はてなキーワード: アニソンとは
映画やドラマに合わせて作られた曲、出演者が歌う曲を「ドラソン」とか言うか?
単なる呼び方なら尚更存在しないね。
思いっきり今のJ-POPの流れに影響うけてるところだろ。J-POP聴いてる層と親和性は変わらないんだから。
J-POPでご飯食べてる人たちがアニメでもご飯食べてるだけ。
更に言えばジャケットの絵やキャラクターにつられてお金落としてくれるヲタクがどんどん食いものにされてるだけ。
「アニソンは優れてるよな」とか喜んでる厨房も「Greeeeeenさいこー」とかいってるDQNも同じ。やがてJ-POPと一緒にアニソンも死ぬでしょう
アニメのキャラクターCDは? タイアップとは言えないだろうし、Jポップの流れとも違う。アニソン以外に呼び方があるかね。
そもそも主題歌もEDも、最近は出演してる声優が歌うのがほとんどのパターンだし、アニメと同時進行で音楽もできていってるし、アニソンと言って差し支え無いよ。
Round Tableが完全にアニソン専業になっちゃったのが個人的に残念だ。
あったま悪そう。J-POPしか聴いてない人とアニソンしか聴いてない人なんてどっちもどっちでしょ
そもそも「アニソン」なんてものは無いよ。
掲示板なんか見てると、最近のJポップ(笑)に比べたらアニソンの方が全然いいよwwwという書き込みと、
アニソンばっか聞いてる奴に言われたくねえよ。声優(笑)wwみたいな書き込みの応酬をたまに見かける。
実際どうなんだろう。
歌詞に関しては、Jポップ(つまりオリコン上位のやつ)より、アニソンの方が優れていると思った。
アニソンの方が「詞」としての本来の役割を果たしているなあというか。
Jポップにおいて歌われるのはとにかく共感を得やすい最大公約数的な内容が多いのに対し、アニソンはそのキャラクターの心情とか、作品の世界観に合わせたものが多いので、より狭い感覚を歌いやすい。
なによりの特徴は、そういうマニアックな感情なんかを歌ったものもアニソンにおいては「売れることがある」という点で。
アニソン以外のジャンルでも、もちろん素晴らしい音楽はあるわけだけど、上に浮かんでくるのはどうしても多数派の毒抜きされたものなんだよね。
くだらないことから、……やはりくだらないことまで増田にいろいろ記事を書いてきたが、そうだ、苦手なジャンルの記事も書いてみよう、ということで、音楽の記事を軽く書く。
とは言え、私はほとんどアニソンしか聞かないので、さて何を書こうと思ったとき、前々から思っていた疑問である「駅前で演奏している生の音楽に(音楽のセンスのない私が)たまに異常にインパクトを受けるのはなぜか?」をちょっとだけ言及したい。
もちろん、音楽にはちゃんと音楽理論があるらしいので、的外れかも知れないが書いていきたい。
まず、やはり私がインパクトを受けるのは、「演奏が(ある程度)うまい奏者」だと思う。別の楽器から紡ぎ出される……別の場所から空気の振動として、自分の体それ自体にも伝わってくる音色やリズムがアセンブルされて一つの調和になってしまうという驚き、インパクトというのはあると思う。ヘッドホンやスピーカーでは、あまりその辺が分からない。もっとも、私の使っているオーディオがしょぼいから、という面は大いにあるだろうが、音響の良い映画館で音楽を聴いても、やはり、何か違うなあ、と思ってしまうのも確かだ。
それでもう一つ思ったのは、月並みだが、ライブかどうか、という面が大きいのではないかという点だ。
なぜ、ライブかどうかが重要かというと、観客の心の一部に「演奏者の失敗を期待している自分」という面があるからではないかとと思う。それを別に責めている訳ではなくて、スリルの裏返しでもある訳だから、それも含めて観客は楽しんでいるし、演奏者もそれも含めて楽しませようとしているのではないか。
だから、そういう意味……ストリートパフォーマーという意味で、大道芸人とミュージシャンは一緒くたにされるのだろうと思う。
そして、題名の件に話が移る訳だが、「良いコンサートは眠くなる」らしい。私もネットで見た発言なので、そうらしい、としか言えないが。おそらく高級なクラシックコンサートやハイソな現代音楽のようなコンサートの話をしていると思うので、ふーん。そうですか。おにぎりおいしいです。としか言えない面はあるが、何となく理由は想像できるような気がしてきた。
要するに、無茶苦茶設備が整ったホールで、マナーの良い観客の前で、一流の演奏者が演奏する訳だから、もはや「精密すぎて」もはや人間が演奏しているのか、機械が音を出しているのかよく分からない境地に達しているのではないだろうか。……いや、そう書くと語弊があるか。「安心感」が異常にありすぎるということだと思う。
だから、街の雑踏の中では、「それなりにうまい奏者がうまく弾ききれるか」という面で、スリルを感じた衆目の目を惹きつける、という様な意味では、なかなか良くできたシステムだと思うし、「良いコンサートは眠くなる」という話は、なかなか贅沢な時間の使い方で大変結構なことではないか、などと思う。
ほとんどの人々がCDに求めてるのは「音楽」ではなく「物語」なんだよ。
それはビジュアル系バンドやアニソンでも、クラシックでもみんなそう。
「実力派」だって優れた歌唱・演奏でなく、実力派って「物語」を売ってるのさ。
もちろん実際に実力がなければその「物語」の説得力がなくなるから、下手な「実力派」ってのは難しいけど。
そういう「物語」なしに、いい音を売りますなんてやっても、ま、1万枚売れたら奇跡だね。
1億人のうち数千人にとってしか意味を持たない「技量」ってなんなんだろう(笑)
CDが売れなくなったってのもその延長で説明できる。
とうの昔、具体的には90年代前半時点で森口博子がガンダムF91のテーマソングとかひっさげて紅白出場している件。
まあ、当時の森口だと世間的には「バラドルがたまたまアニソン歌った」位置づけだったんだろうけどねえ。
いまさら驚くほどのことでもねえよと言いたい。
下手すりゃ初音ミクや桜高軽音部がって話も出かけていたわけだから、水樹奈々になったというのはまだ穏当な選択だと思う。
それは、嗜好の多様化によって相対的にアニソン等の順位が上がっただけであり、実際にはそれがイコール一般化といえる状況には程遠いものであると言う認識が自分の中にあるからかもしれない。
嗜好が多様化しているので、紅白もそれに合わせたって話じゃないの?一般化してない歌手だって、毎年出てるよ。エンヤとか、知らなかった人の方が多いんじゃないか?
ヲタクがマイノリティだってこと自体に異論は挟まないが、もしヲタクだけがマイノリティだと思っているならそれは違うと言いたい。
NHK血迷ったか!?
最近のオリコンや様々なCDの売り上げランキングを見ると、一見アニソンや声優が紅白に出場するという現象も当然の結果であると言えるのかもしれない。
しかし本当にそれでいいのだろうか?確かにオリコン等でアニソンが上位を占めることも増えてきて、世間一般にオタクコンテンツが浸透してきたかのように感じられるかもしれない。だが、それを持ってアニソンの紅白進出が成されてしまう現実には違和感を覚えてしまう。
それは、嗜好の多様化によって相対的にアニソン等の順位が上がっただけであり、実際にはそれがイコール一般化といえる状況には程遠いものであると言う認識が自分の中にあるからかもしれない。
現実問題として、「水樹奈々」と言う名前を一般人に問うた時、どれほどの人間がその存在を認知していてくれるだろうか?オタク趣味を持たない家族にその名前を問うてみて欲しい。殆どの人間が、どういう人間か理解していないのではなかろうか?(勿論、他の紅白出場者についても同様の傾向が有り得ることは理解している。その意味でも「紅白」と言うシステムの限界を見ることが出来るがそれは今回の論点からズレるので置いておく
未だに、オタクコンテンツが一般メディアで取り上げられる事に一抹の気恥ずかしさを感じてしまうのは、もう既に古いオタクであることの証明になってしまっているのだろうか?
アニソンは紅白の裏で、それこそラジオやBS辺りで特番組んで、それ系の人達だけで盛り上がっておくのが、オタク界隈にとっても一般人にとっても幸せなのではないだろうか?少なくとも、人目を憚らず羽目を外すことが許される場が確保されるのはメリットだと思うのだが
サブカルはサブであるからこそ面白いのであって、それがメインの舞台に押し上げられてしまった時点でその魅力が失われてしまうのではないだろうか?(いや、勿論そのものの持つ魅力が些かも減ぜられるものでは無いことは理屈では理解できる。しかし自らの手を離れてしまった感が存在するのは否定できない。この心情は、サブカル系の人間の宿痾であるかもしれない
全くの別問題としては、紅白と言う一般のメディアにおいて我らが同胞である一部の人間が、我々の間だけで許されていた行動を、そのままそっくり再現してしまうのではないかと言う危惧が存在する事も忘れないでおきたい。
それともこの思考自体が既に老害であり、こうした考えこそオタクコンテンツの一般化を阻害し、芸術や文化として昇華される妨げになってしまっているのだろうか