個人の体験にすぎないものを性別とか国とか人類全体の話に広げてしまう、過度な一般化という病気が昔から蔓延しておりますね。
ただ、最近ではそれが行き過ぎたのか、個人の体験にすぎないものを性別とか国とか人類全体の話に広げられることを恐れすぎる、過度な一般化恐怖症ともいえる別の病気が流行っている気がします。
たとえば、この前見たのは、「娘がなんでも反抗するのでイヤイヤ期かと思っていたら、実はわたし(親)の愛情不足だったことがわかった」という漫画です。
これに対して、「子によるだろ」「自分もこうだったけど愛情があった」「街で愛情不足呼ばわりされたらたまらん」とお怒りを感じられるコメントがあったんですね。
要するにこれが、過度な一般化恐怖症です。
この漫画、どのコマにも一言も、この人の体験を一般化するような言葉は書かれていません。
またそのような演出上の匂わせも一切ありません。
徹頭徹尾、この人の極めて個人的な体験談としての書かれ方だけをされています。
それに対して、「そうだよね、イヤイヤ期って愛情不足なんだよね〜」というような過度の一般化コメントを書き込まれる前から、「子によるだろ」って言ってるんですね。
わかりますか?
他にも例はあります。
「ツイッターで特定の人を好きだと言い続けたらその特定の人にバレてて、でもそれのおかげで上手くいった」という感じの匿名ダイアリーの文章でした。
その体験談は「こういうこともあるなんて恋愛って難しいね。よくわからんね」という感じで締められていることからもわかる通り、過度の一般化を全くおこなっていないです。
「こういうことがあった」という経験に対して「こういうこともありえるのだ」という学びを得ることは適切な論理であり、過度でない一般化ですからね。
それなのに「皆がそんな認識でぶつかってきたら困る」「そう上手くはいかない」みたいなコメントが並んだんですね。まさに、普通そう上手くはいかないのにすごく上手くいった、という感じの体験談だったのに。
もう、なんかネットをやりすぎて望まぬ一般化攻撃を食らうことにトラウマを持ちすぎているんですね。
でもじゃあ誰がそんな一般化してるのかと言えば、勿論その人本人に他なりませんよね。
どんな個人的な体験談も一般化して読み込む脳になっちゃってて、その読み込んだ結果に対して先回りして腹を立てている。