https://twitter.com/DividedSelf_94/status/1465862459244298244
みたいな意見になるんだろうか
「痛みを減らしたいから動物を食べない」まで行ったら、それは科学ではなく宗教だ
「痛みが規定されたのだから安楽死させるべき」ならば、それはぎりぎり科学だろうか?私はこれも宗教に思う
「痛み」というラインを科学的アプローチで規定しても、「それをどう扱うか」は思想であり、時に宗教だろう
これらの人は、家にネズミが出たとき、安楽死を約束する駆除業者を頼むのか?
「痛み」を与えないように、ネズミ避けを置いてみるだけなのだろうか?
昔は都内にもいたが、保健所が大活躍した結果、まず見なくなった
らしいが
食べるために安楽死が許されるから、住環境のための安楽死は当然に許される、みたいな感じかな
多分、この人が主張したいのは、虐待はだめだという事で、行政の殺処分は違うと切断されるだろう
さてこれらは切断されるだろうか?
「雑に断言する」とは何を指すのだろう?
「何喋ってるか整理」するのは、存外難しいのではないか。
批判も擁護も、安易に植物を対置するのはなんだかなぁって思うんだ 食肉という「見える殺傷」よりも、「見えない殺傷」の方が多いだろうし それらは、食べるための植物を守るために...
「屠殺にしろ駆除にしろ動物に無駄に苦痛を与えてはいけない」で簡潔にまとめられる話。
猿の撃退は?
苦痛なく撃退できるならそれに越したことはないし、現状でどうしても苦痛を与える必要があるなら仕方ないが、今後は苦痛なく撃退できる方法を研究すべきだろう。
なるほどね、人が規定する、必要に無駄と ま。そんなとこですよね