他人は自分の鏡ってやつ、機嫌よくしてたら機嫌よく返してくれるとか不機嫌だと不機嫌に返されるとかってより、相手への印象や感情は結局自分の考え方に影響受けるって話だと思ってる。思ってるって言ってるけどこれは今日の思いつき。
これもその一環だと思うけど、自分が嘘つきだと相手の言葉も何を信じていいかわからなくなるんよね。嘘つきって別に詐欺師なわけじゃなくて、見栄や臆病、社交辞令、あとは説明を簡略化するための脚色とかによる嘘。たとえば週末何してたか聞かれて1日15時間寝てました!って言うのが恥ずかしくて家のことしてましたって言っちゃったりとか。趣味を聞かれてもいきなりガチの話をして引かれるのが怖くて日和ったこと返したりとか。本当は週末は母親とその再婚相手が住む家に行ったけど初めての美容室でそこまでの説明はせずに「実家に行った」って言うとか。そういうことを日常的にしてると、周りの話も脚色されてることを織り込んで聞くようになることない?それがいいか悪いかは知らんけど。
相手を褒めて気持ちよく仕事してもらおうと相手を無理に褒めている人は、誰かに褒められて「この人は俺をコントロールしようとしてる」と感じるだろし、いつも「元気です」と言いながら元気じゃない人は相手の「元気です」「大丈夫です」を信じられない。のではないか。
雑談は敵意がないことを相互に確認するためのもので相手は特にお前に興味があるわけじゃねえんだわ、という話もあるが、それを当たり前と捉える人間は相手が自分に興味なくても気にしないし、慣れてない人間は互いに興味ないのに質問したり自己開示したりすることを重く捉えるんじゃねえかな。自分の話なんだけど。
それでいうと皮肉屋の人は会話するたびに相手の言葉の裏に嫌味や皮肉を読み取っちゃうんだろうか。
本当は相手は何も考えてないか言葉の通りに考えているかもしれないけど、自分の経験に照らして相手の行動言動の意図を捉えてしまう、という意味で他人は自分の鏡なのかもしれない、という思いつきでした。
他人は自分のミラーニューロン