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はてなキーワード: 俗ラテン語とは

2024-01-05

クンニってよく考えたら変な名前だよなぁって思ったらWikipediaにこうあったわ

クンニリングス(英: 仏: 独: cunnilingus)は、女性器を直接舌で舐めて性的刺激を与える行為オーラセックス一種で性行為前戯として行うことが多い。日本語では「クンニ」と略すが、俗ラテン語

cunnus(外陰部)と

lingere(舐める

語源である

こういう変な性知識の方が楽しいよね。

役に立たないけど

ちなみに日本語だと

啜陰(せついん)

とも呼んでいた時期があるらしい

まり最近よくみる「クンニしろ\( ˙▿˙ )/」

みたいなやつは昔で言えば

「汝、啜陰せよ 」になるわけか

2023-11-15

anond:20231115173201

初めて同意できるクンニ先生勅語だ!😲

クンニリングス

口唇で女性器を愛撫する行為

クンニリングス(英: 仏: 独: cunnilingus)は、女性器を直接舌で舐めて性的刺激を与える行為オーラセックス一種で性行為前戯として行うことが多い。日本語では「クンニ」と略すが、俗ラテン語のcunnus(外陰部)とlingere(舐める)が語源である。古くは、「啜陰(せついん、てついん)」などという言い方もあった。」

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9

2023-04-18

anond:20230418164401

クンニリングス

俗ラテン語のcunnus(クンヌース。外陰部の意)とlingere(リンジェーレ。舐めるの意)が語源

ちなみにフェラチオは、ラテン語のフェッラーティオー(fellātiō)から来ている

2021-11-14

「今のはクンニではない。カンリングスだ」

よくクンニクンニって言うけど、

クンニクンニリングスの略であり、

英語ではcunnilingusである

ただ発音はkʌ`nəlíŋgəsであり、

kʌ`はカに近いのではないか

まりクンニではなく、カンニ、またはカンリングスだろう。


実際に下のリンクから聞いてみてほしい。

https://en.hatsuon.info/word/cunnilingus

ちなみにcunnilingusは

俗ラテン語のcunnus(外陰部)とlingere(舐める)が語源である

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

2008-06-21

フランス人ラテン語を話せってことですね、わかります

平沼赳夫ってこんなトンデモだったのか。今更ながら驚いた。

最近国語の乱れようは目に余るものがある。敬語の乱れや「食べれる」などといった「ら抜き言葉」の氾濫など、由々しき状況です。われわれは言語で思考するわけですから、言葉が乱れているということは、思考が乱れている、精神が乱れているということにほかなりません。精神を正すためには、国語も正しい伝統回帰すべきです。たとえば50音の「ゐ」や「ゑ」は廃止されていますが、本来それに当てはまる音があった。それが忘れられ、発音できなくなってしまったんです。

http://news.goo.ne.jp/article/php/politics/php-20080609-04.html

ちょwwwwww音韻体系を平安時代に戻せっていうんですかwwwwww

そんなこと言わはるならまず、あずまえびす言語なんぞを標準語やなんて呼ぶのをやめはったらいかがですやろ。日本の国の文化は京都が中心どすえー。いや、まじめな話、平安時代の音韻体系ってのはあくまで「京都とその周辺」の音韻体系なわけですからねえ。

そして、その頃ヨーロッパの方を見れば、フランススペインで話されている言葉は「フランス語」や「スペイン語」じゃなくて「俗ラテン語」だったわけです。ってことはですよ、西欧人は当時の標準語とたるラテン語をしゃべるべき、そうでなければ言語が乱れておるってことになるわけですが、それでいいんですかね、平沼先生

そういえば、フランス語の綴りが音とかけ離れているのはラテン語を引きずっているからで、あれは言ってみれば旧仮名遣いなわけですね。最低限、フランス語も綴り通りしゃべるようにしたらいいんじゃないでしょうか。もっとも、ガトーショコラ (gâteau au chocolat) を求めてお菓子屋で「ガテアウ・アウ・ショコラット」を注文して、目的のものが出てくることは保証しませんけどね。

 
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