、…………単純に言えば、自分は思春期にして「老けてしまった」。そんなような恥ずかしさ、手落ち感がある。「老ける」なんてのは、それ相応の人生経験があるからこそできるのであって、自分みたいな若造がしていいものじゃなかったんだと気付いた。思春期に外面だけ「これをしたらイタい」「あれをしたらイタい」という情報だけ汲み取って、それを回避し、分かっている大人ぶって……
それは、逃げてただけじゃないのか。
正面から何かにぶつかることを。
そして思春期ってのは本当は、イタくても構わないから、後でイタかったことに気付いてもいいから、未熟でもいいから、とにかく何かに、真正面からぶつかってみる時期だったんじゃないのか。
例えば劣等感。例えば自尊心。例えば自己愛。などなど、そういったもろもろの、ある意味いくつになっても存在する人間の「イタイタしいポイント」に、いっぺんぶつかってみるべきだったんじゃないのか。
自分はそれから逃げた。無理矢理にそれらのイタイタしい精神部分にふたをしたり、「まあ、そういうもんだよ」と言う呪文をかけたり「自分には才能ないって知ってるし」というポーズを決めて、それらを封じ込めてきた。眼を背けてきた。一度も、真正面からそういう心に向き合ってこなかった。とことんまで追求することもなかった。
確かにそつなく人生送ることはできた。でもそれでいいのか?で、それで、そつなく人生送って、自分はどうするんだよ、どうしたいんだよ。そういった疑問が今頃になってふつふつと浮かび上がってきた。本来はこうしたものは思春期に終えていないといけないのかもしれない。いまさら浮かび上がる。いまさら自分は「イタく」なる。
こういう「熱さ」みたいなのを、恥ずかしいと思っていた。「それで自分はどうしたいんだよ!?」そうやって自分に叫んだり、無我夢中であがいてみたり、自分の可能性を信じてみたり、それに向かって頑張ってみたり、そういう「熱さ」は、自分の世代じゃちょうど「寒い」ことになってて、マジに「自分のやりたいことで悩む」とかはなんとなく恥ずかしい感じがしていた。「自分探し」とか言い出す前に、そもそも「自分探しなんていう若者が最近多いけど、本当の自分なんてのは海外に落ちてるもんじゃねえよ」的な言葉を既に知ってしまっていて、それを見て、「そうだよな。自分探しなんてなあ(笑)」的にまた、深く考えることなく「分かってるポーズ」を自分は決めていた。何でもかんでも、「イタイタしいワード」が出てくるより先に、「そのイタイタしい行動についてのオトナの一般論」みたいなのを見てしまっている。その「イタイタしいワード」について自分で深く考える事も無く、「そうだよな(笑)」と「分かってる」振りをし続けてきた。
それが今になって、混乱している。それでいいのか。それでよかったのか。いや、過去をぐちぐちいっていてもしかたがない。でどうすればいいのか。自分はどうしたいのか?どう人生を生きたい?
そんなこと、今更考える事じゃないだろうといわれるかもしれない。
自分は、今更思春期が来たのかもしれない。
それでも、「分かっていた振り」を決めていた頃より、こうして真剣にぶつかる方が、なんというか、楽しい気がするのだ。
いや勿論、自分の嫌な所にぶつかるのだから、苦しさもある。けれど今まではただ封をして諦めていたところに、「希望を持ってもいいのかもしれない」というような希望が現れつつある。「イタいから、イタいからって今まで封印してたけど、いいのかもしれない」そんな希望みたいなものが生まれつつある。「枯れてる自分」を演出するのはもうやめる。イタくても寒くても熱いほうがいい。「枯れてる自分」を装っていると、確かにあまり傷つかないけれど、それは、最初から自分が水底に沈んでいるからってだけの話なんだ。傷つくのを恐れるのはもう……やめよう。
怖い世の中やーとか思うけど
自分の中学生の時を思い返してみると(さして前じゃないが)
そういや、いじめ、あったなあ…
いや、いじめというか、不良がいた。
学年に一人もうどっからどうみても不良ですと言わんばかりの不良がいた。
髪金髪。逆立ててる。服はもう上はほとんど私服。派手なTシャツを着て、ぶかぶかにはきこなしてる?学ラン。ゴテゴテのベルト。兄が暴走族だとか、ホンモノのそっち系だとか色々噂があって、皆怖がってた。
それでもまぁ、多分こんなのは今思うと全然ヌルい方の不良だったんだと思う。
授業中は結構教室にいたし(一番後ろでふんぞり返ってたり、バイク雑誌読んでたりはしてたが、特にうるさくもなかった)まあでないこともいっぱいあったしギャーギャー騒いでる時もあったんだけども。校内にバイクで乗り込んだ事が一度だけあってちょっとした騒ぎになった。でも特に乗り込んで何をしたわけでもなく一周して帰っていった。とはいえ先生にきめえよといったり叫んだり反抗はものすごいしていたが。男子達はそんな不良に皆おべっかをつかってヘコヘコしていた。2人ほど、いかにも弱い、めがねをかけたのび太君のような感じの男子は、時折廊下で蹴られていた。準不良組みたいな男子が10人ほどいたが、彼らもその不良の前では尊敬してますよーな顔しておいて、裏では「あいつ何様だよ」「マジ氏ねよ」「兄がいなかったら俺らでボコボコにしてやるのに」とか言っていた。準不良は学ランは一応着てるものの中に真っ赤なTシャツとかをきて、前を空けてそれを見せてたりくらいの着崩しはしていた。その不良は学校にそもそもこないことも多々あったため、そんなときは彼らが大きい顔をして、他の普通、あるいは弱い男子をからかったり、例ののび太君みたいな2人に対してはやはりまた蹴ったりしていた。廊下ですれ違うときに、意味もなく何故か蹴るのだ。ただそのままボコボコにするとか、そういう事は特になく、蹴ることがあっても一度一人だれかが蹴るだけだった。そういう意味で今に比べればまだヌルいんだろうけどそれでも意味もなく蹴られたり殴られたりからかわれたりする彼らは可哀想で仕方が無かった。しかし男子達の(それも不良の)イジメに女子が一人入っていけるわけもなく私は何も出来なかった。
その不良(と準不良)たちのイジメは時折一部の女子にもとんだ。言葉の攻撃だった。「お前今日もキモいねーw」とか、そういう類のイジメだった。友達もそれでからかわれた事があったがまたしても何も出来なかった。しかし彼女は強く、給食中「相変わらずキモいね○○さん」と言われても「ハイハイ」などと言っていたのだが(それでも彼らはそれにすら反応して「ハイハイだってぇーw分かってるんだw自覚してるんだw」とか言ってたわけだが)
まだボコボコにし続けているとかなら「先生を呼びに行く」という助けが私にも出来たが、彼らのイジメは全て目撃した瞬間に終わってるタチのものばかりだったため、何も出来なかった。優等生ぶって「蹴るのはよくないよ!」なんて言ったところで彼らは聞くわけもない。笑われるだけだ。
結局色々不満があるからそれを周りにぶつけていたんだと思う。準不良は不良に媚びるストレスを弱者に発散していたし、不良は何をどうすればいいのか自分でも分からないがゆえにそれを先生や物や何もかもに当たっているといった感じだった。
ある一人の先生は、その不良の悪事を見るたびに叱っていた。小さい先生(A先生とする)だったが見る度に叱っていた。キモいんだよと何度言われても叱っていた。他の先生はといえば、ある程度は見逃し、酷くなれば、黙って数人で職員室へ連行、そんな感じだった。
ある時A先生が怒っていると、他の先生の一人が呆れたように「先生、そんな、まともにいちいち怒らなくてもいいでしょう」と言っていたのを、私は見た。「何言ったって反抗するんですから、まともに相手したってだめです」と。A先生は、「悪いことをしたら叱るのは当たり前の事でしょうが」と怒っていた。他の先生はやれやれといったように不良を黙って連行していった。
正直、それまで私も「そんなこんな反抗期真っ最中の不良にまともに何か言ったってダメだって」とか思っていた。そいつに叱ってるせいで授業が遅れるし、そんなのどうでもいいから授業してくれ、と思っていた。でもA先生は多分、唯一不良をまともに相手してくれる人だったんだと今は思う。A先生に対してだけは、不良はやけに真剣に怒っていた。怒鳴っていた。A先生も負けじと言い返していた。不良は、他の先生に対しては、どこかなめたような冷めたような感じだった。「どうせこいつらに言っても無駄だ」的な、そんな目だった。他の先生は不良を単なる「頭を抱えたくなる問題要素」としてしか見ていなく、A先生だけは彼を生徒としてみていたのかなと月並みだがそんな事を今なら思う。とにかく生徒に対して全力投球な人だった。
特に何もなかったと思ったけど、きちんと思い返してみれば中学が一番荒れていたように思う
いいじゃん。いいじゃん。
嫌でも反抗期がくるんだから、今のうちにしっかり可愛がっておくといいよ。
たくさん遊んで今のうちから、いろんな事教えてあげるんだ。
やっぱり、お父さんが好き。っていいね!
何故か。
俺は小学時代広島に住んでいたから、当然のごとく平和教育を受けた。
当然、感想を書かされるわけだな。
でも、「こういう方向で感想を書きましょうね」という無言の圧力が当然ある。
でもそんなのry、とばかりに「本当に思ったとおりの、授業そのものへの感想」を書いた。
正直小学五年生にもなると流石にうっとうしいからな。広島に生まれた者の試練だ。
当然、担任マジギレ。反省文を書かされる。
中学生になると、こういう誘導に対する反発が、普通の反抗期の子供以上に大きくなっていた。
帰ってきた後、「道路を歩く時の態度が悪い!」とわざわざ緊急集会で起こられた。
中でも印象的だったのが「昨日は私の誕生日やった。でもこんなことになって、先生はホンマに、ただ悔しいです。」
と涙ながらに語った女教師。知るかよ!
更にむかついたのが、その後一部の女子たちがもらい泣きしてやがったこと。なんでだ!?
こういうことが積み重なって、煽動とかそういうのに対して異常に反発するようになっちまった。
体育大会の集団演技や合唱コンクールにおける体育教師や女子のうるささとかもう…
俺自身はそういうマスゲームや歌が嫌いじゃなかったんで本気で取り組んだんだけど、
真面目に練習しない友達が影で非難されてるのを聞くといたたまれない気持ちでいっぱいだったよ。
俺も彼らも大差ない。嫌いなことを無理にやらせるとかどう考えても狂気の沙汰。
大学じゃこういう雰囲気を醸す場や人間を回避し続けてきたから楽しかった経験の方が多い。
でも会社に入るとそうは行かないんだろうなぁ。
我ら姉妹は、両親からまったく分け隔てなく純粋培養で育てられた。両親の言うとおりに習い事をし、塾に通い、両親の認める友人とだけ付き合い、荒れていると評判の地元の中学には進学しなかった。ただし、姉妹の道が同じだったのはそこまでだった。
姉は大人しく、私立の中高一貫女子校を優秀な成績で卒業し、両親の言うとおりの女子大に進学した。両親の紹介で講師のアルバイトをし、その会社に就職をした。大学院在学中に教授の紹介で知り合った、エリートの恋人と24歳処女のまま結婚するという完璧ぶりだ。現在はやはり講師をしながら子供を生み、セレブな生活を送っている。純粋培養を夢見る世の父親や母親が思い描く優秀な子供とは、姉のような人のことを言うのだろう。
一方、同じ環境のはずの私はというと、同じ私立の中高一貫女子校の中で反抗期に入り、ものの見事に落ちこぼれて、学外にあまりよろしくない友達をたくさん作った。両親は当然激怒したが、反抗期の中学生が言うことを聞くわけがない。正面きって反発するのはリスクが高いので、両親の目を盗む技術をフル活用した。
まず、最初にしたのは塾の予定表の改竄。ノリとハサミとコピーを駆使して、遊ぶ時間をたっぷり含んだものに作り変えた。携帯なんて学生が持っている時代ではなかったので、偽名で電話を受け、偽名で手紙を書いた。毎日少しずつ髪の毛を脱色し、歳をごまかした日雇いバイトで遊ぶ資金をひねりだしたりもした。この時点で、両親の純粋培養計画は完全に裏目に出たことになる。
ところが、そんな私の素行は、校内で何故か「学外に友達がたくさんいる→カコイイ」「服装の乱れ→カコイイ」と解釈され、行事ごとに知らない後輩から「一緒に写真とって下さい」と言われ、同級生からは学外の話をねだられるような状態になった。下の学年にファンクラブが出来ていたのを知ったのは卒業してからだ。自分で言うのもなんだが、珍獣アイドルというか、エリマキトカゲ的存在だったと思う。人生最大のモテ期だった(女子校だけど)。
もちろん、そんな絶頂期は長くは続かない。高3の春になって、私は愕然とする。周囲は確実に受験へと進んでいて、クラスメートが休み時間にまで勉強するようになったのだ。そのころには既に高校のカリキュラムは終わり、授業は入試問題の演習ばかりになっていた。1学年400人中、専門学校へ行く生徒が1人いるかいないかという学校だった。私の成績はと言うと、全国的には悪くなかったが、校内では地の底。学外の価値観に影響されていた私には、この学校のありようは異様に思えた。大学進学ばかりが人生ではない。好きな道に進むことこそが成功者のはずなのに。
それなのに学内の価値観では、進学せずに社会に飛び込むことこそが、ドロップアウトを意味していた。つい先日まで「カコイイ」対象だった自分が、一気に「カコワルイ」になる。それは純粋な恐怖だった。希望進路は、別に大学になど行かなくても出来ることだったが、自分が恐怖から逃れるためだけに、それを専門に学ぶ大学で最高の国立大学を志望したのである。
結局、私はその後志望大に進学し、現在は希望職種に就いている。もし学外の友達のみの世界で生きていたら、きっと大学には進学しなかったし、犯罪に手をそめることになったかもしれない(実際、当時の学外の友達の中に逮捕者が複数出た)。中高時代、学外の自分は非行をカコイイと言い、堕落を肯定する生活を続けてきた。それでも、どこか冷静な学内の自分が「このまま遊びほうけていてはまずい」と警鐘をならしていた。高3の春に感じた恐怖感は、間違いなく学校、ひいては両親によって植え付けられたものだ。
子供は思い通りには育たない。姉と違って、私は自分で進路を選び、アルバイトを選び、友達や恋人を選んだつもりでいる。それでも、私の判断にはどこかしら両親の臭いがして、まんまと純粋培養されていたことに、改めて気付かされている。今となって考えてみると、両親の純粋培養計画は結果的に姉妹とも大成功しているんだろう。非常に悔しいが、認めざるをえない。
家族のことを愛している。とても大切に思っている。
事情から、思春期辺りから成人してしばらく経つまで一緒に住んでいなかった。
だから、家族全員で住めることをとても嬉しく思った。
けれど最近は家族が鬱陶しくて仕方ない。これが反抗期というやつなのか、と思ったりするけれど、どうなんだろう。ある時期から両親は今までしたことのなかった口論をし始めた。その辺りから私の家庭崩壊は始まった。もう口を聞くのも嫌だ。顔をあわせるのも。学生はもうすぐ終わる。そうしたらこの家から出よう。…でもこの家はきっと私が家を出るのを許さないだろう。私はこの家のそんなところが嫌いだ。
下手したらいつまでもこの家に縛られることになる。家族を愛している。けれど憎くてたまらない。
こんなこと、人には言えない。だって家族が嫌いな女なんて、きいただけで性格歪んでそうだもの。
もう家族ごっこするのつかれたよ。
元記事の増田です。はてダすら書いたことがないのに初増田でいきなりこんなにトラバもブクマもされて、あっけにとられてます。
傍から見ると僕は叩かれたり非難されたり同情されたりしているように見えるのか。
自分ではそこまで感じていないので、面白い。この辺の感覚に対する閾値も高いのかもしれない。
suVeneもmatakimikaもよく知らないので分からない。親についてはあまり関係ないと思うのだが、言及されたので一応書いておく。
「親が教育を間違った」というのは正解かもしれないが、(親が)「子供への愛情は注いでいたんだけど、子供からの期待には応えることができなかった」という推測は間違い。
なぜなら幼年期から少年期にかけて母親から虐待一歩手前のような扱いを受けており、愛情を注がれたとはとても思えないし、親には期待なんてしていなかったから。なお反抗期は普通にあった。
そして親の問題なら、同じ家庭で育った弟たちも僕のようになるはずだが、現実は違う。やはり元来の気質・性格と外部環境の複合要因によって形成された心理メカニズムだろう。
ちなみに母親は、僕が唯一ネガティブな感情を抱いた人間。もちろん原因はその体罰というか折檻というか虐待にある。
一時期は本気で殺意まで抱いたが、僕が家を出て離れている現在ではどうでもよくなっている。だが顔は見たくないので、今後も会うつもりはない。虐待が大きな要因となって離婚した父親とはたまに会っているが。
他者への踏み込みが浅くなる、というのは同意。そして僕も友人は少ない。
結構切羽詰ってたんで教えてもらえて、とてもうれしかったです。
世の人の反抗期にあたる年頃の時、うまく反抗できずに、ひたすらもやもやしたものをかかえて過ごしていたのだけど、いい子はいい子にしかなれない、という小学生の時に流行っていた曲の歌詞は本当なんだなぁと二十歳過ぎてからしみじみ思うようになりました。我慢するのに慣れすぎて何事にも意欲が湧かない。やっとかないと世間的にまずいよなぁ、と思うことをなんとなくやるだけで自分から何かしようとはあまり思えない。それが大人というものだとは思うのだけど、こういう感じで続けていったらいつか破綻する気がしていたのですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070606004626
物理的解決のほうが効果がわかりやすいんで、どうしてもそっちに走ってしまうけど、なるべく精神的な面での解決する方法探してみます。まずは禁断の一人カラオケにでも手を出してみようか。
http://anond.hatelabo.jp/20070606022630
怒ってる気持ちをできるだけ穏便に伝えるのって難しいけれど、どうにかやらないことには何もならないんですよね
うひぃ、気持ちが分かりすぎてたまらん。
思うんだけど最近の日本人って割と以前より中高の時に反抗期が来ていない気がする。
今なんかネットもあるから更にそう。子供が変に大人になってる。カッコワルイことをしなくなってる。子供らしい幼稚さを見せなくなってる。
変に賢い子ぶってしまうというか。反抗期ってのは「畜生、大人なんて…いい子ぶってるのなんてカッコワルイぜ」的なところからくるもんだけど、「思春期っていうのは皆そういう反抗期があるものなんですよ」というのが子供にまで広まっちゃったから、今度は逆に「ガキみたいに大人に反抗するの、カッコワルイぜ」的な子が増えた気がする。無論、まだまだ模範的思春期を迎える子もいるが……。基本的にあの年代って天邪鬼な奴多いからな。俺もそうだったんだけど。
それで「親に反抗したってしょうがないじゃん」「ミュージシャン?そんなんよっぽど才能と運がなきゃなれんっしょw」「しょうがないよ。今の日本終わってるから」みたいに分かってる風に構えてみる。でも多分、それは一種のかっこつけで、心の奥底では色々煮えたぎってるものがあったりする。でもそういうのをさらけ出すのって「カッコワルイ」から、気取って中高をすごして、……それから大学や社会人になってようやくそういう素直な思いをさらけ出すようになる。
まあ、それだけじゃないんだろうけど。
ともあれその気持ちはすっごくよくわかる
アドバイスはできないけど
「平凡な人生が一番いいんだよ」なんて言うけど、その人は突然金持ちになったとしてもそんな事が言えるのだろうか。「平凡が一番さ」というのは、分かる面もあるんだけど、どうしても「平凡にしか生きられないから、平凡が一番いいんだって思い込もうとしているだけなんじゃないのか?」って思えてしまう。だって、数多の選択肢から平凡な人生を選び取ったわけじゃない。最初からこれしかなかったのだから、これが良くないとなるとほとんどの人に絶望が訪れる事になる。だからこういうお茶を濁すような言葉が昔から語り継がれているだけなんじゃないかって……平凡な人生が一番いいんだなんていう人はそもそも、平凡以外の人生を歩んだ事があるのかよ?って……思ってしまう。俺もかなり遅れて中二病がきたようだ。
尾崎チックな反抗期の生徒と、愛情溢れすぎて管理キンモー!な教師は共犯なんだよね、
今から見れば、てことなのでは。
これも今から見ればだけど、学校のガラス割りまくったり、校庭にバイクで入ってきちゃったり、
本当に無害だよ。生徒の成長の面から見たら。
尾崎に共感できるかどうかは、尾崎自身に共感できるかじゃなくて、その対極にいるはずの
頭のてっぺんからつま先まで生徒に対する愛情の詰まった教師を信じられるかどうかなんだ、
と言ってみる。
同意。ていうか、この香山リカって人は結構適当な事ばっかり言ってる。
たまにいいこともいうんだけど。
プラスして、
「親や教師の言うことを屈託なく信じる」ってよりは、
ネットやらなんやらで情報増えたのと、昔よか余裕が出来たのとで
単純に大人な考えが出来るようになっただけだと思う。
反抗期迎える前に、その頃の子供は反抗期迎えるもんだってことを知っちゃうし
それがどんなものから来るのかすらも知っちゃうし。
親や先生が言ってる事が正しいとは限らないけど、でも
やっぱ正しいとこもあるし、あっちの立場からしたら色々あんだろーしなー
とか、現代の子はそういう所謂ガキっぽくない考えするようになった。
でもそれは別段悪いことでもないと思うけどな
命日と聞いて思った。
二十歳超えて逮捕されたり結婚したあたりで「反抗期なんてもう言ってられない」
ことに気づいた後の彼の歌ももっと評価されていいと思うけどなあ。
中学生の時、悪ぶったりし始める皆を見て
逆に悪ぶらないいい子である方が珍しかった為
「成績もよく生徒会長とかやったりするいい子」キャラになることで
「自分は周りと違うんだぜ」気分に浸っていたな。
それで「悪ぶる」機会を逃したってのは確かにある。
反抗期も特に無いままつつがなく過ごした。
余りに「親に反抗する」のがトレンドで、皆親に反抗してたからこそ
逆に「反抗しない自分」が珍しい立場のように思えて、
また親などからはその方が受けもよくて、
ますますいい子になっていた。
でも今思うと結局そんな自分が、一番中二病だったんだろう。
今もそのケはあるけど。
30年も、40年も80年も意味がない。
だが、安心しろ。この世の中、意味があって生きているヤツなんてほとんどいない。
だから、生きていける。
これからの大学生活。友人が出来て彼女が出来て振られて。いっぱい楽しいことがあるさ。
いっぱい楽しいことがあるさ。
仕事して怒られてでもがんばって成功してでも怒られて。
いっぱい楽しいことあるさ。
いっぱい楽しいことあるさ。
結婚式して両親泣いて子供生まれてノイローゼになって子供の笑顔で癒されて。
いっぱい楽しいことあるさ。
いっぱい楽しいことあるさ。
いっぱい楽しいことあるさ。
第二の人生と言いつつすることなくて喧嘩ばかりででも四季の移り変わりが楽しくて。
いっぱい楽しいことあるさ。
だんだん年老いて身体動かなくなって病気になって落日の人生を感じて。
いっぱい楽しいことあるさ。
連れ合い無くして子供孫連れて泣いてでも夕日がきれいで。
いっぱい楽しいことあるさ。
お前がこんな事を考える18才でも年を取って病院の病室で窓の外を眺めながら息を引き取る瞬間まで。
いっぱい楽しいことあるさ。
http://anond.hatelabo.jp/20070129105059
何でこういうのが物凄い気持ち悪いのはどうして?
文体が癇に障るのかなこれ。
誰にでもある物だと思うよ。
気にしてるよね。
じゃあ、逆の視点から見てみようか。
でもさ、それでいいの?
聞いてあげて、受け入れてみようよ。
そのうちにあらびっくり!
きたりするんだよ!
初めてみてよ。
の辺り、何かもうケンカも出来ないのに右ストレートでぶっとばしたくなる。
かと言って内容は頷けるかっつうと、他人のコンプレックスを受け入れるってのが具体的にどういうことなのか(否定しないことなのか自分もその部分に触れないようにすることなのか相手が何を言おうと気にしないことなのか)分からないし、コンプレックス持ち同士で同病相哀れみあってたらその反作用でコンプレックス持ちを受け入れない大多数の人間を仮想敵に設定することになってそれこそ『でもさ、それでいいの?』じゃねーのって感じだしうわあああああああああ。
俺が反抗期なのか?