別に楽しいことは全然あるんだけど、腹が減ってそれを癒やすために飯を食うのも、それを得るために賃金労働をするのも面倒臭い。
息吸って吐いてるだけで髪がギトギトになって、そのために毎日シャワー浴びないといけないのも面倒臭い。浴びたら浴びたで結構気持ち良いんだけど、面倒臭い事には変わりない。シャワーのある部屋も賃金労働をして金を得て借りなきゃいけないのも面倒臭い。よほど金がなければ他人から借り受けるという形でしか住居を得られないのも不快。
明日への活力にでもするような気晴らしの趣味は楽だけど、気晴らし以上のものにはならない。もっと自分の大事だと思ってる事に沿った趣味は、気晴らしでは決して得られないような、それそのものに生きている意義を感じられるような喜びがある。でもそこに至るための積み重ねだとかが死ぬほど面倒臭い。充足感みたいなのはあるにしても、下手すれば労働より面倒臭い。
トータルで楽しさより面倒臭さが勝ってる。面倒臭いのはとても嫌い。
賃金労働の問題を解決すれば楽しさに秤が傾くかもしれないけど、それはたらればでしかない。もっと楽して効率良く金を得ようとする気も毛頭ないというか、楽するために面倒臭い事をするのじゃ本末転倒。
人を産む事は罪だって悲観するほどでもない。おれは人間の人生を生きるのに向いてないかもしれないけど、別にそうではない人もいるだろうし。良いも悪いもなく、少なくとも今の世の中はまあそういうもんなんだろうなとだけ思う。ただ面倒臭さだけがある。
苦もなく今この瞬間に自分の存在を抹消できるボタンがあれば押すかな、躊躇するかな、なんて思うけれど、そんなたらればを思い浮かべたところで気は楽になるかもしれないけど何も進みはしない。
首吊るのも苦しいし飛び降りるのも怖いし、どうせ死ぬ勇気もないならズルズルと生きるより、面倒臭い事は面倒臭いと全部諦めた方が幸せになれそうな予感もする。でも面倒臭いのがどうしても嫌だ。
こうやって気持ちをつらつら言葉に起こすのは面倒くさくなくて、割と楽しい。でも気晴らし程度以上のものにはならないし、ましてそれをもって賃金労働とするなんてこともない。
面倒臭さに負けない人が羨ましい気もする。不気味な気もする。本当に面倒臭さなんてつゆにも感じない人がいるのかもしれないし、実は自分と同じレベルの面倒臭さに抗いながら生きてる人もいるのかもしれない。他人の身体の感覚を借りる事は出来ないから考えても無駄なんだけど。