2021-03-05

自分を知って欲しいという思いが承認欲求に喰われる時。

 マイノリティ人達が、自分達のことを知って欲しいとの思いか情報発信をするというのは、今や日々の普通のひとこまになっている。好奇心共感正義感etc.人々はそれぞれの思いや考えから、彼らをフォローする。教えてくれてありがとうと、ふぁぼをつける。

 そんな様子が「ちやほやされている」としか思えないのか、承認欲求を拗らせた人が、「私も実はマイノリティかもしれない」などと言ってはチラチラと反応をうかがっている。そんな構って欲しそうなツイートがTLに流れてきて、まあこの人も疲れてるんだろうよと思ってツイートが上から下へと流れていくのに任せて私は特に何もしなかった。反応も、ミュートやブロックも。

 そうして時が過ぎていくと、本物のマイノリティなのかただの構ってちゃんなのか、まあ構ってちゃんだろうなって人が、二、三人のフォロワーに同情されるや調子に乗って、マイノリティかもしれないエピソードを語るのだった。

 「本当は私はバイかもしれない」「今の時代だったら私は旦那とは結婚しなかった」とか言うけれど、果たしてこの人は今まで男も女も好きになった経験があったのか? それとも性別わず誰一人として好きになったことがないのか? 旦那がクソで平気で妻に暴力を振るうようなヤツではなくもっと優しくてまっとうな倫理観の持ち主だったとしたら、それでも結婚しなかったのか。いい夫と結婚している間にも、時には女優さんやアイドル職場などで知り合った女性をいいなと思うことはあるのか? そう疑問に思ってしまうのだが、「マイノリティかもしれない」という一言が疑問を懐くことにすら罪悪感を引き起こす。なんか無敵だなあこの人、と思う。

 マイノリティ自分達を知って欲しいと願って情報発信をし、結果として人々の関心、そして時に称賛や同情を集めることがある。しか主題あくまで「知って欲しい」ということだろう。

 そういう活動を、あの「マイノリティかもしれない」と言い続ける人はつまみ食いをしているというか、フリーライドしているように、私には思える。そこまでして注目を集めたいとは随分欲が深いんだなと思う。けど、私がその人に何か言ったところでマイノリティ虐めをするヤツと私にレッテルを貼られるだけかなと思うので、私は何も言わん。ここにゲロッと書き込むに留める。

  • それはわざわざ教えてくれなくていいです

    • 言う必要ないと自分でも思うけど、しつこくマイノリティかもしれないレズかもしれないバイかもしれない言い続けていられると「嘘をつくな!」って言いたくなる。 まあ、自分が見な...

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