はてなキーワード: アニソンとは
破滅*ラウンジは終わった。
「再生」という単語にこれだけの機能不全性を感じたのはいつ頃ぶりだろう。骨から離れてしまった血肉は再生のしようがない。真っ暗でなにも見えない。俺は虚ろな意識と視界の中、少しずつ思いだした。
破滅再生ラウンジの最終日、開始17時や18時頃はまだ平和だった、各々が好きにネットを、ゲームを、音を、絵を、工作を、プログラミングを、好きにやった。いつもどおりに。一見したらカオスなこの空間は秩序で保たれていた。ゴミと見まがう紛うばかりの作品達は黒瀬、浅子の手によって厳密に調整、配置され、終始鳴り響いている数箇所からの騒音も定期的にキュレーターの手によって均一に混ざり合うように調整されていた。しかし最終日、破滅メンツの合唱する「紅」によって覚醒状態になった人間達は調整の抑制を受けず、終了の時間とともに黒瀬、嘘、梅沢らを中央のPCでできたジャンクタワーに投げつけた。ジャンクタワーには似非原やパターサンの書き殴ったドローイング、同人誌、血、精液などがへばりついていたが、同時に包丁や割れたガラス片なども装飾されていた。そこに生身のキュレイターやアーティストが投げつけられたらどうなるか、想像に難くない。一触即発の緊張感で保たれていた会場の空気はカオス側の中心人物三人の内臓の吐露によって破滅した。作家も、鑑賞者も、ギークも、関係ない。ナンヅカに存在する人間はすべてジャンクタワーに叩きつけられ、同時に刻まれ、死亡した。逃げ惑う人間はすべて糸柳に捕まり、叩きつけられ、刻まれ、死亡した。地下に作られたこの空間は窓がなく、入り口も二つだけだった。一つは山本悠の巨大な作品と脚立によって鉄で溶接され、完全に塞がれていた。山本悠自身がよかれと思ってやったこの創作も、彼自身の死を呼ぶだけだった、愛する者の名を言いながら彼は死んだ。もう一つの出口は「受付」の奥側に搬入口として位置していたが、赤い奇妙な形をした立体的な椅子に大量に積まれた作品と書類と死体に阻まれて、ろくに通れる状態ではなかった。血と精液にまみれたそれらをかきわけても(同人誌で自慰する者と数少ない女子をライト・レイプする者で溢れ、会場内は白濁液でまみれていた。)、かきわけている間に正気を失ったギーク達に捕まり、ジャンクタワーに叩きつけられ、刻まれ、死亡した。「バトルロワイヤル」「バイオレンス・ジャック」「ベルセルク」「GANTZ」、なんでもいい、そういった虚構の物語で起きていた残虐な出来事が、延々と目の前で繰り広げられていた。唯一ギークの中で正気を失わなかったyuisekiは人を殺すことをせずに、左手と右手を失いながらも満面の笑みを浮かべながらインターネットに興じていた。最初から狂っていたのかもしれない。
大量のアニソンやらブレイクコアに混じって人の叫び声が聞こえ続けた。笑い声も聞こえ続けた。junkMAが音が発生する元となるジャックを次々と死体の内臓に突き刺すので、やがて音楽は消滅した。生きる者が次々と破滅する中で、生き残った者も自害し始めた。そして俺の意識は途絶えた。
目が覚めた時、俺は叩きつけられたまま意識を失ってたことに気づいた。先に叩きつけられた肉の上に叩きつけられたおかげで、致命傷に至らなかったらしい。しかしこの空間で血を流しながら数時間に続けることは自殺に等しい。十数年前のPCに付着した菌が培養され、確実に腐食しているのだ。少しずつ、死が近づいていることを知った。
暗闇に目が慣れ始めてきた。大量に積み重なる死体が、まだかすかに生きているPCの光に照らされて、見える。時たま、誰かの携帯電話が軽快なアニメやゲームのメロディを鳴らし、今は亡き主人を呼ぶが、答えることはなかった。見知った作家が幾人か死んでいるのを確認する。なぜこんなことになったのか、わからない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。「どうしてこうなった」というネットのジャーゴンがふと頭をよぎり、ふふっと笑ってしまった。模造紙オフや搬入、搬出の時などに、どうしてこうなったって言って笑いあっていたなと思い出した。そういう言葉はアートもギークも関係なく通じたし、一緒に笑い合えた。twitterをやり始めたのはいつだったっけな。なんだか最初のほうから始めている糸柳やyusekiって奴がいて、こいつらといつか面白いことができたらいいなって考えていたんだな、そういえば。理想的な形で一緒にできたとは思っていたんだが、まさか殺されるとはな。笑えねえよ。擁護した東浩紀と村上隆はなんて言うんだろうな…それが聞けなかったのが本当に残念だ。
死ぬ間際に幻影が見えた。再生ラウンジを取り壊し、破滅ラウンジを再構成して記録を撮ろうとしているカオスと破滅のやつらが見える。観客は誰もいない。それなのに、いつもどおり楽しそうに音楽をかけ、ゲームをし、ネットをしているあいつらがいた。それは、俺が体験したどの瞬間の破滅ラウンジよりも居心地がよく、満ち足りた空間だった。再構成の記録が終わり、電気が付いて明るくなった空間で彼らは誰かを祝っていた。一人女がいて、涙を流しながら喜んでいた。糸柳は用意されたケーキを包丁で丁寧に切り分けていた。包丁自体の重みでケーキ自体が歪まぬよう、慎重に分けていた。その包丁で女を殺すことも、犯すこともしなかった。それは幻影だった。
当人が感情の赴くままにアニソンを低劣だ、愛好者は頭が悪いとほざいてんだから、こっちも感情の赴くままに叩けばいいだけだと思うが。
その結果どうなっても、言い出しっぺの当人が背負えばいい。
いやそういうことじゃないんだって。
まぁ、答えるけど、俺もアニソン好きだよ。アニソンしか聴かないってわけじゃないから、がーっと熱中してるってわけじゃないけど、確かにアニソンが低劣とか言われたら、そりゃ違うだろって思うし実際違う(はず)。
俺が言いたいのは、こんな奴がはてなの中の人だったなんて・・・みたいな話はよそうって。誰だって一緒でしょ。俺は実際、しばらくこの人がはてなのスタッフだって知らなかったよ。知らないからこそ冷静に見れたってのもあるけど、極力そういうのは取り除いたほうがいいと思うんだよなぁ。不当に評価を下げすぎるってことにもなりかねない。実際なってるような気もする。
難しいことだってのは分かるよ。
自分の好きな有名人が、アニソンは低劣でしょとか言い始めたら、何だこの人こういう人だったんだ(評価下がりまくり)・・と思ってしまいそうな気はする。正直言って。
うーん、ってことはやっぱ難しい提案なのか。
んで、あなたはあの人をどう思う?
誰にだって思い込みあるでしょ。アニソン=低劣に過剰反応してるのは単にそう思いたくない人が多いってだけで。
もっと大げさな話にすると、公務員だろうが国会議員だろうがアルバイトだろうがプータロウだろうが犯した犯罪が一緒ならそれは一緒なんだよ。
それ以上にもそれ以下にもならない。それを、公務員なのになんてことを、とか言い出すのはやめたほうがいいじゃんって。社会的に真っ白で透明な存在ならそりゃそういうこと言えるかもしれんけど、実際は社会的に何らかのカテゴライズをされてるわけでしょ。誰だって。
優劣を決めたがるのは人の性というかなんというか。
クラシックを理解出来ないって大声で叫ぶことで自分は音楽を純粋に楽しんでるとか思っちゃう人もいることだし。
アニソンはジャンルじゃない、とかも単なる揚げ足取りだねー。だから何なのっていう。その人が話している前提を汲まなきゃ意味なす。
あれでしょ、なんだかよくわからないけど人気出ちゃってるものを否定したがる気持ち。アニオタだってそういうのあると思うよ。
あとこの発言主も言ってるけど、アニソンは地雷かもしれないね。残念だけどいまだにネット上って偏ってる人のほう多いし。特にツイッターなんてそうでしょ。ちょっと観察しただけでそう思えるんだから
http://anond.hatelabo.jp/20100509170315
URL鑑定結果
そもそも「アニソン」なる分類が嫌い。
それらは、アニソンというか、たまたまアニメの主題歌だった歌を並べただけでは。ボニー・ピンクのIt's Gonna Rainをアニソンというようなもの。
http://blog.livedoor.jp/manamerit/archives/65352773.html
「カップラーメンはつまらない食べ物だ」と批判するようなものか。
それぞれ用途がある。
実際のところアニソンにたいしたものはないと思うけど。
アニソンだけしか聞いてないとすると、音楽生活としてはやや寂しいかな。
あまりにも擁護側が神経質すぎる。
http://www.youtube.com/watch?v=koZPnGCxNcc
http://www.youtube.com/watch?v=EQT6mRA1Kjc
http://www.youtube.com/watch?v=uGmYriPgrRM
http://www.youtube.com/watch?v=E3wWC6Cfikg
CLANNAD AFTER STORY オープニング曲。時を刻む唄。
番外
http://www.youtube.com/watch?v=5hZlCAi6dKU
Gunslinger Girl オープニング曲。THE LIGHT BEFORE WE LAND。
アニソンじゃないので除外。
http://www.youtube.com/watch?v=R69wYdjlY8E
MACROSS PLUS 挿入歌(?)。WANNA BE AN ANGEL。
ちょっと古め。
http://twitter.com/kentaro/status/13430250165
ネタなのかマジなのか分からんけど、炎上している。リプライとかブコメとかを見ててもなんか脊髄的なコメントが多いというか、優越感ゲームになっててうんざりする。144文字とか100文字じゃ当然か。
で、ネタとして面白そうなので、おせっかいでid:antipopが好きそうなアニソンを収集してみることにした。このひと確かハロプロからコーンウォール一派まで聴くような音楽変態だった気がする。そういう人が「アニソン」なるジャンルを本気で叩くかどうか疑問だが。
http://www.youtube.com/watch?v=PoDKJNt5YB8
カヒミ・カリィ+小山田。これを想定される「アニソン」と扱っていいかどうかは分からんけど。
http://www.youtube.com/watch?v=ardiCRr9Tww
みんなが想像する「アニソン」なるジャンルから選んでみた。ROUND TABLEは割とオシャレなのでありかと。
http://www.youtube.com/watch?v=Ai8oME-Kb84
モーヲタならこれか。今となってはやらないかの方が有名?かもしれないが。
http://www.youtube.com/watch?v=LIYDL7sHasM
はてなも絶賛協賛中の四畳半神話大系から。いしわたり淳治&砂原良徳。
http://www.youtube.com/watch?v=mje2Mz1mGHo
ジャズ好きを自称する人にCowboy Bebopはある意味地雷かもしれないけど。
http://www.youtube.com/watch?v=0g_ehKYJyUc
これも地雷かもしれんけど。
http://www.youtube.com/watch?v=CyCd7srDwqc
これもみんなが想像する「アニソン」としていいかどうかアレだけど。
http://www.youtube.com/watch?v=nkSlgKMyYXU
みんなが想像する「アニソン」なるジャンルからその2。パーフリとか好きそうだし。
http://www.youtube.com/watch?v=R9z6l13RNbg
みんなが想像する「アニソン」なるジャンルからその3。小西康陽とか好きそうだし。
一時期流行った中田ヤスタカ系の(それこそ堀江由衣のバニラソルトとかまりあ・ほりっくの君に、胸キュン)とかは敢えて除外した。パフューム好きは公言してなかったと思うので。
http://twitter.com/kentaro/status/13673261818
本人からリアクション。
前々から違和感を感じてはいたが、漸く気が付いたことが一つ。
それはこの世の中でヲタクと言われているのは主にアニヲタをさしてるという事実。
ニコニコ動画の流行やアニソンの売れ行きから考えて共通するのは
原作は漫画やゲームだったりはするが、100%アニメ媒体化されている。
元々そこそこ人気はあれどアニメ化で流行化が2000年以降顕著。
女性向けジャンルの特撮やハリーポッターはアニメではないが映像媒体発
(※http://www27.atwiki.jp/trend/pages/12.html)
とても当たり前なことなんだろうけど、気が付かなかった。
①所謂サブカルといわれる鉄ヲタ等の運送系、みうらじゅん始めとする仏ヲタ系、歴女に見られる歴史ヲタ系etcに
④追っかけクレイジーとされる芸能系・・・ヲタにも種類はたくさんある。他にも家電だのなんだのあるだろう。
でもやっぱりヲタクの中に占めるアニメヲタクの割合は高いんだと思う。
そろそろこの事実を認めなくてはいけない。
大体コミケの同人誌ジャンルを見ても、所謂サブカルといわれる①は圧倒的に少ない。
(※http://www.comiket.co.jp/info-c/C78/C78genre.html/評論情報・鉄道ミリ・SF・雑貨位
コミケはサブカル向けじゃない!からデータとして引き出すのはちょっと違うんだろうけど)
そしてこれは自称漫画ヲタかぶれとしてのコメント。題とは真逆の主張をあえて展開してみる。
よくアニヲタと漫画ヲタは同一視されやすいが、正直言って違うといいたい。
とある作品の話をしていても何か違和感あるとおもって調べたら、相手はアニメ設定の話をしていたという事がたびたび。
国民的アニメドラゴンボールだってグレゴリーとか違和感なく居たりで。
漫画狂信者に近い私の中では、ドラゴンボールの界王星にはバブルス君しか存在していないが、
アニメを見て育った人にとってはバブルス君とグレゴリー二人いるのが当然だろう。
設定だけで完全オリジナルGTの「俺はサイヤ人の誇りを持った地球人だ!」発言でぶち切れた漫画ヲタは数知れず。
全部が全部そうではないし、原作に影響を及ぼしたりこのキャラならありうると柔軟に許容する場合もあるが、
簡単に言うと漫画ヲタは基本「漫画原作にないアニメオリジナル描写が許せない。」
原作者が納得しているならいいが(作者が神だから神がOKならOK)、
よくよく自問自答するとこういう差別意識が浮かんだ。
アニメなんて原作の美味しいところだけ映像化して、この作品の本筋主張をそこまでしっかり汲んでいない。
そんな上澄み作品を数ヶ月の数クール単位で食っては次々消費していくアニヲタ。
しかもキャラ萌ばかりで作品に対する世界観への愛情を漫画ヲタからしたらアニヲタに感じられない。
キャラ物グッズばかり買って原作本も買わないなんて何?設定本や考察本もチラ見くらいはしないと・・・
イナゴのように食い尽くしてさっさと去っていく、その癖けちつけて作品その物を歪め潰してくれたわ
漫画ヲタは作品に対する世界観や設定、描写、作者の想いやこだわり、他作品との関連を第一とするが
アニヲタは漫画ヲタにとって大切な作品自体の思い入れより、声がいかに合っているか、作画クオリティがいかに高いか等の方が大事。
とどのつまり重きを置くポイントが全然違うんだけれど、一緒くたにされることが多い。
だから遺憾に思う。
原作を最重要視しないアニヲタが作品を語りだすことを少なくとも自分は嫌う。
原作を買って、原作の設定資料集を買って(アニメのではなく)、
原作者インタビューやブログ等の発言を網羅している上で語るならいいが、アニメのみ見て語るなら微妙だと思う.
逆に言うとアニヲタからすれば漫画ヲタがアニメを見てエンディングやオープニングをスルーしたり、
声優なんて別にそこそこ下手でなけりゃ誰でもいいなんて言うのは許せんのだろう。
こだわりに対して安易に妥協せず追及していまうという点では同じだが、こだわる点の優先順位が違いすぎる。
だが世間から見れば同じ「タイトル」だし、キャラ萌属性で被ったりするから違いなんてない。
漫画ヲタな自分ですらこんな状態だから、①②④のヲタからすれば「ヲタク」カテゴリで括られることすら嫌がって
アニメなぞ見ていないのに、ニコニコ動画の普及で一般人からも作品名をあげるとまずアニメの方を連想されてしまう。
漫画として有名な作品ならまだしも、アニメ作品としてより漫画として有名な作品なんてよくて2、3位じゃないか?
そんなわけでヲタク=アニヲタな風潮を微妙と感じつつ、世間の認知などそんなレベルなんだと自覚しなくてはいけないと思いにいたる。
認めなければ区別してもらえない。いや、区別もなにも無理だろうが。
だからせめて2ちゃんねるの漫画系板のように「アニメの話題はアニメ板へ池」という場所に引きこもって
J-CLASSICとかJ文学とか、そんな呼称、まだ使われてんのかね?
昨今日本でしか通用しない、しかし日本人向けに深みがあるものをガラパゴス化って呼び方があるけど、
アニソンだと受け入れているとこもある。
何か、アニソン好きがJ-POPは駄目だ、アニソンが素晴らしいんだって必死に賛辞してるのって、痛々しいよな。
J-POPって言葉を聞いた瞬間に思考停止して、メジャーな曲しか想像できなくなってしまってるというか。
アニメとタイアップもしていない、メジャーでもないような曲まで全部含めて考えたときには、J-POPには本当に凄い多様性があって、事実上最近のアニソンの傾向を完全に包含しているんだよな。その意味で、J-POPはアニソン系の曲を含む概念なんだ。ただ、その中でアニメに関係している曲がアニソンとラベルを貼られるに過ぎない。
だから、J-POPは駄目でアニソンは素晴らしいという言い方は、少なくとも曲の内容レベルでいうなら矛盾していると言わざるを得ない。まあ、「アニメは素晴らしい存在だから、アニソンも素晴らしくなるんだ」だとか「声優が歌っているから素晴らしいんだ」的な尺度からは矛盾しなくなるのかもしれないが、それは既に曲の評価そのものじゃないよな。
結局、J-POPを否定することで偉ぶりたいだけなんだろうけど、そんなことをしても、自分の浅はかさを露呈しているだけなんだよな。
今は、どうなのかな。
「一般人」という名称も死語になりつつあるんじゃないだろうか。
というのも、「一般人」と言うのは、「マス(大衆)」と呼ばれる人達だった。今もそうかも知れないけど、特に昔は、オタク趣味はまともな大人の趣味とは見なされていなかった。例えば、プリキュアに熱中している大の大人なんて、見下される存在だった訳だ。今でもそういう所はある訳だし。”普通の”大人だったら、家族サービスをするとか、デートをするとか年相応のことするのが正しいと思われていた。カラオケでもアニソンは歌わない。その”普通の”大人が「マス(大衆)」であり、「一般人」。
ただ、現在、「マスコミ」がどんどん衰退していっていて、何百万枚と売っていた音楽も売れないし、視聴率も下がりまくり。特に若者はネットで自分の好きなことを好きなように追求している状態。つまり、いわゆる「分衆」の時代。趣味趣向が多様化し、多次元宇宙化し、「マス(大衆)」の存在が薄れている。よって、「一般人」の存在が薄れている。
逆に言えばだ、「一般人(パンピー)」という言葉を使い出したのは、特にマスコミの「業界人」だった訳だ。という訳で、「一般人」という言葉の存在が薄らいでいくように、その反対語である「業界人」という言葉も、あえて言えば、「業界人であることに対するアドバンテージも」薄らいで行っている今日この頃じゃないのかな。