2024-07-27

中絶人権トリレンマ

トリレンマとは、「3つのうち2つしか選べず、1つを諦めざるを得ない」という状況である

中絶権利普遍的人権とのあいだにも同様のトリレンマが成り立つ。

我々は、

  1. 胎児人間である
  2. 人間出自によって差別されてはならない
  3. 中絶自由である

という3つの原則を持っているが、すべて満たすことはできないので、1つを諦めねばならない。

  1. 胎児人間であり、かつ、人間出自によって差別されてはならないのだとすれば、中絶全面禁止されることになる。しばしば挙げられる「家が貧しいから」とか「性犯罪によるものから」という理由は、「貧しい家に生まれ人間はいじめてもよい」「犯罪者の子供として生まれ人間はいじめてもよい」という主張が認められないのと同様に、認められるべきではない。子宮癌が見つかり、即座に胎児ごと子宮を摘出しなければ妊婦生命にかかわる、というような場合にのみ、緊急避難(一人乗りの救命ボートに乗っているとき他人を突き飛ばし溺死させても無罪)による中絶が認められる。
  2. 胎児人間であり、しか中絶自由であるのならば、人間が親の恣意によって、あるいは「貧しい家庭に生まれた」とか「犯罪者の子である」という理由によって殺されることを認めることになる。究極の人権侵害である殺人がそのような理由で認められてよいのであれば、それより軽度の出自による差別もすべて認められなければおかしい。「◯◯出身者は雇いたくない」とか「うちの大学入試女性の配点を低くしてるんでー」とかいった差別も解禁されることになるだろう。
  3. 人間出自によって差別されてはならず、かつ、中絶自由であるのならば、胎児人間ではない。そうであるならば、胎児を殺そうとした者を「殺人未遂に問うべきだ」などと主張するべきではないし、妊婦を殺した人間の罪は2人ではなく1人を殺したものとしてカウントされねばならないだろう(もちろん、情状によって重い刑を科すことは否定されない)。
  • 実はそれ、「胎児は人間である」と「中絶は自由である」のジレンマなんじゃない?

    • 本人たちで決めりゃいいことなのに決められないバカがいるから無理やり決めようとして問題になってるだけやで

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