2023-06-06

カリスマと、ボダとか自己愛のケがある人

その人やばいし関わらない方がいいよ、みたいなの無視して仲良くして数年がかりでそれ実感するの2セット、それをやってる人を第三者立場から観察するの2セットくらいやって、やっとどういうことを他人は見抜いてるのかわかってきた。

昔は、自分も誤解されやすいしどちらかと言えば悪評が立ちやすいから、せめて自分美徳として、自分で関わって確かめるまで噂みたいなの信じたくないって気持ちが強かった。そういう美徳自分も救われたいと思っていた。

無駄にした時間のことを考えると辛くなるけど、痛い目見なければ結局わからなかったとも思う。

パワフルさと派手さがないだけで私も同類なんだ。でも同類同士で関わっても、癒し合う以上に弱い方が潰されるし、まともな人と違って共依存になりやすくて逃げにくいから、そりゃ関わらない方ががいいね同類同士だから癒しあえる部分があるのも嘘ではないけど割には合わないや。

他の人にはわかってもらえなかったことを初めてわかってくれたりするとその一点で手放すのが怖くなるということを学んだ。もう理解してくれる人がいないかもって思うから

健康人生人格の人と居て感じる格差孤独感を拭ってくれるからハマる。健康な人の、自他境界がしっかりしてて適切な距離感をとれることと表裏一体のある種の残酷さ、薄情さというか。あれに耐えられない時がある。

鮮烈な光を感じさせる時期があって、行動力もあって自分のために鮮やかに活躍してくれるからまさにヒーローみたいに見える。あれを運命のように感じてしまって、その時期に受けた第三者から忠告とか全然流しちゃうんだけど、カルト宗教でもジャブみたいな神秘体験させて騙すらしいね はぁ…

あの瞬間的カリスマ性こそ関わるとやばい人の一番わかりやすい印なのが今はわかるよ。

関わるとやばい人とは言えてもやばい人とはまだ呼べない。愛着もあるし、自分も弱さも十分共犯だった。

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