2022-06-17

相手内面に触れることを避ける若者たち

私は今年二十歳になる。大学に入ってから感じた人間関係のあり方に備忘録として記そうと思う。大学での人間関係高校でのそれに比べ広く浅くなりやすいことは一般的なことだろう。しかしそれ以上に、相手内面個人的な考えに踏み込まない人が多くなったように感じる。それは高校から大学生なったたことに伴う社会性の高まり、と片づけてしまうことのできないような類の変化である。今でも付き合いのある高校時代友達と、自身の細かな心境の変化や信条を語り合うことはあっても、大学から付き合い始めた友人とは込み入った話をすることがない。相手趣味を全く否定せず、みんな違ってみんな良いという完全な相対主義を取ることの危うさは盛んに喧伝されるところである。ただ私が感じるのは争いを避けるための相対主義跋扈というよりは、内面への言及を避ける「優しさ」が土台となった新たな姿勢流行であるデート経験がない人の割合が増加しているという現状も、他者との交流可能な限り表層に留めようとする姿勢が影響しているのではないだろうか。お互いを深く知ろうとすることを半ば無意識的に避けてしまうがために、お互いの良いところが見えてこないということもあり得る。多様性重要性が指摘されて久しい。若い世代はその意義を痛いほど理解している。そうした若者によって現在形成されている「優しさ」の時代は確かに心地よく理想的であるかに思える。しかし本当の思いやりを持った上で、より深く他者を知る悦びあるいは辛さを忘れてはならないだろう。

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