タイトルの通り。最近話題のTwitter文学である麻布競馬場作品
東京でもがいている若者からもうそれではない何者たちの解像度が異常に高い。自分はその中の人々とは違うと感じつつも何故か重なる気がするから不思議である
「何者にもなれなかった」という感覚だけ共有している気がする
ここで自分語り、これが目的と言われればそれまでだけど、何が重なるのか客観視したい
九州の田舎の進学校から旧帝の大学へ。なんなく就活もこなし、銀行に就職。飽きて転職。20代で年収1000万円に手が届いた。早くに結婚して子供もいる。都内にこじんまりとしたマンションも買った。
どんだけ東京の労働者階級に夢見てんだよ 東京きて日本にもエスタブリッシュメントが存在しているんだなを実感したとかならまだわかるがな エリートリーマンがFIREがどうたらって...
やっぱ23区に住もうとする奴は馬鹿だな
そのスペックで今住んでる家を「こじんまりとした」と言う感覚がよくわからん 湾岸エリアの新築2LDKくらいを想像してるけど、 それなら死ぬまで住む家というよりは 住宅ローン減税受...
ツイッターを見るのをやめて外に出て現実を見よう。 スーパーの半額のお惣菜コーナーとか行くのがいいんじゃないかな。世の中は別にキラキラしていなくてもっと現実的だよ。
現実まで追いかけてくるインターネット「増田ならポテサラくらい作ったらどうだ」
タワマンの最上階で炊いた米で作った寿司が半額だよ!