つぅか今からやめる。ナウ。
オレが生れ落ちた瞬間から、今こうして酔っ払ってる24年間を、ただ物質として存在していたわけではない。
生れ落ちた瞬間から、目の前で包丁を突きつけられたあのとき、炎に包まれたあのとき、信号を無視したあのとき、頭をひしゃげて生まれてきたあのとき、オレは幾多の危機を乗り越えて生きてきた。
無論、それはオレの生命力が優れていたからではない。生かされているのだ。途方もなく、救われているのだ。
得体も知れないほど大きな力が、オレを刃傷沙汰から救い、大火から救い、轢死から救い、柔らかい頭蓋骨を潰しながら生れ落ちることから救っている。
これを奇跡と言わずして、大いなる意志と言わずして、なんと呼べば良いか。
あるいは、サリンジャーの言うところの「太っちょおばさん」的な存在かもしれない。ドーナツの中心のように、無いからこそ見えるようなものかもしれない。けれど、あるのだ。オレにはわかる。
オレはその力を信ずる。
オレを生かそうとする意志が、確かに存在する。オレを幸福にしたいのか、不幸にしたいのかは分からない。だがしかし、その意志はひたすらに、「心臓を止めるな」
「脳に血を回せ」
「生きろ」
「明日も生きろ」
そんな声は聞こえることはないが(気違いじゃなし)、けれども事後的に、その意志に触れることができる。夕日が沈む瞬間、眠りに落ちる直前、キュートな女の子がオレに微笑む瞬間、オレはいつも大いなる意志の囁きを聴いている。
だから、あるのだ。それは、あるんだよ。
その意志に願う。
煙草を止めさせてください。
オレは必死だ。
木っ端の如きオレという人間が、逆らえない力がオレの喫煙の習慣を支配している。だからこそ、オレを生かし続ける、オレの根幹にかかわる、大いなる意志に、ひれ伏して祈るしかない。
煙草を止めさせてください。
これで止められなかったら、大いなる意志はオレが肺がんを含む喫煙によって生じる疾患が原因で命を落とすことを望んでいると解釈するしかない。
けれどすべては、あるがままに動くのである。
それはそうと煙草が吸いたい。