「社会に貢献したい」
そして、そう思う人が良いことだという価値観もある。
理由はいろいろ言われるが、平成生まれの自分としては「未来への希望が無さすぎる」ことに尽きると思っている。
生まれてこの方日本は右肩下がりのような感じだし、自分が頑張ったところでよくなる未来が見えないのだ。
世の中のために、、とまでは言えなくても、自分と関わる人のためには精一杯やっているつもりだ。
学生のときも、自分の力をいつか社会で発揮したいとは思っていた。
学生として仲間と過ごし、夢を語る時間、その中で人間関係のトラブルに対処したり、その中で自分をコントロールしたりする練習をする時間は、このコロナ禍の中で理不尽に奪われてしまった。
さらに、シルバー民主主義のなかで、お年寄りが生き残る、既得権益のある人を守るだけという世の中の姿勢がコロナ禍で際立っている。
その結果学生にとっての娯楽や学びの場が奪われている。
さらに悪いことには、そのことに申し訳なく思うのではなく、何かあればすぐに社会は学生を叩く。
自分がなんだかんだ社会貢献をしたいと思えたのは、たとえ未来に希望が無くても、生きてきた平成の「今」はそれなりのものだったからではないかと思う。
しかし、未来だけでなく、「今」にすら切り捨てられて犠牲を強いられている今の学生が社会貢献したいなんて思えるのだろうか。