2回目のコロナになった。
もう現実や未来からの逃避として映画やドラマ、それらの二次創作を接種して、脳や身体を麻痺させるのには飽き飽きしている。
それなのにまたそれを繰り返す。それらは素晴らしく機能する。わたしには、逃避としてではなく創作物を楽しめた時期があっただろうか。きっとあったと思う。でも登場人物たちの人生や、素晴らしい作品に関わる人たちの人生を手放しで称賛するには、私はいまの自分の人生に満足していなさすぎる。
素晴らしい作品を観て思うのは、この作品に関わる人たちは、自分たちの人生を誇らしく感じるんだろうな、という羨ましさだ。俳優にはキャリアがある。私の大好きな映画で主役を演じる俳優は、私の生まれる前に作られた映画で端役を演じていたし、ドラマにも出ていたし、若い頃から俳優として、プロフェッショナルとしてのキャリアを積み上げてきた。
では、私のキャリアは?わたしは何者でもない。私は創作者に憧れている。たまに二次創作を書いて、自分の物語を書いてみて、完成させられない。書くにも読むにも、集中力が足りない。時間を浪費するだけだ。何もかもがもう遅い気がするのに、自分は若すぎる気がする。
半年以上付き合っているパートナーがいたときはこんな風に悩まなかった。ロマンティックな関係を保てる人間、あるいは自分の隣で人生を歩んでくれると思える人間との関係値があるときは、私の人生には何もないなんて思わなかった。私が持っていて、今も変わらずに持っているもの、フルタイムで人間関係の悩みのない仕事とか、私を愛していて金銭的な心配とは今のところ無縁にみえる家族とか、素晴らしい友人たちとか、そういったものが私の人生のすべてだったし何一つとして失っていないのに、今は何もない人生に思えてしまう。私は誰かにロマンチックな関係の中で一対一で愛されることを夢見る。わたしは昔付き合っていた人とそういう関係を築いていたと信じる。でも、そういった関係をまたいつか誰かと築くということは、今の自分自身からはとてつもなく遠いところにある。
生きがいになるような仕事と愛が欲しい。ということなのだと思う。これを手に入れるような人は、もう既に何かを成し遂げているべき年齢なのではないかと焦っている。何もかもが遅く、もうどうにもならないだろう、と不安だ。心と身体が麻痺したように、何もできない。それで映画を観る。指を動かせば、現実を忘れてしまうような素晴らしい世界が待っている。でもそこには積み上げてきたキャリアと愛が映し出される。私が持っていないもの。逃場はなく、私は虚しい。
そう言う人たちはめちゃくちゃ努力しててロマンスにうつつを抜かしてないからなあ〜 増田はロマンスに逃避してただけだよなあ〜
コロナを確定させるメリットってなんかあります? 検査も無料じゃなくなったしコロナ疑いでもコロナ検査なんてしないんですが