はてなキーワード: みかかとは
つかみかかるあいてすら正しく見極められないぐらい頭が悪くておつむあったかいのに
すとれすばっかたまってつらいでしょう?
かいせんきってまちにでてにくたいてきなけんかやろうどうをしてればいいのに
おれはただそういうばかをみくだすし、いっぽうであわれむ…
君は病みかかっている。にも拘わらず、健常者として患者を労わらなければいけない状況に困っている。
じゃあ、医者に行こう。
そうすると、「鬱ではないですけど高ストレス状態ですね」と言ってくれるはずだ。
それを紙に書いてもらおう。
んで、それを持って行って先輩の所に行こう。
次に
「先輩に非は無いですし、僕にも非は無いと思っているんですが、
こういう状況でして、あんまり接する機会が多いと、
お互いに悪い影響を及ぼし合いそうですから、なるべく距離をあけましょう」
と言おう。
あくまで「お互いの健康の為」だ。
これならノンストレスでストレスと距離が取れるんじゃなかろうか?
ちょっとぎこちなくなったって、お互いに気に病む必要は無い。
ダメかな?
昨日一人で酒を飲んでいたら、酔った男が「火を持ってないですか」と言って寄ってきた。
そこで一儲けできる可能性にピンと来た私は、100円で火を着けてやることにした。
ただし、火をくれてやったわけじゃない。
この着火ライセンスでは、他のだれかに火を渡すことまでは認められていない。
この火は私の財産なんだから、それくらいは言っていいに決まってる。
酔っ払いはそこまで聞いて、キチガイを見るような目つきになった。
それでもよっぽどタバコが吸いたかったらしく、
結局は、この契約を受け入れると言った。
気がつくと、その酔っ払いの仲間が寄ってきた。
そいつらもタバコの火が欲しかったらしい。
私がもう一儲けしてやるかと思っていたら、あろうことか、
酔っ払いが悪びれもせずに、私の火の海賊版を分け出した。
私は酔っ払いにつかみかかろうとしたけれど、
もはや手遅れで、酔っ払いが仲間に火を分け、そいつらがまた分けて、
結局あっというまに、私の火が無料で皆に行き渡ってしまった。
カッとなった私はそいつらのタバコをぜんぶ取り上げて、踏み消してやった。
そうこうしているうちに店員がやってきたので、
昨日一人で酒を飲んでいたら、酔った男が「火を持ってないですか」と言って寄ってきた。
そこで一儲けできる可能性にピンと来た私は、100円で火を着けてやることにした。
ただし、火をくれてやったわけじゃない。
この着火ライセンスでは、他のだれかに火を渡すことまでは認められていない。
この火は私の財産なんだから、それくらいは言っていいに決まってる。
酔っ払いはそこまで聞いて、キチガイを見るような目つきになった。
それでもよっぽどタバコが吸いたかったらしく、
結局は、この契約を受け入れると言った。
気がつくと、その酔っ払いの仲間が寄ってきた。
そいつらもタバコの火が欲しかったらしい。
私がもう一儲けしてやるかと思っていたら、あろうことか、
酔っ払いが悪びれもせずに、私の火の海賊版を分け出した。
私は酔っ払いにつかみかかろうとしたけれど、
もはや手遅れで、酔っ払いが仲間に火を分け、そいつらがまた分けて、
結局あっというまに、私の火が無料で皆に行き渡ってしまった。
カッとなった私はそいつらのタバコをぜんぶ取り上げて、踏み消してやった。
そうこうしているうちに店員がやってきたので、
朝、7時に宿を出ました。霧は晴れましたが、まだおよそ曇りと言っていいでしょう。ただ真上のあたりがうっすらと青空になっています。
ホテルを一歩出ると、直立不動の若い武装警察官が立っています。動員されたバスが大通りを駐車場代わりに使っています。
歩いて天安門方向に歩きますが、すぐに規制にあって進めません。外出は控えてテレビを見ていろという政府の方針なのです。仕方なく戻って遠回りします。しかしそこでも規制があります。
また遠回りして遠回りして、たどり着いたのが復興門のあたり。ここでは長安街におよそ200メートルほどに近づけました。8時半です。しかし、多くの人が集まってきました。
数百人に膨れあがったころ、いきなり公安がそこを規制しはじめました。
公安たちの怒号、負けじと言い返すおじさんたち、女子供たちの悲鳴、もみくちゃにされる年寄りなど暴動の発端はこんなところにあるのかなと思ったほどです。せっかく三脚を立てて撮影ポイントをばっちり決めていた隣のおじさんは掴みかからんばかりに怒っていました。
一方で、式典が始まる10時前には快く晴れ上がり、暑くなりそうな予感でした。歩兵たちの姿はもうありませんでしたが、ミサイル、戦車などはほぼ全部見られたのだと思います。
復興門を離れる時、帰隊する若い軍人たちが乗ったバスに遭遇したのですが、人々は小旗を振り大歓声で見送っていました。
この演出はやはりすごいと思います。外国人でさえ、つい「中華人民共和国万歳!」と叫びたくなるような高揚感を与えます。一般の人たちならばなおさらでしょう。胡同(フートン)では夜遅くまでテレビの音が聞こえていました。
そういえば、列席者の中にパンチェン・ラマとおぼしき青年の姿がありました。
こうしたことはパレードも含め、平時における軍人にとっての最大の晴れ舞台なのですね。各省からの山車やマスゲーム、コンサートなどイベントは深夜まで続き、テレビでは生中継されていました。いまも再放送しています。
パレードの後は中心部にいつまでいても仕方がないので、長城に登ってきました。今日はたぶん20キロぐらい歩いた感じです。
(NS生、北京にて)
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通巻第2729号 臨時増刊号
俺も俺も。
俺は一度適応障害が出たので、適応障害には敏感になってしまった。元々欝になる素質はあるが、理性で欝にならないよう自分の行動をコントロールしているが、適応障害じゃどうしようもない。
世の中には40度以上の熱があっても電車で2時間のみかかの研究所に行かされたり、72時間耐久デバッグを3人で回させたり(2人いないとデバッグ不可能なテストなのに!)、「お前の会社には金払ってるんだからお前の体調なんか知った事じゃない、働け!じゃなきゃお前の会社から金返してもらうぞ」と強制的に働かせる職場があるのだ。ブラックどころか名の通った一流企業でさえそうだ。
昨日、えらい現場に出くわした。
そこは住宅地内の十字路なんだけど、ある一方は両側に植え込みがあって視界が制限されてて、それで飛び出しが出来ないように車止めがしてある。鏡はあるけど1つだけ、それも車用、一通を意識していて、自転車だと逆方向も平気で走れるので役に立たない。
若い女性が車止めからゆっくり自転車をすり抜けさせる→別通路から猛スピードで老人(60近く、まだ若い)自転車が突っ込んでくる→何故か老人が「危ねぇな気をつけろこのババァ」とブチギレ→女性怒って自転車突き飛ばす(女性が自転車を降りた時点で老人「オイやんのかオラァ」)→男性女性に罵詈雑言言いつつ掴みかかる→女性が男性を殴る
見かねて、俺と近くに居たオジサンが仲介に入る。
そこからは怒った老人vs仲介人2人、殴った女性は少し離れた場所に隔離、という図式になった。
前述の通り、視界が悪い十字路なんでその道に猛スピードで突っ込んでくる自転車に前から危機意識を感じていたし、その老人は「手を出したからお前の負け、とにかく俺は一切悪くない」と勝利宣言してたのもムカついた。とにかくその老人は周りの人間をムカつかせた。
結局周りの人間がワラワラ集まってきて「殴ったのは女性が悪いが、それ以外は全てお前が悪い」と柔らかい言い方で老人を丸め込んだ。
仲介人のおじさんが警察を呼んで、警察も周りの人間の陳述を聞いた上で仲裁し、お互いゴメンナサイで手打ちとなって、その場を丸く治めた。
---
普通なら女性が警察に一方的に注意されて終わりのはずだが、この結果になった。
まぁたかが女性、殴ったところで怪我は大した事は無いはずだし、老人は平気な顔でピンピンしてたし、多分老人もビックリしただけで怪我は一切無かったんだと思う。あんだけプレッシャーかけながら女性を追い詰めたんだから女性が怖がって殴っても仕方ない。常識的に考えれば訴訟はやりすぎな場面。
でも、一応殴ったんだから「殴ったのだから女性が悪い」となるはず。
しかしその場は、老人が悪いという空気になった。自転車の暴走を一切認めなかった上、あれだけの罵詈雑言を言ったにも関わらず警察には「危ないです、と注意しただけです」なんて言ったり(これは周りからすぐ「そんな大人しい言い方じゃなかっただろ」と訂正が入ったが老人は認めなかった)、「法律じゃ俺が正義だ」など漫画の悪役みたいな台詞まで飛び出した。
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女性がゴメンナサイして老人が渋々訴訟を取り下げた後、老人はこんな事を言った。
「俺は昔、こういう場面になって、殴られて金を取られた事があったんだ。だからそうならないよう、注意してるんだ」
え?
金取られた経験があったのに「やんのかコラぁ」なの?
老人の思考はわからない。
何故、一度金を取られたにも関わらず、あんだけ場を荒立てるような行動を取り続けたのか。女性の彼氏がヤンキーで近くにいたら多分ボコボコにされてただろう。
社員もバイトも100%女性ばかりの某小規模雑貨店での出来事。
もともと女性1人で立ち上げたので、35歳の社長みたいな状態。若い。
店内の装飾とかWebサイトとか通販とか似非POSの管理とかしてた。
だから基本店内には居なかったんだけど、バイト募集の告知を作ったときに
社長が急に「男性もOKっていれてみよっか」と半分イタズラみたいなことを言い出した。
まあ、こんないわゆるかわいい店にそんな告知貼ってもこないだろうと作成して掲示。
そしたら3日目に男の子がやってきた。
ボーダーのシャツとか似合っちゃって、おとなしめで嫌味のないタイプ。
悪く言えば主張が弱そうなタイプ。外見イメージだけは勝手にくるりの岸田みたいな。なのでキシダくんと仮に呼ぼう。
なんか社長とか喜んじゃって即採用。まずはレジと倉庫&品出しやってもらおうという話になった。
はじめは「男くるんですかあ?」みたいに警戒してたバイトたちも、ひ弱そうなかわいい男子が来たことで
妙に盛り上がる。もともとジャンル的に「オトメ」みたいな連中なので
彼氏存在率が基本的に少ないし、よくわかんないけど専門出ばっかりなので
「キシダくんって、どんな音楽きくんですかー?」
「あー、くるりとか」
「キシダくんって、専攻何やってるんですかー?」
「あー、仏文」
しかも社長とかまで「研修」とかいいながら事務所で長時間捕まえてたりして
(その割には雑談ばかりとか)結構辟易してた。
彼がいるってだけでシフトが偏りだし、品出しをしている彼にバイトがくっついていっちゃうので
こりゃいかんと思って、社長に進言するも、意にも介してない。
「あなたはキシダくんがいることで店内に活気が出てきたことに気づいてない」
とか最後言い出すの。活気と浮ついた雰囲気は別だって言ってやりたかったが、
経営者としてどうなのよとすげえ感じて、底が見えた気がしてそのあと1ヶ月して仕事辞めました。
ただまあ、Webとか通販とかの各種引継ぎをしなきゃならなかったので
結局辞めた後も、ちょこちょこ割ともう一人仲のよかった事務の子とは連絡とってたのね
そこから伝わってくるのがすさまじい様相。
「○○さんがキシダくんに色目を使っているとバイトが揉めている」
「××さんはキシダくんがいないとシフトを絶対に入れない」
「△△さんはキシダくんのミスを一切隠す」
どこの女子高生だよ。仕舞いには社長がキシダくんだけの時給上げたりしてる。
私も限界です、なんて事務の子も言ってんの。どうしてそこまで彼女らが彼に入れ込めるのかがわからないが
とりあえず全員一致の意見で「キシダくんは何も悪くない」になってるから始末が悪い。教祖化しちゃってる。
どんだけ魅力的なんだよキシダと思ったが、実際彼は本当に何も主張しておらず
女の子の誘いにほいほい乗るわけでもなく、甘え上手なわけでもなく、
誰か一人を特別扱いするわけでもなく、そんな職場内のなんか微妙な空気を感じるわけでもなく
(まあこの鈍さに問題があるんだろうけど)
ただ淡々と仕事して、大学行ってる。確かに悪いことは何もしていない。
そんで先々月、どうやら論文がどうたらでキシダが半月バイトを丸々休んだらしい。
モチベーション下がりまくってた店内にひさびさにキシダが戻ってきて開口一番
店内と事務所が一斉にどよめいたらしい。客いるのに。
そこからがすごい。大告白大会。客いるのに。
「そんな、私キシダくんいないならこの仕事やってる意味ないじゃん」客いるのに
「おかしいよ、論文くらいバイトしながらでもできるじゃん」客いるって
「いや、でもフランスまでしばらくいかなくちゃいけないんでご迷惑でしょうし」キシダ
「そんなことないよ、いてくれていいよ」社長登場
「だったらパリまで雑貨の買い付けいく。その手伝いしてくれてもいいし」社長それは…
「そんなずるい」「そのあいだお店はどうするんですか」「独り占めするんですか?」
他のバイトに電話するやつ、泣き出すやつ、怒るやつ、社長につかみかかるやつ
店内の客も不審な目でみながらいつのまにか全部いなくなってた。
なのにキシダはきょとんとした顔をしてたらしい。
「キシダくんはどうしたいの!」
「いや、僕は単にバイトをやめたいというだけで他は特に…」
ここまで鈍いというか、空気読めないというのもすごいけれどなあ…
そうして何をするでもなくキシダは店を去り、バイト6人が一斉に店を辞め、あきれ果てた事務の子も辞め
店は半月間の臨時休業の後、10月末に閉店しました。
吉祥寺で急に閉まった、あの店の顛末です。
http://anond.hatelabo.jp/20071102195139
同じ文章を生み出すかっていう、そういう話?
「どうしようもなくバカだ」
船井は重ねて言った。君はむっとして、途方も無く長くまっすぐな廊下を先に歩く禿頭を睨んだ。
「ランダムなアルファベットの中に、いくらシェークスピアの文章が現れようとも、他のノイズから切り出すことをしなければ、それはやはりランダムノイズにしか過ぎんのだ。この場合シェークスピアを取り出す作業こそを創作と、取り出す主体を知性というのではないかね」
船井は振り返りもしないで喋る。
「それにだ、なんでチンパンジーなんだね。ニホンザルだっていいじゃないか。むしろニホンザルの方が。ああ、君は100匹目の猿の話をしらないのか。こういうことだ。ある日宮崎は幸島の一匹の猿が芋を洗うようになった。それを真似した猿が100匹を数えたとき、それは突如として群れ全体の習性となり、更に位置的につながりの無いはずの高崎山の猿までが芋を洗い始めた。集合無意識のなせる現象だな」
船井は突き当たりのドアの前で足を止めた。ドアを開ける。
「ということでだ。芋でもなんでもいい、餌で釣ってタイプライターを叩かせるように仕向けた猿を百匹集める。すると距離を超越して何匹もの猿がタイプライターを叩くようになる。それを集めて意味のある文章を叩いた猿に餌をやると果たしてどうなるか。そんな猿が100万匹いたら?」
船井が半身引いて見せた室内を君は覗き込む。獣の匂いが鼻につく薄暗い部屋は、反対側の壁が消失点の彼方にあって果てが無く、同様に左右の壁も判別できない。規則正しく置かれた机は格子模様を描き、部屋の広さを強調している。ひとつの机につきひとつのタイプライター、一匹の猿。キーキーと鳴き喚く声、カタカタとタイプ、チーンとリターンの音。君は息を止める。
部屋のドアが開いたのがわかると、猿達はタイプライターに叩きつけていた手を止めた。猿は紙を機械から抜き取るとそれを手に扉口に――君のほうに向かって殺到してきた。君は立ちすくむが、船井は目の前で紙を手にギャアギャアと飛び跳ねる猿めらをにこやかに見渡す。差し出される紙をいちいち受け取って目を通すと、あるものにはポケットから豆を出してやって褒めてやり、またあるものには首を振って紙をさし返す。豆をもらった猿はすぐさま空いた机にとって返し、豆をぼりぼり齧りながらまたタイピングを始める。もらえなかった猿は怒って紙をびりびりに引き裂くと、これまた机を探して占領しタイピングを始めた。もらえなかった猿の中には紙を破っても怒りが収まらず、あたりかまわず糞を投げつけるものもいた。その飛沫を浴びても船井は笑みを崩さず、猿どもの差し出す紙の検査を続けている。そして一段落つくと君のほうを見ていう。
「名作とそうでない物の判別をして、猿に餌をやるだけの簡単なお仕事です」
君は袋いっぱいの豆を手渡される。本当に100万匹いそうなこの部屋の猿に一袋では足りない。ならば本当に選別を、などと思っている間に第二波殺到。差し出される紙にはいずれもアルファベットが打たれており、「Stately, plump Buck Mulligan came from the stairhead, bearing a bowl of lather on which a mirror and a razor lay crossed.」「MARLEY was dead: to begin with. There is no doubt whatever about that.」「In 1913, when Anthony Patch was twenty-five, two years were already gone since irony, the Holy Ghost of this later day, had, theoretically at least, descended upon him.」などと書いてはあるものの君には何のことやらわからず、君がよく知るシェークスピアであるところの「To be, or not to be」だとかは探そうとしても、猿にせっつかれて見つけている余裕が無い。適当に意味のある英文に見えるものに豆を与えていたら、周囲は徐々に剣呑な空気になり、そういえばさっきつき返した紙にはキリル文字が書いてあったんじゃないかということに思い至るも、東欧文学まで原文でフォローできている君であろうはずは無く、殺気立っている猿達に奪われるようにして豆を与えているので袋の豆も尽き、いよいよ進退窮まったと助けを求めて船井の方を見れば、そこにはただ一匹の巨大な猩々がにまにまといやらしい粘着質の笑いを浮かべているだけで、君は脛に飢えた猿の歯が食い込むのを感じて倒れ、毛深い無数の腕が掴みかかり……夢でさえあればそこで目が覚めるはずだったのだけれど。
だから私が代わりにこれを
受け入れてくれた病院でも大騒ぎ、結局、俺達の前で臨終になった。医者や救急車の運転手にも掴みかかった。俺達は感情むき出し、血まみれ涙まみれで抗議にならない抗議をした。
こんな事してるからどこも受け入れなくなるんだよ。まさに自業自得。
先日、友人が死んだよ。交通事故。友人2人も同乗する車での事故。酷いケガで意識も朦朧としていた。自分はちょっとした打撲程度で大した事は無かった。救急車を呼んで同乗するも、受け入れ先の病院が無い。なんだかんだで受け入れてくれない。別に深夜でもない。昼間の4時ですよ。たらい回し。そうこうしているうちに酷いケガの友人はみるみる元気が無くなっていく。「かかりつけのお医者さんは無いですか?」なんて聞かれたけど、全員、いたって健康でそんな医者なんぞ知らない。結局、病院に担ぎ込まれたのは、救急車に乗ってから1時間後。車内では救急隊員が必死で心臓マッサージ。大した事無い俺達は、泣き叫ぶ事しかできない。みんなで救急車の中から携帯で119して受け入れてくれる病院なんとかしてくれ、それはできないとかなんとかで怒鳴る事しかできない。104で病院探して電話しても救急車に従ってくれの一点張り。その救急車が困ってるのにどうにもならない。俺達はわーわー怒鳴るだけで何もできない。そういう時に何をしたら最善なのかもわからない。そうやってるうちにも友人は弱っていく。返事が無くなる。
受け入れてくれた病院でも大騒ぎ、結局、俺達の前で臨終になった。医者や救急車の運転手にも掴みかかった。彼らはベストを尽くしてくれたのだろうか。俺達は感情むき出し、血まみれ涙まみれで抗議にならない抗議をした。彼らはたんたんとしていた。まあ、こういうもんですよ。みたいな、そういう態度だった。
俺達が政治家だったら、もっと違った対応をしてくれたのだろうか、明らかに金持ちっぽかったら対応が違ったのだろうか、無礼な話かもしれないけど、自分が天皇だったら、総理大臣だったら、県知事だったら、友人はしかるべき処置を受けられたんじゃないか。俺達は余りにも無力だった。大切な友人を失った。俺達にもっとチカラがあればよかったんじゃないか。
ある日私は気が違った。世界の方が変わったとのだと思いたいが、常識的に考えると、やはり私の気が違ったのだろう。しかし、本当にそうなのだろうか。私の気が違ったのではなく、皆の気がすでに違っていたのではないだろうか。私は今でもそのように思っている。
私の家にかわいい女の子がやってきた。名前はみい。照れ屋で少しはにかんだ笑顔がとてもかわいらしかった。彼女は人見知りをしたが、私には特別懐いてくれたので、私と彼女はよく遊んだ。場所はもっぱら近所の草原だった。なぜかうちにはハンバーガーがたくさんあった。父が何やらツテがあるらしく、私も大好きだったので、それをお昼ご飯に持って行き、ピクニック気分で毎日のようにでかけた。そこで私と彼女は二人で寝転がりながら、いろいろなことを話した。最近あったこと、そしてこれから先の将来のことを。私はかわいいお嫁さんになりたいな、と照れながら言った彼女の横顔が今でも忘れらない。
しかし、そんな幸せな日々は終わりを告げた。朝起きて、彼女に会いにいくと、そこに彼女はいなかった。家の中も、近所中も、そして彼女が大好きだったあの場所も探したけれど、彼女はどこにもいなかった。私は両親に彼女の居場所を聞くと、彼女は売られたと言う。今朝早くに、車に乗せられ。私は泣いた。そして怒った。どうして彼女を売ったんだ!?と。両親は仕方がないだろ、と私をなだめた。しかし、私はますます怒り、そして焦った。彼女の身にもしものことがあったら!?両親につかみかかり、彼女がいる場所に連れて行け!早く!一刻も早く!両親は諦めたのか、悲しそうな顔をして承諾した。お前も家を継ぐんなら早く知っておいた方がいいからな、と。
車で1時間30分程の道のりだっただろうか。しかし、彼女のことが心配で気が気でなかった私には何時間にも感じられた。その場所につくと、私はまたもや叫んでいた。彼女はどこだと。両親が大きな白い建物を指さすと、私は脇目も振らずに駆けだした。彼女は!彼女は無事なのか!?それだけしか頭になかった。両親が電話で話をつけていたらしくその建物から出てきた白衣の人は私を見つけると案内してくれた。彼女のことを想うと殴り殺してしまいそうだったが、彼女がいる場所がわからないので、それまでは素直に従うしかない。途中、白衣を着せられ、3分程歩いただろうか。工場の内部の広い空間につくと、ほら、あそこらへんですよ。白衣の人が言ったので、私は指さされた方を見ると、彼女がいた。いや、彼女とおぼしきものがいた。無数に。数え切れないくらいに。首を切られて、解体されて、内蔵を取り除かれ、肉塊となったものが逆さにされて、数え切れないくらい吊されていた。あまりの状況に、呆然とした私は立ちつくした。肉塊と成り果てた数え切れないくらいの死体を眺めながら。
しばらくして私は彼女を捜した。肉塊を丹念に見ていきながら。しかし、やはりそれは肉塊なので、彼女かどうかはわからなかった。呆としながら歩いていると、切られた首が山積みになっている場所を見つけた。見つけた私はそこに駆け寄り、無念そうな顔、恨みがこもった顔、痛そうな顔、いろいろな顔をした血まみれの首を必死に掻き分けた。彼女の首がありませんように、彼女が肉塊に成り果ててませんようにと祈りながら。途中、両親や白衣の人が止めに入ったけど殴り倒した。そんな場合じゃなかったから。一刻も早く。一刻も早く彼女が無事であることを確かめなければならなかったから。そして、何十の首を掻き分けた頃。それは見つかった。悲しそうな、かわいいお嫁さんになりたかった彼女の、悲しそうな顔が。
その後、私は取り押さえられ病院に連れて行かれた。そして気が違っていると診断された私は入院することになった。入院中は悲しみで何もする気が起こらなかった。両親が会いに来てくれてもほとんど話さなかった。彼女のことを思うと、そして彼女と同じように処分されていた彼女たちのことを思うと、とても話せる気分じゃなかったから。しかし、少しして私は気づく。どうして彼女は、彼女たちは、首を切られ、腑を取り除かれ、並べられていたのだろうか。あんなことをされていたのだろうか。翌日、両親が来たときに私は2週間ぶりに言葉を発した。両親は驚き、そしてとても喜んだが、私の問いを聞くと、また沈んだ顔をして、静かに答えた。そして私はようやくわかった。彼女たちが何だったのか。
その後、以前のように振る舞った私は2週間で退院することになった。そして帰りに確かめにいった。彼女たちが行き着く先に。
明るい店内。賑やかな雰囲気。にこやかな接客に、綺麗な包装。その包装を丁寧に開けると、私は止まった。包装の中から彼女が。彼女たちが。大好きだったそれが、やっぱり現れたから、現れてしまったから。病院で何度もシミュレーションしたはずなのに私は止まった。止まった体が動かなかった。そして彼女との思い出が甦る。大好きだった、彼女との思い出が。何分経っただろうか。彼女との思い出を全て思い出した私は、静かに息を吸い、心を決めた。心を決めた私はかぶりつく。彼女に、彼女たちだったものに。大好きだったそれに。泣きながらかぶりつく。泣きながら、吐き気を抑えながら、拒絶する体を押さえ込みながら、ぐしゃぐしゃの顔でかぶりつく。そして数分後。私は食べ終えた。彼女を。彼女たちを。大好きだったハンバーガーを。
やはり私は気が違っているようだ。あの出来事以来、彼女のことを思い出し、全てがそのように見えてしまう。だから、スーパーなんて地獄だ。首を切られたり、バラバラにされたり、あるいは生きたまま(といっても瀕死に近い状態だが)の彼女たちが店中に陳列されているように見えるのだから。しかし、だからといって、ベジタリアンなどを薦めるつもりはない。幸か不幸か、私にも野菜はそのようには見えないが、それは他の人には見えないような光景が私には見えているように、他の人には野菜が私と同じように見えているのかもしれない。なぜなら、それらは皆、全て生き物だからだ。
だから、私が、気が違ってる私が言いたいのはそうではない。確かに私は気が違っているが、その一点、魚や肉が人間に見えるという一点において、気が違ってるだけだと思っている。だから、それ以外の点では、特にある一点ではむしろ私の方が正しくて、皆の方が気が違っていると私は思っている。それは、私がこの話をすると、バカじゃん?あれは肉や魚じゃん?と言って生き物であると認識しない人間だ。昔の私のように、それは肉や魚、ハンバーガーという名の食べ物であって、何で出来ているのか、何の命だったものなのか、それを生き物だったと、考えない人間だ。自分は生き物の命を奪うことで生きながらえてるにもかかわらず、食べるために生き物を殺す行為を忌避し(例えば生きてる魚を捌くのを嫌ったり)、そして素知らぬ顔で食べ物を貪る人間だ。
http://anond.hatelabo.jp/20070218013048
私も襲われかけたことがある。小学生のころ、駅で突然ダウン症の子供につかみかかられた。思わぬ強い力にびっくりしてなすがままになっているところを、見ていた駅員さんとおばさんが助けてくれた。その映像は20代になってもずっと残っている。未だに電車やバスの中で知的障害者とおぼしき人を見ると身がすくむし、声をあげられようものなら逃げ出したくなる。そして祈る、こっちに来ませんように、と。もちろん、それは予想外の言動をされることに対する本能的な怯えにすぎなくて、知的障害者それ自体を嫌悪する感情ではないことは頭で理解しているのだが、それでも怯えている自分に時々嫌悪感を抱く。この感情は、なんなのだ?
同時に、自身も障害者の立場に足を突っ込みかけている。進行性の、高度と中〜軽度の難聴を合わせ持っている。周りの人々は「難聴なんて気にならないよ」と言ってはくれるものの、理解のない人だってたくさんいる。これから社会に出ても苦労するだろう。もちろん自分でもハンデをカバーできるように、人一倍注意してきた。しかしどんなに気をつけたところで、私の認識の外で見えない苦労や迷惑を周りに強いているのは間違いない。でもどうしようもできない。いらつかせたり、反復させたり、気を使ってもらったりと、自分という存在やこのハンデが、社会の中で余計なものであると何度も思い知らされる。でも事実なのだ。誰かに助けてもらわないと生きていけない。
自明のことだけど、「障害者を助ける」という福祉の概念は、最終的に公共の利益のためにある(と思ってるけど間違ってるかも…)。つまり個人が最も幸せになるためには、周りも幸せにしてあげたほうがいい、ということだ。なぜなら皆でそういう取り決めにしておけば、もし自分がコケた時はみんなに助けてもらえる。そしてひとりを助けるためのコストは、限りなく低くなる。だから、キレイなオチとしては、「お互いに助け合っているんだから、障害者に対する差別や偏見はなくそうよ!」となるのだけど、わたしだって知的障害を持つ子供が生まれれば腹を括るまで相当時間がかかるだろうし、彼らを反射的に避けてしまう。そんな自分に嫌な気持ちをおぼえるけど、自分の難聴だって誰かに同じような感情を生んでいるのだ。そういうのを次から次へとみんなでまわさなくっちゃいけないから、建前というものが発生して、みんなでいやーな気持ちになってしまうんだろう。